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地方に移住して自由になれた――宮崎に移り住んで気づいたこと

地方に移住して、新しい環境で自分らしく仕事をする、働き世代の女性たち。都会から地方移住する人を支援する自治体も増えています。東京から宮崎へ移住した女性にインタビューをおこないました。

地方に移住して自由になれた――宮崎に移り住んで気づいたこと

快活な笑顔で取材場所に現れた、田中倫子さん。日焼けした肌がよく似合う爽やかな印象の女性です。フリーランスでWEB関係の仕事をしているという彼女は、現在宮崎県在住。仕事のため定期的に東京都内を訪れる以外は、宮崎にある自宅で仕事をする傍ら、大好きなサーフィンに励んでいるといいます。

「東京から宮崎に移り住んだのは、サーフィンをライフスタイルの一部に取り込みたかったから」と話す田中さんですが、移住を決意した理由はそれだけではない様子。キャリアを捨て、都会を離れて田舎に移住した一人の女性の生き方から、“自由に生きること”のヒントが見えてきました。

■大好きなサーフィンのできる環境と、ユニークなキャリアを求めて移住を決意

現在33歳の田中さん。宮崎に移住する前は、東京にあるインターネット広告の代理店に勤めていました。サーフィンを始めた7年前、当時は運転免許も車もなく、海まで電車やバスを使って片道2時間の道のりを移動していたといいます。そんな折、会社が宮崎に支社を出すことになり、渡りに船とばかりに田中さんは転勤を志願。数年間宮崎で生活することになります。

「宮崎がサーフィンをするのに最高の環境というのは、サーファーにはよく知られているんです。波の質が良くて、千葉や湘南の海などと比べて人が少ない。数年後、東京本社に戻ることになるのですが、どうしても東京に住みたくなくて、海が近い湘南に住んだんです。すると今度は都内への通勤が大変で……いつの間にかどんどんストレスが溜まっていきました」

また、その頃田中さんにはずっと胸に抱えていた悩みがありました。自身が重ねてきたキャリアについてです。当時勤めていた会社には新卒で入社し、11年間という長いサラリーマン生活を過ごしてきました。しかし、「このまま会社にいても描けるビジョンが見つからない。もっとユニークなキャリアを選んでも良いのでは」という気持ちとサーフィンへの思いが高じて、退職と宮崎への移住を決意します。

「周りの反応はハッキリ別れましたね。『せっかく長く勤めてきたのに、それを手放すなんてもったいない』という人たちと、『いいじゃん、うらやましい』という人たちが同じぐらいいたと思います。両親は『将来結婚さえしてくれればいい』という意見だったので、意外とすんなり理解してもらえました」

周囲からの心配や羨望、叱咤激励を受けて、田中さんはこの春から宮崎での移住生活をスタートしました。半年以上が経過し、新生活にもようやく慣れてきたといいます。

■出会いの多い新鮮な田舎暮らし 一方で都会に戻っていく人も

現在田中さんが住んでいる場所は、宮崎県内でも自然が多く海も近い、観光スポットとしても人気のある街。都会からの移住者も多く、田中さんいわく「移住者たちが中心になって街を盛り上げている空気がある」そうです。

「宮崎は住むところ、働くところ、遊ぶところ、すべてが近い場所にあるコンパクトシティー。何をするにも便利なんですけど、遊ぶところもすべて同じなので、昨日海で初めて会った人と翌日居酒屋でばったり再会、なんてことがあたりまえに起こります。私の場合、前職では内勤だったので、会うのは会社の人やクライアントのみ。今は海でも街でも毎日のように新しい出会いがあるので、とても新鮮です」

会社勤めではないため、通勤電車に乗らなくて良いのも田中さんにとっては大きなメリット。満員電車に揺られるストレスがなくなったと話します。さらに移住したことで視野が広がり、宮崎だけにとどまらず「今後は違う土地や海外にも住んでみたい」という将来の展望も見えてきました。では、この生活を他の人にも勧めたいかと尋ねると、田中さんは「う~ん」と少し首をかしげます。

「私は東京にいなくてもできるインターネット系の職業なので、幸運なことにお仕事もなんとかもらえていますが、みんながみんなこの生活をできるかといえば、まだ難しいと思いますね。移住して自分でお店を開く人や、看護師やお医者さんなど資格を持って働いている人は、生活水準を下げずに楽しく暮らししているように感じます。

でも、それ以外の仕事をしている人にとっては、やはり東京と比べたらどうしても仕事の選択肢は少なくなるし、収入も下がる人も多いはず。生活に困って都会へ戻っていく人もたくさん見てきました。サーフィンが好きな人にとっては、宮崎は間違いなくいいところなんですけどね」

■わがままに生きている女性の方が、いい顔をしている

宮崎に拠点を置き、定期的に東京に訪れるいまの生活がとても充実していると語る田中さん。将来的には結婚・出産もしたいと考えつつ「でも、私のこの生き方に賛同してくれるパートナーが現れるかどうか……」と、苦笑します。一方で、アラサー女性への“結婚・出産”に対する周囲からのプレッシャーには、日頃から違和感を抱いているといいます。

「最近も何かで読んだんですが、多くの女性は常に周りからの期待に応えようとしていると思うんですよ。若いときは『いい大学に入れ、いい会社に入れ』と言われ、社会人になったら『たくさん働け』と言われ、30歳を超えたら『早く結婚しろ』と言われて……。

私の周りにも頑張っている女性はたくさんいますが、もっとわがままに生きてもいいと思うんです。私も勇気を出して一歩を踏み出したことで、わがままに生きるって楽しいって思えるようになりました。『こうしなきゃいけない』って決めつけていたのは自分だし、わがままに生きている人の方が、意外といい顔をしているんですよね」

宮崎への移住後に田中さんがそうした考えに至るようになったのは、やはり大好きなサーフィンができる環境に移り住んだことに加え、“会社を辞めたこと”に大きな意味があったからだと言います。

「私にとっては“移住したこと”よりも“組織に属していることから解放されたこと”で、すごく自由になれたと思っているんです。以前は仕事を辞めて移住するなんて“逃げ”だと思っていて、退職を決めてからも『人生の中で大きなミステイクをしているのでは?』と考えたこともありました。でも、いざこの生活を始めていろんな人に会うようになったら、『なんでもっと早くこうしなかったんだろう』という考え方に変わりましたね」

組織から離れて一人になったことで、自縄自縛になっていた自分に気づいたとき、大きな解放感を感じたという田中さん。それと同時に「自由になるって、そんなに難しいことじゃないんだな」と実感したそうです。

「やりたいことをやって一日一日を大切に生きて、死ぬときに『やりきったぞ!』って思って死にたいじゃないですか。自由は誰でも選択できるんだということを、いま一生懸命『周りの期待に応えなきゃ』って頑張っている女性たちに伝えたいです。その“一生懸命”の方向を変えてもいいんじゃない? って。

私は一旦組織から離れたことで自分を客観的に見られるようになり、逆に最近では『また一つの組織にコミットするのもいいかも』と思えるようになりました。会社勤めでもフリーランスでも、大切なのは、行きたいところに行って、やりたいことをやる、ということ。移住という選択は、あくまで自由に生きるための一つの手段であって、移住が目的になってはいけないと思いますね」

将来的には、そんな“一生懸命”な女性を手助けする仕事もしたい、と語る田中さん。「悩んでいる女性たちの背中を『大丈夫だよ』と優しく押してあげられる存在になりたい」といいます。「自分らしく生きたい」、「心機一転、新しい地でリスタートしたい」と考えている女性たちにとって、田中さんの自由な生き方・考え方は、一つのいいお手本になるのではないでしょうか。

Text=芳賀直美
写真の一部は田中さん友人提供

DRESS編集部

いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。

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