ニューヨークで学んだことVol.3 【松井里加のちょっとメイクが好きになる話】
メイクアップアーティストの松井里加さんが、ニューヨーク生活2年目を迎えたときのこと。憧れだったショー初日を迎え、大きな失敗をしてしまい、チャンスを棒に振ってしまいます。そんな中、母の言葉でハッと目が覚めて……。
失敗とは人生最大のチャンスでもあります。
ニューヨークでの生活が2年目に差しかかり、ニューヨークファッションウィークに向けて、ショーのメイクチームに入るため、自分の作品(ブック)を持ってエージェント回りが始まりました。
ファッションショーのメイクチームに入ることは私の17歳からの夢だったのです。自分の実力がどれくらいかもわかりませんでしたが、とにかく一生懸命作ったテスト撮影の作品を持って毎日片っ端からエージェントに電話をかけて、歩き回りました。
何日か経ったある日、ニューヨーク最大のエージェントから呼び出しの電話があり、
あの3Dの展開の作品が新しい発想でとても素敵だからファッションショーのチームに入ってほしいとその場で7つのショーのオファーをいただいたのです。
ちょうどそのとき、母が初めて私を訪ねて遊びに来てくれていて、一緒に手を取り合って喜び合いました。
こうして念願のファッションショーの初日を迎えました。当日のバックステージはとても狭く身動きができないほどひどく混み合っていました。
何とか隅っこに自分の場所を確保してその日の男性のヘッドアーティストのメイクの指示を必死で聞き取り、一人のモデルにメイクを始めました。しかし、メイクのカラーパレットが部屋の中央に1つしかなく、それを8人のメイクアップアーティストでシェアしろと言われ、そのカラーをブラシでつけに行くのもひと苦労。一番端にいた私はそのアイシャドーに辿り着くだけで何分もかかってしまうのです。
そのときふと似た色を自分が持っていることに気がつき、少し上から足してなんとか完成させ、最終チェックを待ちました。
するとヘッドの彼が私のメイクを見るや否や激怒し、怒鳴りつけてきたのです。彼が指示したアイシャドーはマットなテクスチャーなのにどうして君のアイシャドーはパールが入っているんだ!と。
私の顔からは血の気が引きました。「似た色を足した」と正直に告げると、君はマスカラ以外はもうしなくていいと言い放ち、二度と私のメイクを見てはくれませんでした。その日のうちに7つのショーはすべてキャンセルになり、帰りの道端で泣き崩れてしまいました。もう私はニューヨークにはいられないと思うほど、自分が情けなかったです。
そんなつらい思いから何ヶ月か経ち、尊敬するメイクアップアーティストのアシスタントに決まりました。しかし、そのとき彼に言われた言葉で、今でも覚えているものがあります。「君の作品はビジュアルとしては面白いものもあるけれど、メイクの実力があるかどうかは全然見えてこない」。
そのときやっと、私は自分のメイクがビジュアルばかりに囚われ、メイクするとはどういうことかもまるでわかっていなかったんだと改めて反省し、彼のアシスタントについて真剣に勉強しようと、気持ちを引き締め直しました。母に電話でそのことを伝えると、「今自分の身に起こっている全てを必要なことだと思いなさい。花にも土の時代があることを忘れないで」と言ってくれました。
憧れのパリコレクションに初めて参加できるまで、このときから2年の歳月がかかるとは考えもしませんでした。
Vol.4に続く。
photo by Yayoi Arimoto