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「だめだ」と言われても手放せなかったものたちが、私の“自分らしさ”になった

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マニキュアや口紅、パフスリーブ、スカート。かつて大人に「身につけてはいけない」と言われたものを決して手放さなかったことが、今の自分の装いを作っている。装うことと徹底的に向き合ってきたファッションモデルのイシヅカユウさんが考える、“自分らしさ”の正体とは。

「だめだ」と言われても手放せなかったものたちが、私の“自分らしさ”になった

■自分がときめくものは、着こなせるまでもがき続ける

私は、自分がときめくものは絶対に手放さないという強い意志を持っている。
ジャンルであれアイテムであれ、似合わないけれど好きなものがあったとして、それが本当にときめくものでも手放すべきなのだろうか?

私はいつも似合うような努力をする。たとえば、どうしても身につけたいけれど自分の肌や骨格に似合わない色があったとして、私はそれを身につけることを諦めない。自分で探し出したものでも、パーソナルカラーなどに基づいて診断されたものでもいいが、自分が圧倒的に似合うと知っている色やベーシックな色と組み合わせる、顔から離す、バッグの中の道具や小物、部屋着やインテリアなどで取り入れてみるという方法をとることもあるし、思いっきり全身にその色をまとって、気力で着こなすこともある。

とにかく、似合わないとされる色でも好きでどうしても身につけたいなら、着こなそうともがき続ける。その努力をしないでいつしかその色が“苦手な色”になってしまうことが、私にとってはとても寂しいし悲しいのだ。

■ファッションモデルをファッションモデルたらしめる絶対条件

ファッションモデルという仕事で一番大切なことは何かと言われれば、それは圧倒的なプロポーションでも背の高さでも美しい骨格でもなめらかな肌でもない。持って生まれた身長や骨格はモデルという職業において“あるといいもの”のひとつであるだけだと思うし、なめらかで均一な肌やプロポーションも、あくまで自分の表現や持って生まれたものをよく見せるために磨くものに過ぎない。

今はたとえば、これまでの社会的な美の基準に照らしたときに“よい”とされてきたプロポーションや肌の質や色ではない、プラスサイズのモデルや、私もそうであるようにそばかすのたくさんあるモデルだっている。つまりそういったものは必要条件というよりは、求められるひとつの指針のようなものというだけである。

では、ファッションモデルをファッションモデルたらしめる絶対条件は何かと言えば、“着る”ことについてどこまで真摯に向き合っているかだと私は考えている。ファッションモデルは服を表現することこそが仕事であり、着る対象とどこまで向き合うことができるか、それが表現において如実に現れると実感しているからだ。

もしもファッションショーで急にサイズが大きすぎるものを着なければならないことになったら(実際はフィッティングを経て本番に至るのでそのようなことはあまりないが)、脇を締めポケットに手を入れて少し布をキュッと押さえてみようとか、逆に空気をはらんで布が動き、服と体がお互いにより美しく見えるよう動いてみようなどと、自分に合わせて着こなすためにとっさに考えて実践することができる。

それは毎日毎日、似合う服もそうでない服もたくさん着て、着るたびごとに向き合い工夫し続けてきた集積がそうさせるのであって、それをし続けてこなければとっさにできることではないのである。これがファッションモデルをする上で一番に大切なことで、ファッションモデルがどんな服を着ていても、それを見た人が「着こなせている」と感じる理由のひとつなのだ。

よく服に“着られる”というが、それは服が体型に合っていないことに気づいていなかったり、立ち居振る舞いが合っていなかったり、とにかくその服と向き合っていないことが原因だと思う。いつでもそのとき着ているものとよく向き合っていれば、体型に合わない服であれば工夫ができるし、服に合う体の動かし方がわかってくる。また逆に、普段の自分の体型や動きにどんな服が合うのかも理解している。これが私の理想とするファッションモデルなのである。

■身につけてはいけないほど似合わないものなどない

ファッションモデルの場合、好むと好まざるとに関わらず、着る服に向き合い続けることが大事だ。けれどファッションモデルでなくても、自分が好きなものは何なのかを探し、似合う色や形、雰囲気を見つけること、そして、兎にも角にも自分自身と服の関係を考えること。あるいは、自分自身の心の中にある美しいと思うものと、現実に自分自身が持っているものにとことん向き合ってきた集積が、今の"自分らしい装い"を形作っている。それらに向き合い続けるのは、とても大切なことだと私は思う。

その過程で、自分に似合うものを見つけられたり、自分でこれは似合わないと思ったり、人に似合うと言われて身につけるようになったり、もしかしたら人に似合わないと言われて、本当に好きだったものを身につけなくなることもあるかもしれない。

身につけなくなったものも無理に着てみたほうがいい、と言うつもりはもちろんない。けれど少しでも後ろ髪引かれるものがあるのなら、私はぜひにもう一度向き合ってみることを勧める。モデルとして私なりに服と向き合って着てきた経験から考えてみると、身につけない選択を取らなければいけないほど似合わないものなどなく、好きだと思うもの、素敵だなと思うものなら誰でも、どんなものでも似合うと思うからである。

そしてそれを続けていくうちに、自分らしい装いを見つけられると信じているのだ。なぜなら他でもない私自身が、好きなものと向き合い続けていった結果を今の“自分らしさ”だと感じているからである。

■装いは、人の心を生かしも殺しもする

幼稚園の頃の記憶で今でも覚えているものがある。
当時セーラームーンに憧れていた私は、友達とセーラームーンごっこをすることになり、保護者がボランティアで作ってくれていた衣装を着て遊んでいた。しかし「さぁ、火星に代わって折檻よ!」と庭に出ようとしたときに先生に止められ、「スカートは脱ぎなさい」と言われたのだ。

そのときはどうして友達はいいのに自分だけだめなのか理解できず、とにかく先生の言いつけだからと脱いだ。

体と心の性別が一致しない、いわゆるトランスジェンダーの私には、体の性別を理由に自分の好きな装いを制限されてきた記憶が、今までに覚えていられないほどある。でもそこで「だめだ」と言われたものほとんどすべて、アクセサリーも、マニキュアも口紅も、長い髪もパフスリーブもピンク色もパンプスも、もちろんスカートも、今の私が私らしくある装いになくてはならないものだ。

それはかつて身につけることを許されなかったり、自分から諦めてしまったりしたものだったけれど、やはり諦めきれずに周囲の声や、ときには自分の羞恥心に逆らって身につけ続けてきた結果なのである。

これは性別によって親や学校などから身につけることを許されなかったものに限らず言えることで、肩幅があって身長が高いから似合わないと言われたことがある和服も、胸がなくてかっこ悪い気がしていたキャミソールも、ずっと諦めずに着続けてきたことでどんどんしっくりくるようになってきた。目が慣れたというだけではなく、自分の体でそれを着るときに一番いい丈や組み合わせ、歩き方や手の動かし方、気持ちの持ち方にいたるまでを体感で得てきたのである。

不本意な装いをし続けることは、自分の意見を表現しにくくなったり、心を閉ざしてしまったりすることにつながるとさえ思う。実際に私は中学に入ってしばらくの間学ランを着ていたのだが、それが本当に辛く、心を閉ざしてフラフラしながら学校に通っていたのを覚えている。登下校中、何度も車に轢かれそうになったりしたが、そんなときでも他人事のように何もせずボーっと立っていることしかできなかった。そんな日々が続き、中学2年生のときには、ついに心が折れきって家から出られなくなってしまったのだ。

しかし、そこから自分の好きなものを着られるようになって、少しずつ自分を表現できるようになっていった。装いはただ見た目を飾るだけのものとされがちだが、それしだいで人の心を殺すことも生かすこともできてしまうのだと、そのとき身をもって知ったのである。だから私は今、ファッションモデルという仕事をしているのだろうし、不本意な装いをし続けることの苦しさを知っているからこそ、誰でも好きなものを身につけていてほしいと強く思う。

向き合って身につけ続ければ、似合わないものでも必ず似合っていく。そして何より好きなものを身につけていることは、たとえそのときはまだしっくりきていなくても、どんなにかその人らしく、好きではないものを身につけるよりも絶対に心と体を美しく健康にしてくれると確信している。

Text/イシヅカユウ(@ishizukayu

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DRESS編集部

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