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世界一美しい広場を持つ街 〜ミラノ通信#35

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ミラノに住む人たちが口を揃えて言う「世界一美しい広場を持つ街」。それがロンバルディア州パヴィーア県にあり、人口約6万人、県都パヴィーアにつぐ第二の都市「ヴィジェーヴァノ(Vigevano)」です。今なおルネッサンスの面影を残す広場が当時のまま、人々の生活の場となっているこの都市の見どころをご紹介します。

世界一美しい広場を持つ街 〜ミラノ通信#35

世界一美しい広場を持つ街。イタリアのさまざまな地方で、それぞれの広場を指してこう呼ぶことが多いです。やはりイタリアは自分の地元がどこよりもいい、と誇りを持つ民族なのだな、と思っています。

ただ、ミラノではあまり聞いたことがなく、逆に隣町の広場が世界一美しい、と教えてくれる人が多数。その街の名は、「ヴィジェーヴァノ(Vigevano)」、ロンバルディア州パヴィーア県にあり、人口約6万人、県都パヴィーアにつぐ第二の都市です。

ミラノ、ポルタジェノバ駅から列車で西へ30分、ミラノと同じく14世紀にはヴィスコンティ家、15世紀にはルネッサンスのパトロンとして知られるスフォルツァ家の領地であったヴィジェーヴァノは、戦時中に爆撃を受けたミラノと違って、未だにルネッサンスの面影を残す広場が当時の姿のまま、人々の生活の場となっています。

ドゥカーレ広場の回廊

壁面を飾るモチーフ

回廊内はアーケード、現在はカフェやファッションなどの店舗が入る

ドゥカーレ広場は、もともと民家が散在していた場所に、当主ルドヴィコ・イル・モーロの命を受け設計したレオナルド・ダ・ヴィンチの案を元に、最終的にブラマンテにより、スフォルツァ公国の輝かしい広場となりました。

その広さは、縦134メートル、横48メートル、コの字型の柱廊に84本の円柱、柱や壁面にはスフォルツァ家代々の人物像や紋章、花のモチーフなどが描かれた、なんとも優雅な回廊です。

バロック様式のファサードが印象的なドゥオーモ

バロック様式のファサードが美しいドゥオーモは、コの字型の最後の一辺を塞ぐよう建設され、広場の中心軸に合わせるために少々湾曲していて、背後の教会が広場の中心軸からずれているのを隠している、とか。

優雅なカーブを描くファサードは美のためかとばかり思っていたら、裏にはそんな事情があったのかと、改めて歴史の面白さの一端を垣間見て思います。

当時は面目ない、美しくないと非難を浴びたものでも、後に賛美され、シンボリックな存在となるものがあります。パリのエッフェル塔がいい例ですね。

さて、広場に隣接しているパラッツォ・ドゥカーレ(Palazzo Ducale)は、かつて城塞、スフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)だったものを住居としての城に改造したもので、ルドヴィコ・イル・モーロの意向によりこちらも広場設計のブラマンテの監修でルネッサンス様式のパラッツォが完成しました。

城塞を改造しているため、優美なパラッツォというより厳しい城塞のイメージなのは、同じ経緯で同時代にブラマンテの手により改造された、ミラノのスフォルツェスコ城と一緒です。

ブラマンテの建築の集大成、ルネッサンス建築における古典的様式は、ローマに移った後に手掛けた、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会の回廊や、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の改装プランに色濃く見られます。

ルドヴィコ・イル・モーロが妻のベアトリーチェ・デステのために作らせた貴婦人の間の外観

壁面には、壁画が残る場所も

移動手段が馬車であった時代、厩舎は城にとって重要な施設であり、パラッツォ・ドゥカーレにも3つの厩舎が使われていました。そのひとつは、花崗岩の円柱とクーポラ天井が美しく、厩舎とは思えない優雅な空間。

優雅な空間、円柱と天井が特徴的な厩舎

最も古い厩舎はゴシック様式、城に直接通じる道は屋根付きの二重式通路となり、馬車でも通れるよう幅7メートル、長さは164メートルにも及んでいました。

ゴシック様式の厩舎、かつての城で重要な施設だった

城壁からすぐ下には、立ち退きを免れた居住区が残る

また、ヴィジェーヴァノは靴の生産地としても有名で、中世から現代までの靴の博物館もパラッッツォ内に併設されています。

かつては貴族階級のみの特権だったという靴は、もともと室内でスリッパのように履くものであり、外を歩き回る用途ではなかったため、かなり手の込んだ作りの華奢なものでした。

1495年頃、ベアトリーチェ・デステの靴、ブックに残る図案は下駄のよう

上段:1800年代前半、どれもかなり華奢な作り、歩く道具ではなく、足を覆う芸術品のような存在
下段:1800年代末、外で歩き回る用に現代に通じる作りに変化

1950年代の靴

ヴィジェーヴァノには古くから靴職人がいて、教皇に献上する靴なども作られていました。その後、1930年頃に製造された女性用の運動靴が流行し、1953年にピンヒールが考案されて、その美しさを競う芸術品のようなヒールが生まれます。

靴の生産で有名だったヴィジェーヴァノですが、靴の見本市もミラノに移動してからは次第に衰退し、時代とともに靴の生産が他の場所に移った現在では、ほとんど生産はなく、博物館を残すのみとなっています。

靴の博物館の他に19世紀の美術品を集めた絵画館、考古館も併設されているので、興味のある方は是非どうぞ。

美しいヒールのコレクション

靴職人の仕事場を再現したもの

地方にはカッシーナ(Cassina)と呼ばれる、宿泊と食事ができる旅籠のような建物が残っているところがあります。

厩舎も併せ持っていた大きな土地で、今も庶民的なレストランとして営業しているところも多く、その土地ならではの料理と田舎の雰囲気を味わえますよ。

現在もアグリツーリズモ(Agriturismo)というカテゴリーの農園ホテルとして営業しているところも多数あります。

この日に立ち寄ったヴィジェーヴァノ郊外のカルロ・エ・ナディアでは、近くの森で採取されている蜂蜜や新鮮な卵も販売していました。

地方に足を延ばす機会があれば、こんな雰囲気のレストランもイタリアらしくおすすめです。

ヴィジェーヴァノ郊外にある農園ホテルのレストラン

■Carlo e Nadia
Via Cararola 105, 27029 Vigevano
Tel.0381-341624

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河見 恵子

日本航空で15年間、国際線客室乗務員として勤務。退職後はミラノに居住し、東京と往復する生活。ミラノ・ブレラ地区を中心に、身近な情報をブログやFBで発信。ミラノでは在イタリア日本人のために料理教室をオーガナイズ、開催。ワイン好...

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