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不完全さを開示して生きる

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20代の頃は、自分の悩みに自分ひとりで対処できる人こそ大人だと思っていたというエッセイストの紫原明子さん。しかしあるときから、親しい人たちを頼る“実験”を始めたと言います。“実験”を経て、紫原さんが感じるようになった変化とは。

不完全さを開示して生きる

もう何年も使っている生理日記録アプリに、「パートナー共有機能」なるものがあると知ったのはつい数カ月前のことだ。妊娠しやすい日とそうでない日をパートナーに通知する、それだけなら避妊にはそもそも事足りないし、逆に妊活をしているわけでもない今の私にはまったくいらない機能。……なんだけど、実は単に生理日や妊娠の可能性だけじゃなく、今は少しイライラしやすい時期だとか、今は調子がいいので仕事がどんどんできるとか、生理周期から推測される私のその日の体や心の調子を、パートナーに毎日メールで知らせてくれるのだ。

私はPMSによる感情のアップダウンが激しい方で、生理前には決まって世界に絶望し、パートナーにその旨、聞いてもらうことになるのだけど、あいにく自分ではぐっと入り込んでしまっているのでそれがPMSだなんて気づく余裕がまるでない。

一方で聞かされる彼の方としては、突然わけもわからない落ち込みに付き合わされるより「今日のパートナーは気分が落ち込みやすい日です」なんて事前に通知が届いていることで、ホルモンバランスのせいだな、と心の準備ができるし、私の方も「生理前じゃない?」と指摘されることで、はっと我に返ったりもできる。

■生理直前になると阿修羅と化す私

私は普段は比較的穏やかに生きている。その証拠にかつて、実の娘から「お母さんはいいお母さんだけど、物書きとしては非常識な親だった方が売れてたのかな……」と申し訳なさそうに言われたことがあり、「バカ! 私はそんなことネタにしなくたって売れてやる!」と娘には言ったけど、その言い方も穏やかだったので残念ながら説得力は皆無だっただろう。

とはいえそんな私でも当然ながら心乱すことはあって、それはえてして生理直前の数日間だ。この時期にタイミング悪く肉体疲労や低気圧などの条件が重なったりすると途端にどっぷりと落ちる。

フリーランスの物書きという仕事柄、自分がいつまでこの仕事をやっていけるのかとか、果たして今誰かが自分の書いたものを必要としてくれているのだろうかとか、中身スッカスカの文章しか必要とされない腐った世の中だとか、日頃から小さくくすぶらせている不安や鬱憤や逆恨みがすべて何十倍にも膨れ上がり、無視できなくなってしまう。目に入るすべての生きとし生ける同業者への憎しみ、妬み、そねみの業火に焼かれ、阿修羅となってしまうのである。

20代の頃の私は、この荒波にはいつなんどきもひとりで立ち向かわなければならないものだと信じて疑わなかった。自分の悩みや葛藤、情緒の不安定さというのは紛れもなく自分の問題で、それを自分で処理できる者こそ大人、他人に頼るのは迷惑をかけることで、未熟な子どものやることだと思っていた。

ところが私生活でも仕事でも、至るところでパートナーシップを組んでは失敗し、また組んではまた失敗し、というようなことを繰り返すうちに、ふと、自分だけでどうにかできる自分でい続けることが、無性に寂しく感じられるようになってきた。「しっかりしてるね」と褒められることも、「頼りになる人間だ」と評価されることも、子どもの頃にはたしかにうれしいことだったのに、大人になってからというもの、そんな風に言われれば言われるほど、大切な人たちが自分から遠ざかっていくような気持ちになっていくのだ。

■オチもヤマもない話をする“実験”を始めた

人に迷惑をかけない、自分のことは自分でなんとかする。よかれと思ってやってきたこういうこと、本当はどれも間違っていたんじゃないの? と疑いだして以来、私は毎日の中で少しずつ、実験を試みるようになった。

家族やパートナー、友人など、信頼できる人たち、そばにいてほしい人たちにあえて、未完結な、オチもヤマもない自分の話を聞いてもらうようにしたのだ。もちろん、だからって無遠慮に感情をむき出しにして相手をサンドバッグにしたりはしない。ただ、たとえば「こんなに苦しいことがあった。でもそれを乗り越えた今こんな風にポジティブ」というように、ちゃんとした物語なら往々にしてあるはずの後半の展開が一切ない状態のままで話す。出口が見えない途中の状態を、ありのままに話すのだ。

半信半疑ながらもこういうことを数年かけて少しずつ(臆病なので本当に少しずつ)、親しい人たちとやっていく中で、次第にいい効果が生まれていると感じた。

そのうちのひとつは、他人への信頼が増したこと、以前より信頼できると思える他人が増えたことだ。なにしろエンタメ性も、サービス精神も皆無の完全なる私事を許容してくれる相手が少なくともこの世に何人かいるというのはすごいことだ。

絶望しかけたとき、その何人かの姿をたしかに想像できることで、自分が生きているこの世の中そのものをも以前よりも多めに信頼できるようになった。まだ途中の自分を受け入れられることによって、自己完結させなければ、というプレッシャーからずいぶん解放され、心に余裕ができた。その結果、自ずと他人にイライラすることも少なくなった。

■不完全な私たちの集まりが社会だ

もっと言うとこの実験では、アプリを使って私の心身の調子を把握してくれているパートナー(男性・50代)にも、じわじわといい相乗効果が生まれている気がする。

というのも驚くことに彼はこれまで、自分の体調に耳を傾けるということをほとんどしてこなかったというのだ。事実、付き合いはじめて1年ほど、彼が「疲れた」と口にするのを聞いたことがなかった。「疲れたと言うと余計疲れたと感じるから、言わないようにしている」とさえ言っていた。そんな彼に、数年にわたって私の心身の調子を報告し続けているうちに、いつしか彼もまた「今日は調子悪いな」とか「さすがに疲れたよ」とか、自然と口に出すようになってきた。

大人の社会には「体調管理も仕事のうち」なんて恐るべき言葉があって、特に私のパートナーが20代の頃の日本はいわゆるバブルの真っ只中、「24時間戦えますか」というCMソングが流行語になったりもしていた時代だ。不調や疲れを露呈するのは今以上に社会人失格の行為とみなされていたんだろう。

だけど、至極当たり前のことだが私たちがどう頑張ったところで、病気にかかるときにはかかる。最上級の管理下で守られていたであろうイギリスの首相だって新型コロナウイルスに罹患したくらいで、自分のことを全部自分でコントロールできるほど人間は完全体じゃないのだ。

私たちは不完全で、不完全な私たちの集まりが社会なのだ。にもかかわらずそれを頑として認めず、あたかも完全であるかのように装って生きるべし、それができなければ大人失格と、よく考えれば私たちの社会はいつもそうやって、無理難題ばかり押しつけてきている。

果たして、こんなやせ我慢大会を一体誰が望んでいるというのだろう。一枚ベールを剥げば、本当はみんなうんざりしているんじゃないか。多くの人は、ただ慣習になっているというだけの理由で疑いもせず、無抵抗に従っているだけなんじゃないだろうか。

体の不調は誰にだってある。何も私たちのPMSや生理痛のみならず、睡眠不足や疲れ、風邪や腹痛など、生きているのだから日常的に何かしらある。私たちはそんな風に、最初から脆弱性を持って生まれてきているのだから、むしろそれを、不完全な者同士が繋がり合い、助け合いながら生きていくためのフックと捉え、他人同士で許容しながら生きていく形を探るほうが、ないことにするよりはるかに自然なことではないだろうか。

生理のこと、あるいは精神状態のこと、あるいはそれ以外の体調のこと。極めて私的で、大人として他人に共有すべきでないと思っているあれこれを、勇気をもってまずは自分から他人に打ち明けてみる。一見迷惑をかけるようで気が引けるその行為が、案外それを受け止める誰かの肩の荷を下ろすことにも、つながるかもしれない。

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紫原 明子

エッセイスト。1982年福岡県生。二児を育てるシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。『家族無計画』『りこんのこども』(cakes)、『世界は一人の女を受け止められる』(SOLO)など連載多...

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