年齢という概念など捨てよう。それが女性の自由への近道。
4月に42歳を迎えた。自分でも驚くほどの年齢だけど、年を重ねる度に「若い頃より、今の自分のほうが好き」と心から感じていることに気付く。
その理由をひも解くと、自らに対する信頼が日に日に湧いている事が大きい。自分は自身の人生における唯一のパートナーだ。一歳ずつ年を重ねるにつけ自分と上手く付き合えるようになった。自分の思うように自分をコントロールできるようになり、上手く連れて行きたい場所に運べるようになってきたというか。そんな実感を持ってから、人生が楽しくなった。
もちろん、私も女性だ。年をとるのがうれしくない時期もあった。いつまでも若くいたい、きれいでいたい。若さが美しさであり、人生の可能性だと年齢に執着していた時期もあったと思う。そんな時期は、自分を持て余したり、自分を上手に取り扱えない時期でもあった。若さはあったけど、人生がままならなかった。
一般的に女性にとって節目の年ともいわれる30歳になる前は、正直なところすこし怖かった。でも、赤信号みんなでわたれば怖くないの気持ちでなんとなく乗り越えたように思う。
次に本当の恐怖心が芽生えたのは35歳頃。妊娠していたのに、離婚してシングルマザーになった時。会社も人生も転換期だった。何もかも上手くいかない。体もつかれやすくて、精神的にも不安定になった。もしかしたらどん底にいたのかもしれない。女性としても岐路に立たされ、ビジネスマンとして試練の頃だった。まるで第2の思春期のような日々。
でも、人生は続いていくのだ。パートナーを失っても、若さを失っても、仕事で失敗しても、時間は誰にとっても平等に重ねられていく。
私は人生から逃げたかった。苦しかったから誰かのせいにしたかった。置かれた状況を呪いたかった。けれど、そこには何の生産性もない事に気づいた。逃げたい気持ちをぐっとこらえ自分の足で踏ん張る事に決めた。
背負うものが大きくて逃げられない、というのもあったかもしれないけれど、まず、やったぶんだけ裏切らない「仕事」に愛情と情熱を傾けることにした。人が恐怖や不安などの負の感情を抱くのは自然な現象だから、そのエネルギーを全部、心身ともに自立に向けた。
とにかくしっかり生きようと心に決めて、体のトレーニングも再開した。苦しくても未来に少しでも可能性をみつけるように思考を転換した。いつでも無理にでも笑顔をつくった。
美容面でのケアにも気を遣った。美容皮膚科にかよって、肌のお手入れも怠らなかった。悪あがきかもしれないけど、納得できる自分でいられるように自らの気持ちと人生に真っ正面から向き合った。
そんなとき、サイバーの藤田社長に「苦労した人のほうが魅力的だよ」といわれて目が覚めた。そうだ、人生は経験から成り立つのだ、後戻りなんてしなくていいんだ、若さに魅力があるのでもない、人の魅力とは経験の積み重ねから醸し出される雰囲気なのだと気付いた。だったら苦労も歓迎しよう、毎日、美しい積み重ねをしよう、そう決めた。
自分が脚本家となって、自分を主人公とした人生という舞台を演出しよう。人生は自分で創り上げる1冊の小説であり、最高の作品なのだ。だからこそ「自分はこういう人生を生きたい」という強い思いこそが大事なのだ。誰かが標準化した生き方の真似をする必要はない。
そんな風に意識をかえてから、毎日積極的に生きた。人生は必ずよくなると信じ、好転していくシナリオを考えて演じ続けた。すると、時間さえあればすべてがよい経験に昇華されていった。時を重ねるにつれて、実りの多い生き方ができるようになった。
誕生日にあけてもらった私と同じ年齢のワインは、稀少でびっくりするほどの価値を生み出しているのだ。そんな生き方をしよう。年重ねれば重ねるほど価値を出す豊潤な女になろう。
そしていっそ年齢という重荷は下ろしてしまおう。そう、年齢なんて所詮、記号にすぎないのだから。
年齢という概念など捨てよう。
年齢という概念など捨てよう。
それが女性の自由への近道。
経沢香保子
Text / Kahoko Tsunezawa
DRESS 2015 7月号 P.194 掲載
経沢香保子(つねざわ かほこ)
桜蔭高校・慶應大学卒業。リクルート、楽天を経て26歳のときに自宅でトレンダーズを設立し、2012年、当時女性最年少で東証マザーズ上場。 2014年に再びカラーズを創業し、「日本にベビーシッターの文化」を広め、女性が輝く社会を実現するべく、1時間1000円~即日手配可能な 安全・安心のオンラインベビーシッターサービス「キッズライン」を運営中。オンラインサロン「女性起業家サロン」も人気。
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