Illustration / Yoshiko Murata
AUGUST DRESS 2015 P188
大人になっても、携帯チェックする、しない問題【甘糟りり子の生涯嫁入り前】
2016年、芸能界トレンドの発端だった、LINE流出事件。見るつもりはなくても、つい通知音に反応してしまうなんてことも……。
今、浮気疑惑相談を二件ほど受けている。私は興信所か? って、そんなことはなくて、時々、相槌を打ちながら話を聞いているだけ。ちょっとした悩みは、誰かに話すだけで気が楽になったり、頭の中が整理できたりする。女同士のおしゃべりって大切な時間だなあと思う。
その浮気疑惑、一件は恋人を、一件はご主人を疑っている。二人とも疑惑のきっかけはスマホ。そう、彼女たちはついつい調査してしまうのだ、相手のメールやLINE、フェイスブックのメッセージを。ご主人の疑惑のほうは、「ついつい」なんて感情的なものではなくて、定期的に確認している様子である。二人とも四十過ぎの、けっこう忙しい仕事を持つ、歴とした社会人だ。
私は、頼まれない限り、他人の携帯電話やパソコンに触ったことはない。神に誓って、ない。あ、疑惑を持つような相手がいないだけか……。まあそうなんだけれど、いる時だって見たことはないし、これからも見ないと思う。何も正義感とか分別からではなく、良くないことを知りたくないから。知るのが怖いし、知ったら動揺する自分がめんどうくさい。
そ、単なる逃げなのだ。
相談してきている二人のうち片方は、良くない知らせ(=浮気の証拠ですね)を知ると、速攻で相手を責めるらしい。スマホを突きつけたり、目の前で読み上げたり、けっこう激しい。こちらの怒りをぶつけることで、逆切れされてさらなる衝突を生む場合もあれば、前より打ち解ける場合もある。それを繰り返して、仲が深まっているように、私には見える。
もう片方は証拠を握ったら緻密に作戦をたてる。SNSやスマホで情報を得たことは隠し通し、あらゆるやりとりをシミュレーションしておいて、ここぞというタイミングでそれを投入する。こちらも結果は似たようなもので、逆切れ→しぶしぶ和解という図式が当てはまる。
このふたつの例だけをとると、「見ないもん、大人だもん」なんてかっこつけているより、とりあえず入手できる情報は得ておいて、自分なりの対処をしたほうがいいのだろうか。男の人って、立場が悪くなると九割は逆切れするみたいだし。
携帯チェックなんて、しないほうが精神衛生上いいに決まっているのだ。チェックするということは、少なからず疑いの気持ちがあるわけで、そうなるとちょっとした業務連絡でさえ、二人だけの暗号を使ったやりとりに見えてしまうだろう。無駄に心をすり減らすなら、他のことにエネルギーをまわしたほうがいいのではないか。
今はたいていがスマホだから、見ようとしたわけでもないのに、見えちゃうことも多々ある。ポップアップっていうんですか、LINEやらフェイスブックやらiPhoneのメッセージが、ぴこん! という間抜けな音とともに画面に現れる、あれ。相手のスマホがあの音を発したら、思わず視線がそちらに向いてしまうよね。そして、わずかの隙に信じられないほどの情報をインプットする自分、その情報を消化しきれなくてあわあわする自分が情けなくなる……。
思えば、二十一世紀の恋愛は(大げさ過ぎですか?)、液晶画面に大きく左右されている。いろいろな出来事の大半が液晶画面の上で起こり、いつでもどこでも連絡可能がゆえに、連絡がないだけで不安にも怒りにも結びつく。スマホの出現で、「連絡先を教える」ということがひとつの意思表示だった時代は終わった。デジタル世代の奴らが知り合った相手を軽々とネット上で探して、一秒で「友達」になり、無邪気に文字と写真だけで交流をする様を横目で眺めていると、なんとなく理不尽な気持ちになる。
昭和を生き抜いてきた私たちが、なんでこんな目に合わなければならないのだろうか! おっと、話がずれてしまった。相手の携帯をチェックすべきかどうか、である。やっぱり、あれ、盗聴みたいなものだと私は思う。恋愛関係において盗聴が絶対ダメとは言わないけれど、その自覚だけは持っているべきだ。
あれははるか昔、かけてきた相手が誰かわからないのに、リンリン♪という音がするやいなや、家に一台だけの黒電話にダッシュしていた頃がなつかしい。あの時の自分のほうが、せつなくて、ときめいていた気がする。あ、思春期だったからか。