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セックスレス=愛がない? 「恋愛結婚には数十年の歴史しかないんだから、工夫の余地は大いにある!」永田夏来 × 一徹対談

「恋愛・結婚・セックスの対象は同一である」そう考える人は多いものの、3つの役割をたったひとりが担うのは、実はとても難しいことなのかもしれません。今回は、社会学者の永田夏来先生&AVレーベル「RINGTREE」代表の一徹さんが、愛とセックスの中に存在する矛盾について考えます。

セックスレス=愛がない? 「恋愛結婚には数十年の歴史しかないんだから、工夫の余地は大いにある!」永田夏来 × 一徹対談

現代には「“愛”と“セックス”の対象は同一である」「愛情(恋愛感情)にはセックスが伴う」という恋愛と性的行為を結びつける考え方が根強くあります。それゆえカップル間のセックスレスが問題となり、浮気や不倫は「裏切り行為」とされる。

けれど、必ずしも「愛」があるから「セックス」をする、「セックス」をしたから「愛」があるというわけではないことに気がついている人もまた、多くいるのではないでしょうか。

愛とは無関係の相手に性欲を掻き立てられることもあれば、愛しているはずの相手が性欲の対象でなくなってしまうこともある。恋愛や結婚の価値観が変わりゆくいま、「愛」と「セックス」が孕んだ矛盾をどう乗り越えていけばいいのか――。

今回は、家族社会学の観点から結婚・妊娠・出産と家族形成について研究を行っている社会学者の永田夏来さんと、女性向けアダルトビデオに多数出演、“エロメン”として絶大な人気を誇り、レーベル「RINGTREE」を自ら立ち上げた一徹さんに、愛と性欲の割り切れない関係について対談していただきました。(聞き手:大泉りか)

プロフィール

永田夏来
1973年長崎県生まれ。社会学者。2004年に早稲田大学大学院にて博士(人間科学)取得後、現職は兵庫教育大学大学院学校教育研究科講師。家族社会学の観点から、結婚・妊娠・出産と家族形成について調査研究を行っている。単著『生涯未婚時代』(イースト新書)、松木洋人との共編著『入門家族社会学』(新泉社)他、共著多数。

一徹
1979年生まれ。大学卒業後、公認会計士試験の勉強中に見つけたエキストラ男優募集をきっかけにAV業界へ。業界初のメーカー専属AV男優として、女性向けAVメーカー「SILKLABO」で活動した後、自身のレーベル「RINGTREE」を立ち上げる。『セックスのほんとう』など、著書多数。Twitter:@1102_ringtree

■セックスレス=愛がない?

――パートナーとのセックスレスに悩む女性は多く、DRESSでもセックスレスに関する記事は反響の大きいジャンルのひとつです。その悩みは、「夫婦やパートナーとの間で解消できない性欲をどうすればいいのか」がひとつ。そしてもうひとつは「愛されていないようでつらい」ということなのですが、愛とセックスは、どうやっても切り離せないものなのでしょうか。

永田夏来(以下永田):話は学生時代に遡りますが、わたしの卒業論文のテーマは「既婚者のセックスレス」だったんです。90年代後半頃からずっと変わらず、男性だけでなく実は女性のほうも、セックスについて悩んでいるという実態があります。もちろん悩んでいる本人にとっては個人的な悩みなんですが、実はパターンがある。

――それはどういったパターンですか。

永田:特に多いものとしては、「妊娠してつわりや不安でセックスどころではないにも関わらず、夫の気持ちは切り替わらずに、求めてくるのが困る」と。そこから子どもが生まれて、夜泣きや授乳だってすごく大変なのに、夫が求めてきて嫌だ、となる。けれどもしばらくすると、妻側の身体が整ってきて「そろそろいいかな、ふたりめも欲しいし」って。でもそのときには、もう夫が求めてきてくれなくて、どうしようというパターン。“お母さん”になった妻のシチュエーションに夫がついてきてくれないことによって、夫婦間の生活がズレてしまって、セックスレスになる形ですね。

――妊娠・出産をきっかけに溝ができてしまうパターンですね。

永田:そこでわたしが興味深いなと思うのは、女性側がセックスをしたくないから断りたいときも、同時に「愛がないと思われたら嫌だ」と言うことなんですよね。嫌いになったわけじゃないけど、断ったら愛情が疑われるんじゃないかって。で、逆に自分がしたいと思ったときに求めてくれないとなると、「自分は愛されてないんじゃないか」と不安に思う。性行動を持たないことと、愛があるのかないのかっていうことが、個人の中でせめぎ合うんですよね。

――一徹さんは男性の立場ですが、やはりパートナーにセックスを断られると「愛がない」って思いますか。

一徹:経験がないときはそう思っていました。今は「そういうときもあるよね」って思います。

――セックスを断られても、愛がないわけじゃないと思えるようになった。その経験は、お仕事やプライベートでの恋愛を通しての変化だったのでしょうか。

一徹:以前は、生理のときはセックスができないとか、そういうパートナーの体調の仕組みがよくわかってなかったんです。受け入れてもらう努力をしているつもりで「じゃあ、裸になっているだけでいいから。僕、セルフでやるんでお願いします」って言って、汚いものを見るような目で見られたこともあります。

女性は自分で(マスターベーションをして)セルフコントロールができたからといって、「セックスレスは解消していないけど、満足」とはならない方もいるのでしょうか。もうちょっと違った欲求なんでしょうか?

――セックスを「性欲を満たすこと」ではなく「愛情の証明」として捉えている人にとっては、セックスレスは、パートナー間の関係性を損なうもの、夫婦間の亀裂の原因と考えるかもしれません。

永田:セックスレス自体が亀裂になるっていうよりも、セックスレスに代表されるような不信の積み重ねですね。セックスすれば万事解決するっていうわけでもないですし。ただね、確かにセックスすることによって「なんとなく、まあいいか」ってなったりもしますよね。お互いストレスも発散されるし、気持ちも通じ合ったような気になる。

■恋愛・セックス・結婚が一体化したのは90年代以降

――セックスと結婚を簡単に切り離していいものではない、という実情もあるわけですね。では、セックスと愛と結婚が結びついたのは、いったいどういう経緯があって、いつのことなのでしょうか。

永田:少なくとも一般の人々に関して言うと、戦前はお見合いで結婚をするのがメジャーでした。親同士の紹介で結婚するので、恋愛っていうものが結婚に関わってこないし、ふたりの間に愛が生まれて結婚するっていう前提がそもそもない。それよりも家風に慣れること、お舅さんやお姑さんにしっかり仕えてくれるかどうか、世継ぎが確保できるか。そっちの方が大事で、夫婦間の仲がいいとかはあまり重視されてないし、結婚以前にセックスを含む深い人間関係になることはメジャーではなかった。それが戦後になって、結婚に対する考え方も変わってきたんですよ。

――具体的には、どのような変化があったのでしょうか。

永田:恋愛で結婚したら夫婦が対等な感じになるんじゃないのかっていう期待があって、恋愛結婚が主になった。その後、恋愛に性行動が入ってきたんです。もちろんその前の時代にも婚前交渉する人たちはいましたが、それは後に結婚するという想定の中にあった。結婚するかどうかもわからない相手とセックスすることが一般的になったのは、90年代の半ばぐらい。セックスを含むお試し期間を経て、それから結婚、となったのは、ここ20年から30年ぐらいのことなんです。

――恋愛・セックス・結婚がひと続きのスタイルは、意外にも30年間の歴史しかないと。

永田:そう。だから、わたしが言いたいのは、結婚のあり方とか家族のあり方っていうのは、そう長くないスパンで変わるものだっていうことです。

一徹:それでいうと、僕は完全に90年代半ば以降の価値観ですね。恋愛ドラマど直球世代なので、恋愛の延長線上に結婚があるという考え方でした。が、同時に、かわいい女の人といっぱいエッチがしたい気持ちも持っていまして、そのときにエイヤッと業界に入ったクチです。

永田:いろんな人とエッチしたいと思うことと、誰かひとりのよきパートナーと関係を持ってその人と幸せな家庭を築きたいと思うことは、矛盾することではないと思います。そのことに真摯に挑戦しているのはポリアモリー(※)の実践者ですね。しかし一般的に考えても、いろいろな人と関係を広げる時期と特定のパートナーと関係を深める時期をそれぞれずらして体験した人は少なからずいるのではないでしょうか。

――一徹さんの場合、仕事としてのセックスをするわけですが、お付き合いされてきた女性たちは、それについてどう考えていたのでしょうか。

一徹:みなさん頭の中では理解してくださっているんですけど、心の底から納得しているかって言ったら、やっぱり疑問で。あるとき、AVの撮影で遠くにロケに行かなきゃいけない日に、ちょうど付き合っていた彼女が体調を崩しちゃったんですよ。で、彼女を残していこうとしたら「わたしが体調を崩してすごく寂しい思いをしているときに、よくほかの女とセックスできるね」って。

永田:それはなかなかきついね。

■自分の望むセックス、自分でわかっていますか?

永田:ところで、一徹さんは男性向けのAVに出演されることもあるんですよね。男性向けと女性向け作品との違いってなんですか?

一徹:女性向けはセックスをするふたりの関係性をしっかりと描くし、恋愛感情を表現する。一方で男性向けは愛情より欲情優先ですね。視聴者の嫉妬を煽らないよう、僕たちはなるべく喋るな、目立つな、と言われます。求められるものはだいぶ違います。

一徹さんのレーベル「RINGTREE」では、主に女性向けのアダルト動画を配信している。

永田:わたし今日、一徹さんにお聞きしたかったことがあるんです。AVって世の中の最大公約数に向けて、つまり“みんなが求めているもの”を演出するコンテンツじゃないですか。でも、実際の性行動っていうのは、“個人的なもの”ですよね。だからAVで描かれるセックスと実際のセックスはかけ離れた部分があると思うんです。作り手としてそこに矛盾を感じることってないですか。ぶっちゃけ、女性向けのロマンチックな作品とか「実際はこうじゃないよね」って思ったり。

一徹:感じることはあります。ただ、一度自分のレーベルで演出のない個人的なセックスを撮って出してみたこともあるんですけど、ファンの方は喜んでくれても一般には届かないなと思いました。リアルさって結構、地味なんですよね。

永田:それはポイントだと思うんですよ。他人の性行動を見る機会ってほぼ皆無だから、人は概ねメディアでそれを学習します。が、世の中に出回るコンテンツに描かれているセックスのコミュニケーションは、リアリティが曖昧だし、多くの場合女性が受け身なままで映像に収められている。だから自分自身がセックスでどうしたいのかを掴めていない状況に、多くの女性がいるのかなって思うんですよね。

もしくは「男の人がリードしてロマンチックなシチュエーションでセックスしたあとに、強い絆を感じられた」というような、女性向けのセクシャル系コンテンツのイメージにとらわれていて、そうじゃなかったら「なんか違う」って思っちゃう。自分が心の底から納得できる性的なコミュニケーションがイメージしにくい状況にあるんじゃないのかなと思っています。

――男性向けの作品は、多くの女性にとってはリアリティがないし女性はひたすら受け身。逆に女性向けの作品は、恋愛感情が中心となった演出が用いられている。「男性が好きなのはこういうセックス、女性はこういうセックスが好き」というジェンダーバイアスを強化しながら、さらに分断を生み出してしまう可能性もある。結局、モヤモヤしながら目の前にある教科書のようにセックスをしようとしてみるけれど、それが自分の望むセックスなのかどうかがわからずにいる、ということですね。

永田:それが夫婦のセックスのハードルを高くしているとも思うんです。挿入までいかなくてもいいから、手をつなぐとか、一緒にお風呂に入るとか、グラデーションがあってもいい。いきなり挿入までフルセットで行こうと思わなくてもいい。相手のことを考えて向き合っていく気持ちがあるなら、愛情を表現するためのバリエーションをいろいろ試してみることも可能なんじゃないかなって。

一徹:僕もハードルを下げた方がいいと思っています。多くの人が考えるセックスの定義って、「男の人が射精して終わり」というパターンじゃないですか。そうすると女性もプレッシャーになるし、男性も「イケなかったら相手に申し訳ない」「自分の気持ちが疑われてしまったらどうしよう」と心配になる。だから、「挿入や射精に至らなくてもお互いが満足ならOK」でいいんじゃないかと。裸になるわけでもなく、ただ抱き合うだけでもいい。けど一方で、それを頭で考えて納得できる人とできない人がいますよね。人間ってその辺の感情をコントロールできるのかな。

永田:それって男性のメンツみたいな話ですか。「挿入まで至らないとセックスとはいわないぜ」というような。

一徹:いえ、男性のプライドの話ではなく、男女問わず「挿入や射精に至らなくていい」と頭で理解していても、感情をうまくコントロールできず、恋愛とセックスと結婚が“三位一体”じゃないと苦しくなっちゃうこともあって当然じゃないかなって。そういう感情を、どうコントロールしたらいいんだろう。

永田:ああ、絶頂に至らないと、物足りなさがある。それは面白いねぇ。

一徹:先ほどおっしゃっていた、「相手にセックスを断わられたら愛されていないと思ってしまう」問題と同じで、「そんなことないんだよ」っていくら口で言っても、たぶん感情でお互い納得できないこともあって。言葉をいくら重ねても伝わらないこともありますよね。

永田:それはそうですよね。片方はフルセットでセックスをしたい、もう片方はしたくない。そのバランスが「手をつなぐ」で解消するかっていうと、セックスをしたい側が譲っているように見えるもんね。

■「そもそも恋愛っていうものは、なかなか恐ろしい仕組みなんです」

――言葉や「手をつなぐ」以外に、愛情とセックスの間を埋めるものって何かありますかね。

一徹:うーん……配偶者の方とのセックスレスがきっかけで僕のことを知って応援してくださってるって方ってすごく多いです。子育てがひと段落している方とか。旦那さんにカミングアウトして、僕のイベントに通ってくださって。その方と僕がセックスしているわけじゃないですけども(笑)。それで夫婦関係が良好だったらいいんじゃないかなって。

永田:ああ、わたしはそういうのがもっと普及したらいいと思いますよ。多くの女性が自分の性癖すらよくわかってない状態だとしたら、一徹さんが出演しているようないろんな作品を観てコンテンツに触れて、自分にとってのツボが何なのかを自分で開拓していくのは、ひとつの処方箋なんだろうなと思いますね。

一徹:あとは僕のような男優の存在を知ったことで、パートナーとのセックスレスが解消されたっていう方に会ったこともあります。僕はパス役ですよね。寝取られ役というか。

――一徹さんの作品に性欲を刺激されて、「手軽なところで夫としてみるか」ということですかね。

永田:なるほど。ほどよくリアルさを提供できているところが、AVのコンテンツとしての強みなんでしょうね。

――先ほど、一徹さんが“三位一体”と言っていたように、現状の制度の中では「恋愛」「セックス」「結婚」の対象を切り分けるのも難しいとも思うんです。けれど、たとえば一徹さんに代表されるエロメンといった存在を「推し」にして、恋愛パートを担わせるっていうのはひとつの手ですね。

永田:そもそも恋愛っていうものは、なかなか恐ろしい仕組みなんです。だって、非日常のワクワクドキドキを楽しむものだから。けれども、恋愛=結婚っていう価値観に沿えば、恋愛をしつつ日常生活の準備をするわけじゃないですか。そこがもうかなり矛盾している。だから、一徹さんのファンの女性のように、ワクワクドキドキの部分を外注するのはいいと思います。

日常生活から切り離した場所でときめきを充足して、一方でしっかり生活を組み立てていくためのパートナーを作るという戦略。そういう選択をしている人は、恋愛と結婚の矛盾に困ることはないんだと思う。

でも多くの人は、ものすごく好きでときめく相手と結婚したいと思っており、一番いい恋愛の結果として結婚があると考えていて。結婚後もときめきの感情を維持していこうとすると、どうしたって非日常と日常を同じ相手に求めることになってしまうので、矛盾が出てくるということですよね。

――一徹さんに疑似恋愛することはできても、結婚はもちろん、セックスもできないわけで。

一徹:僕が思うのは、「他者を介さないと自分の中の愛情を満たせない」「パートナーがセックスしてくれないから愛を感じることができない」ではなく、自分が一人称で人生を送れたほうが幸せになれるんじゃないのかなと。それは難しいことなんでしょうか。

永田:すべての人がそうだとは思わないけど、やっぱり「受け入れてもらわないと」「認めてもらわないと」と、他者ありきで自分の存在意義を認識するような状況に身を置いてしまう人はいます。けれども、男女問わず年齢問わず、相手頼みではないほうがもっと生きやすくなるんだろうな、とは思います。

一徹:セックスレスを解消するためのテクニックが溢れる一方で、パートナーとして仲良く暮らすスキルはおろそかになりがちだと思うんです。どうやったら楽に長く付き合っていけるかを考えるのが大事な気がします。

永田:夫婦は何十年も一緒に生きていくわけだから、やっぱり一緒に変わっていかないといけないんです。だから性的なこととか、肉体的なこととか、お互いにオープンにして、帳尻を合わせるような関係を続けていけるような努力こそするべきなのではないでしょうか。セックス込みの恋愛をしてから結婚するという形がまだ30年足らずの歴史しかないので、工夫の余地も大いにあると思います。

――「恋愛」「セックス」「結婚」をなかなか切り離せない我々世代の価値観と、どう折り合いをつけて、充実した生活と、幸せな人生を切り開いていくか。そのための第一歩として、まず一徹さんのレーベルの作品を観て、自分の性欲の有り様を自覚することから……ですね。今日は貴重なお話を、どうもありがとうございました!

※関わる全員の合意の上で複数のパートナーをもつ恋愛関係のこと

Photo/片渕ゆり(@yuriponzuu

大泉 りか

ライトノベルや官能を執筆するほか、セックスと女の生き方や、男性向けの「モテ」をレクチャーするコラムを多く手掛ける。新刊は『女子会で教わる人生を変える恋愛講座』(大和書房)。著書多数。趣味は映画、アルコール、海外旅行。愛犬と暮...

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