【ジルデコ chihiRo 連載 #1】ジャズコンプレックスの歴史
JiLL-Decoy associationのボーカルchihiRoさんによる、ジャズをテーマにした連載がスタート。ジャズバンドと呼ばれるジルデコですが、chihiRoさんが「一生“ジャズシンガー”にはならない」と考える理由は?
はじめまして!
JiLL-Decoy associationのボーカルchihiRoです!
この度DRESSで連載をさせていただくことになりました。
JiLL-Decoy association(以下、ジルデコ)は今や「ジャズバンド」と呼ばれることが多くなりましたが、以前はジャズバンドと呼ばれることを頑なに拒んでいました。
まず、私が全然ジャズシンガーじゃない。
ドリカムの吉田美和さんを夢見たドPOPSシンガーだったのです。
そんな私がジャズ関連の連載をさせていただくなんてドキドキですが、
そもそもジルデコがジャズへの入口になったら素敵だなと使命感に燃えていたのです。
「ジャズって敷居高い」「難しそう」そんなふうに思っていた私なりのジャズ入門を皆さんと共有できたらいいなと思っています。
■最悪だったジャズとの出会い
先にもお話しした通り、POPSシンガーを夢見ていた私は
「高校に入ったらボイストレーニングに通って、若さを売りにデビュー」を叶えるべく、親にお願いして近所のボーカルスクールへ通い始めました。
先走りがちな性格が祟り、ジャズの教室であることも気づかずに……。
そこで「おじさんおばさんの音楽(イメージ)」を習い始めます。
自分が思い描く歌を全く歌えないもどかしさで、ジャズの長い長いイヤイヤ期が始まります。
■逃げても逃げてもジャズが追いかけてくる
結局ジャズの良さがわからないまま、高校卒業まで通ったスクールをやめ、
とりあえず大学へ進学。晴れてジャズとはおさらば、と思ったのも束の間、
小学校時代の恩師から電話があり「歌をやっているなら、早稲田大学のジャズ研がうちの学校に芸術鑑賞会に来てくれるから歌え」。
またジャズ……。
同じ世代の真剣にジャズを学んでいる学生たちと一緒に演奏するのは「気がひける」以外の何者でもなく、「なんでこいつがジャズを……と思われているだろう」という被害妄想に押しつぶされていました。
その後、そのときのご縁でジャズ研の学生たちと何度か営業仕事やライブをやることになるものの、そこでまたジャズをイヤになる出来事がありました。
ジャズクラブとの出会いです。
1人、2人しかいないお客さんの中で歌う苦痛、終わったあとにマスターに
「君、ジャズわかってないでしょ」と言われる恐怖。
さらに毎回アプローチの違うイントロに戸惑い、歌が入れない。
コードが難しくて音が取れない。楽器のソロはいつ終わるのか。
アドリブなんて取れるわけがない。
そう、もうジャズは恐怖でしかなくなってくるのです。
若さを売りにデビューを夢見てシンガーソングライターとしての活動もしていましたが、デビューまで漕ぎ着けられず、あっという間に大学4年に。
こうなったら場数を踏んでなんとか音楽の道に……。
誘われるがままジャズ研で知り合ったお友達のセッションに出かけていくのです。
そこで出会ったのが後にジルデコのリーダーとなるドラムのtowada。
「実験バンド組みませんか?」と誘われ、ジルデコ結成に至るなかで、
「私ジャズはイヤです。ロックやりたいんです」と伝えると
「それはちょうどいい。最近すごいロックギタリストに出会ったから一緒にやろう」
しかしそれは嘘でした。
紹介されたギタリストkubotaは思いきりNY帰りのジャズギタリストだった!
■ジャンルではなく、誰とやるか
音楽の趣味が合う者同士の結成ではなく
「とりあえず10年続けましょう」そんな目標で始まったバンドでした。
ジャズミュージシャンとPOPSシンガーがバンドを結成したので、
それはそれは大変でしたが……。
彼らに出会ったおかげでジャズの魅力に気づいていきます。
ただし、14年というとてつもなく長い時間をかけて。
私は一生“ジャズシンガー”にはならないだろうと思います。
ときどきジャズシンガーと呼ばれ、人生は本当にわからないものだな、と感じます。
「I’m not a Jazz Singer」とロゴを入れたTシャツを作ったことも。
ジャズの入口が見つからない方、ぜひこんな私と一緒に入口を見つけてもらえたら嬉しいな、と思っています。