他者からの評価なんていらない。母になって知った、自分を好きでいることの大切さ
結婚4年目で夫を地元・関西に残し、東京へ単身赴任したasami81さん。35歳までに子どもを3人産みたいと準備を始め、ワークスタイルやライフスタイルを変え、今では3児の母になりました。母となり自分の中で変わったことは――。
23時、大きく前に出たおなかに手を当てながら、のれんをくぐる。ラーメン屋の店員さんが一瞬止まり、その後大きな声で「何名さまですか?」と聞いてくる。私は「見てわかるだろう、1.5人だよ」と心の中でつぶやきながら、笑顔で人差し指を立て「ひとりです」と言う……。-----
■周囲の「この夫婦別れそう」予想を裏切った
今夏5歳になった長男がいる。彼がおなかにいる頃、つまり初めて妊娠したときの私、29歳。当時は東京へ単身赴任をしていた。生まれも育ちも関西。結婚4年目。渋谷は人に突進されそうで怖くて行けなかった。
出産までの数年間、週末婚が続いていた。夫は、私が「男友達2人が東京で起ち上げたベンチャーへ転職・単身赴任したい」と言ったときも驚くほどあっさりとOKを出した。おそらく家族も、周囲の友人も心のどこかで「この夫婦、別れそうだな」と思っていたに違いない。実際にそういうふうに思っていたという声を後から聞いた。
今年で結婚10年目を迎えた。周囲の離婚予想を今のところ裏切っている。現在は長女と次女が増え、3兄妹となった。当時と違うことは、私がそのとき所属していたベンチャー企業を退職し、別の会社の社員をしていること。
その中でも最も違うことは働き方といえるだろう。今は在宅で、自分の好きな時間に仕事をしている。働く時間もかなり短くなった。
当時勤めていたベンチャーも、ブラック企業ではなかったおかげで、早朝から真夜中まで働かされるとか、徹夜続きなんていうことはなかった。ただ、仕事が楽しくて仕事のことばかり考え、プライベートと仕事の境界線を自分からあまり作らなかった。休日、カフェに行けば仕事のことを考えるし、手にとる本も仕事につながるものばかりだった。
■「赤ちゃんて、欲しいときにできるとは限らないんだよ」
そんな私が、出産後はバリバリ仕事をする選択肢を捨てた。その理由が「35歳までに3人子どもを産みたい」という目標を叶えるためだ。結婚した当初からその目標はあり「そのためには30歳頃に1人産まないといけない」と逆算してはいたが、仕事も楽しいし、まだまだ先かな、と思っていた。
そんな話をしたときに友人から言われた言葉でハッとしたことがある。「赤ちゃんて、欲しいときにできるとは限らないんだよ」。そうか、昔の定義では30歳ですでに高齢出産にあたる。不妊の可能性もあり、不妊治療をするなら早い方がいいだろう。ならば早期に避妊をやめなければ……。そんな流れで、ある程度覚悟はしていたが、まさか避妊をやめてたったの2ヶ月後、おなかに命が宿ってくれるとは思わなかった。
■「ごめんなさい」と思いながら働きたくない
業種や会社にもよると思うが、仕事が好きな人ほど、会社が好きな人ほど、妊娠すると「ごめんなさい」と思う機会が多いのではないだろうか。わたしの場合、初期はつわりで座っていることすらしんどく、中期は謎の動悸が頻繁に起き、出血も起きた。後期はおなかが前にすごく出て、息が苦しい。これまた座っていることすらしんどい。メンタルも大きく変わる。弱る。妊娠前よりも見事にパフォーマンスは下がり、自分でも落ち込む。タスクがどんどん他の人に振られる。ごめんなさい、ごめんなさい、毎日心の中で誰かに謝りながら働いていた。
当時を今振り返っても、とても恵まれた環境で、しかもチャンスにも恵まれていたであろうのに、それをうまく活かしきれなかった。そんな不器用な自分は、子どもを産んだあとにこの会社に復帰することは無理だろうと思った。なによりも「ごめんなさい」と思いながら何年も働くのは嫌だった(念のために言っておくと、私の後に妊娠出産をした女性が今もまだその会社にいるので、会社環境としては子どもがいても働きやすい会社であるはず)。
普通はそんな状態であれば、仕事を辞めて専業主婦になるという選択肢を取る。しかし私の場合、その選択肢を取りたくても取れない。なにせ、夫の収入が期待できないからだ。彼は彼でベンチャー企業を経営しており、収入が非常に不安定。目標は「自分の収入を途切れさせることなく3人産む」という具体的なものに変わった。
収入を途切れさせずに出産をするにはどうするか。その結論は「子どもを産み終わるまでは正社員でいる」というものだった。日本には正社員のためにあると言っていい制度がたくさんある。産休中の手当や、育休中の手当。夫が自由奔放に働くぶん、私自身は現実的に、着実に固定収入を得る必要がある。転職には自分の持てるすべてのもの、スキルはもちろんコネもフル活用した。
■あと5年は「こども5割、しごと3割、しゅみ1割、おんな1割」
3人目を産み終わった今、末っ子が保育園に預けられるようになったら今後どうしようかとワクワクしている。今の会社にもっと貢献できるような人間になってもいいし、会社を辞めて自分でビジネスを興したっていい。子どもがいたって、選択肢はいつも自分が選べる。大人になるって、本当に楽しい。
ただ決めていることは、どんな道を選んだとしてもあと5年、つまり40歳になるまでは「こども5割、しごと3割、しゅみ1割、おんな1割」でいくということ。子どもって、本当におもしろい。今、読書といえば児童心理学や育児に関するものがほとんどだ。それを学んで実践してみながら「こうやって育てたら将来どんな結果になるのかな」と思うのが楽しい。もちろん不安もたくさんあって、明らかな失敗もたくさんするのだけど。
この育児の経験が、将来的にビジネスにつながるかもしれない。だから、ではないけど、それもあって全力でやっている。育児ばかりに追われるこの日々を決して無駄にしてなるものか、というもったいない根性(?)である。
「おんな1割」というのは、おしゃれやスキンケアなどの美容はもちろん、1人の女性として見られるための努力である。今はもちろん夫から愛されるための努力になっているが、今後長い結婚生活、何があるかわからない。もし夫に愛想を尽かして(もしくは尽かされて)1人になったとき、新しい恋ができるように。そのときに「疲れた女」になっていないように。私は、おばさんになるのは怖くないが、疲れた女にはなりたくないと心底思っている。
■母になって初めて、真の自立ができた
わたしは昔から、自立には経済的自立と精神的自立があると思っている。そして精神的自立をするためには経済的自立が必要であるとも思っている。
経済的自立は、ひとり暮らしを始めた時点で親から自立し、結婚しても収入を得ることで、夫からも自立をしているということ。
だが、精神的自立がどうもできていなかった。どうしても人(夫)に依存してしまう傾向がある。依存、というほどではないかもしれないが「こんなに掃除をしたから気づいてほしい」「やってあげたのに、ありがとうって言ってもらえない」「こんなにがんばっているのに褒めてくれないなんて、どういうことだ」というようなことだ。
夫がアスペルガー症候群の気質があるので(診断されたわけではないが、特徴が似ている)、そのせいでコミュニケーションがうまく取れないと長らく思っていた。だが子どもが産まれて、そう簡単に離婚できない状況になって初めて「原因を他者においても何も解決しない」と思い自分を見つめ直すようになった。
その結果、自分自身がアダルトチルドレンなのではないかと思い始めた。アダルトチルドレンについての詳細は検索していただきたいが、私の場合は激しい虐待などはなく、恐らく「条件付きの愛情」を受けていた。これは母親も悪気があったわけではなく、無知なだけだったのだろう。しかしそのせいで他者、特に最も身近な家族からの評価を気にしてしまうのだ。
それに気づいて、子どもにはそうしないで育てようと誓った。無条件の愛を与えよう、と。うまくできないときもあるけど、常日頃から心がけている。
子どもに対するその行為が自分自身への癒やしとなっているのか、はたまた子どもから無条件の愛を受け取っているからか、子育てをしているこの5年間で少しずつ自分の中で変化が起こっている。
◯◯は、自分がしたいからする=だから他者(夫)からの評価はいらない
何をするときも、ほぼ、このように考えられるようになった。おかげで夫を責めることはものすごく減った(なくなってはいない……)。少なくとも、耐えられずSNSに夫の愚痴を書くことはなくなった(笑)。
自立とはどういう状況を指すのか、それは人それぞれ定義が違うかもしれないが、少なくとも私は今「やっと自立できた」という思いがある。精神的自立は今までの人生で常に課題、ある意味ゴールとしてきたものだ。やっと今、他者からの評価よりも自分が自分を好きでいられているか、ということを大切にできるようになったと思う。
3人の育児(夫もあわせると4人)、時にへこたれそうになるけれど、大変な中で見つけられる新しい自分をこれからも発見していきたい。
いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。