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ベッキーは古い女性観に縛られる必要はなかった

著名人の不倫騒動が相次いだ2016年上半期。ライターの西森路代さんが、ベッキーさん、円楽師匠の報道と世間の反応から、時代が本当に求めている男女観を考えます。

ベッキーは古い女性観に縛られる必要はなかった

ベッキーさんや円楽さんの不倫騒動を見て、男性の不倫報道で仕事がストップすることはないのに、女性だけが長い期間の休止期間を強いられたりすることに対して、何も思わないわけではありません。ですが、不倫というのは、それぞれに個別の事情があり、その後の対応でも世間の反応は違ってくるというのも事実でしょう。

二人の会見を見ていると、本人の思っていることがちゃんと伝わってくるのは円楽さんの会見であることは否めません。もちろん、ベッキーさんには言えない事情があるのはわかります。また、円楽さんの会見については、高座で培った話術にみんなが納得させられただけで、それを安易に信じてしまうのは危険というような意見もありますが、ベッキーさんにも、バラエティで培った話術があるはず。事情があるにせよ、自分の言葉で話せなかった(話させてもらえなかったのかもしれませんが)ことは、残念でもありました。

そして、ふたりの対応というものには、「今まで、男性や女性に求められている理想像」と、「その男女の理想像が、現在どう変化しているのか」を、ちゃんと捉えて会見に生かしたか否かが表れていたと思うのです。

■「女遊びは芸の肥やしにならない」古い固定観念を否定した瞬間

例えば、円楽さんの会見で残した言葉で印象的なのは、「昔は女遊びをしなさいとか言われたけど、芸の肥やしになんかならない」というものでしょう。私自身が、芸事の世界にこうした言い伝えがあると知ったのは、「芸のためなら女房も泣かす それがどうした文句があるか」という歌詞のある『浪花恋しぐれ』という曲がきっかけでした。

この曲は、1983年にリリースされ、上方落語の桂春団治の生き様を歌ったものです。モデルとなった桂春団治さんの破滅型の芸風は、後の横山やすし、藤山寛美、やしきたかじんなどにも影響を与えたそうです。私の知人が芸人を目指している男性とつきあっていたことがありますが、芸人たるもの、“女遊び”(という言葉もあまり使いたくないものですが)をしないといけないと思い込み、芸よりも“女遊び”に必死になってしまい、元来の女好きというわけではなかったのに無理が祟ってトラブルをあちこちで起こしてしまったというエピソードを聞いたことがあります。

しかし、長年「芸人とは(もっと言うと男とは)そういうものだ」と思われていたことを、当の芸人が「そうではない」と覆したことには、けっこうな意味があると思います。自分がやったことなんだから、反省して当然じゃないかと思う向きもあるかもしれませんが、長年そうだと思っていたことを急に、「時代錯誤だったな」という思いに至ることは、けっこう大変です。だからこそ、円楽さんが、古い男性観を不倫ということをきっかけに考え直したことは、悪いことではなかったと思うのです。

■ベッキーの状況が悪くなった理由

一方、ベッキーさんについて考えてみると、ベッキーさん自身がというよりも、ベッキーさんを取り囲む人たちの女性に対する旧態依然とした考え方が、ベッキーさんの状況を不利にしてしまったところがあるのではないかと思います。

それは、ベッキーさんが会見をするときの、異様なまでの清楚さにこだわったファッションや髪型にも表れています。また、SMAP中居さんの番組ではかなり自分の気持ちを吐露していましたが、会見では、自分がどう思ったかということを、極力答えないようにしていたところなども、不倫をしたときに女性が自分の思いを率直に言うべきではないという、ある種の清廉さを気にしてのことではないかと思われます。

もちろん、後で編集できるテレビの収録と会見が違うということもわかります。円楽さんですら、会見前に「今、初高座のような気持ちで非常に緊張いたしております。ですから、言葉違い、言い間違い等々あると思いますが」と前置きをしているくらいで、キャリアの違うベッキーさんが会見で緊張してしまい、何を言うべきか整理できない可能性があるということも十分考えられます。

また、中居さんのように、以前から番組で共演していて気心の知れた同業者であり、かつ、日本を代表する名司会者の話術の前では、気分がほぐれても、そうではない大勢の初対面の記者に囲まれては、同じように自分の気持ちが吐露できないということも考えられますが、ときには「申し訳ありません」という言葉を繰り返して、答えることを拒絶しているように見える部分もありました。

■なぜ女性の不倫は許されないのか

ベッキーさんがとにかく気持ちを吐露せず、謝罪に徹してしまったのも、ベッキーさんを取り囲む人々の、「女性の不倫は男性の不倫よりも罪が重く、とにかく謝らないといけないもの」と考え、自己犠牲を美徳とするジェンダー観が裏目に出ている気がしないでもありません。そこには、以前から好感度の高さを誇っていたベッキーさんだからこそということもあるかもしれませんが、もはや以前と同じイメージではいられなくなったからこそ、考え方を切り替えて、新しいベッキーさん像を見せてもよかったのではないかと思うのです。

ベッキーさん(とベッキーさんを囲む人たち)は、「女性の不貞行為は“特に”重い罪である」と思いこんでいるからこそ、恋愛感情はあったから不倫だけれど、不貞行為はしていないと会見や番組で強調してしまったのではないかと思います。でも、別にこのご時世、そんなことは見ている方にとってはどうでもいいし、どうでもいいことをことさらに言うことで、古いジェンダー観が透けてくるのですが、「かつての男女観が、現在どう変化しているのか」を考えれば、自分(と世間が期待していると思われる)の清廉さを必要以上に守る必要はなかったのではないかとも考えられます。

今回のベッキーさん側の対応は、女性だけが必要以上に世間からの制裁を受けてしまう空気を避けたいのに、そう思うばかりに、定型の言葉だけで謝罪をしすぎて、逆に自己弁護に徹してしまっているように見えてしまった部分もあったと思います。だからこそ、ベッキーさんを応援したいのに、会見に違和感を持ってしまった人が存在したのではないでしょうか。

もちろん、私はベッキーさんの対応を否定したいわけではありません。ただ、古い女性観に誰かが縛られているのを見るのは苦しいし、それは今時、世間にさほどウケるものではないのだなということが、認識されればいいなと思うのです。

西森 路代

アジアのエンタ―テイメントとそれを眼差す女性について執筆しているライター。俳優論やインタビューなど多数。著書に『K-POPがアジアを制覇する』、共著に『女子会2.0』がある。また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Li...

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