SMの女王様が教えてくれた、性を楽しむかっこよさ
知り合いのSM女王様に久しぶりに連絡したら「30代になってから性欲オバケです」って返ってきた。 性に奔放な人は、どうしてこんなにもかっこいいのだろうか。
※この記事は2018年11月6日に公開されたものです。
■性欲がなくても愛情は成立する
ついうっかり、セックスレスをカミングアウトしてしまったことがある。
私は6年前に結婚していて、子どもはいない。
そのことについて、友人に「欲しいと思ってなくても授かることもあるしね」と言われたので、何気なく「うち、しないから意図せずに授かることはないよ」と返した。
それは、私にとって悩みでもなんでもない。
だから軽い気持ちで口に出してしまったのだけど、友人は悲愴な表情になる。
「そっか……。でも、大丈夫だよ。周りでもセックスレス解消できた夫婦いっぱいいるし!」
突然の励ましにギョッとした。
そうか、我が家はセックスレスなのか。
それは解消すべきことで、励まされてしまうことなのか。
私は、自分たち夫婦がセックスレスだということに気づいていなかった。
いつから行為をしていないのか思い出せないけど(つまりは思い出せないくらいにしていない)、それが自分にとっては自然なことだったので、突然「セックスレス」という言葉で言い表されて戸惑った。
家に帰ってから、夫に「我々は世に言うセックスレスというものらしい」と言ってみた。
夫は腕を組んで「そう言われればたしかに」と難しそうな顔をして見せる。ぜんぜん深刻だと思っていないことが丸わかりだ。
「なぜでしょう?」
「……性欲の減退?」
「それな」
私たち夫婦はここ数年、ふたりとも性欲がない。若い頃は人並みにあったけど、いつの間にか枯渇してしまった。 だからセックスをしないわけだけど、「愛情が冷めた」とは思わない。
お互いに愛情はあると思う。
私は夫といるときがいちばん心穏やかだ。
「セックスレスでも、お互い困ってないんだからそれでいいよねぇ」
「うん。解消すべきことって人から決めつけられるの、ヘンだよね」
晩酌をしながらふたりで頷きあった。
■性に奔放なことは悪いことではない
今の私は性欲があまりないけど、かといって性的なものへの嫌悪感もない。
「性欲を満たすため」
「性を楽しむため」
というポジティブな動機であれば、性に奔放なのは悪いことではないと思う。
だけど世の中には、性に奔放な人に嫌悪感を示す人もいる。 高校のとき、親友が「中学のとき同じクラスだったAちゃん、今ヤリマンでクラスの男子の半分くらいとやってるらしいよ」と眉をひそめて言った。
もしもAちゃんが「自己肯定感の低さからセックスを断れない」といった理由でクラスの半数と寝ているのであれば、それは彼女の心身にとっていい状態とは言えないだろう。
私がAちゃんの友人であれば、心配するかもしれない。
けれど、実際のところAちゃんがどういう思いで奔放になったのかはわからない。
純粋にセックスを楽しんでいるのかもしれないし、自分の性欲に忠実なだけかもしれない。
本人が納得してるなら、それを非難する権利なんて第三者のうちらにはなくない?
そう思ったけど、Aちゃんを肯定すると私まで眉をひそめられそうで、言えなかった。
■純粋に性を楽しむ人はかっこいい
先日、数年ぶりに知人のSM女王様とLINEをした。
仮に麗子さんとしよう。
麗子さんとは、私が専門学校生のときに知り合った。
出会ったときの彼女はキャバ嬢だったけど、その後、「趣味と実益を兼ねて」と女王様に転職。それから今に至るまで、女王様一本で生計を立てている。
彼女とは友達と呼べるほど近しい関係ではなかったけど、わけあって、わりと頻繁に顔を合わせていた。ふたりきりで会ったことも一度だけある。
そのとき、私は終電を逃して彼女の家に泊めてもらった。
「部屋着貸してください」とお願いしたら、「Tシャツとか持ってないの」と黒いロングドレスを渡され、衝撃を受けた。
「寝るときなんて全裸に香水だよ」と言われ、「マリリン・モンローじゃないすか!」と爆笑したのを覚えている。
彼女と出会ったことで、私はSMの知見を得た。
そんな知識を持っていなかった私にとっては「えっ、そんなことするんですか⁉」と仰天することばかりだったけど、私は決して、麗子さんの話に眉をひそめることはしなかった。
彼女にも、彼女の話に出てくるM男たちにも、軽蔑の気持ちはない。
なんていうか、自身の性癖と向き合って快楽を追及する彼らに、求道者のような美しさを感じた(ちなみに「琵琶湖のほとりに腕のいい鞭職人が住んでいて、彼の作る鞭は音も痛みも芸術的」というなんだか妙に詩的な話はいまだに忘れられない)。
麗子さんとはここ10年くらい会っていないし、LINEもずっとしていなかった。
けれどなぜか突然、彼女と連絡を取りたい気分になり、私から近況を尋ねるLINEをした。
突然のLINEに、麗子さんは丁寧で誠実な返信をくれた。その中に「30代になってから性欲オバケです」という一文があった。数年ぶりのやり取りでもサラっとそういうことを言えるのが、彼女らしくて素敵だな、と思う。
彼女は昔から、自身の性欲に肯定的だ。
奔放でオープンで、自由に性を楽しんでいる。
それは、「自分の在り方を肯定する」という彼女の主義からきているのだろう。 だけど、もともと自己肯定感が高い……というわけではない。
私が出会った頃の彼女は、コンプレックスと向き合って悩んで、傷だらけになって自分を受け入れている最中だった。
「自信のある人は魅力的だから、私もそうなりたいの」
彼女はよくそう言っていて、自己否定的な感情と戦っていた。私も、自虐的なことを言うたび、「そんなこと言っちゃダメ。サキは可愛いんだから」と叱られた。
学校を卒業したあたりから自然と、麗子さんと会うことはなくなった。
だから私は、30代になってからの麗子さんをSNSでしか知らない。 スマホの画面越しに見る30代の彼女は、すっかり自分を肯定する術を体得し、自信に満ちて、人生を謳歌している。
「SNSだからそう見えるんだよ」と思う人もいるかもしれない。けれど、麗子さんの姿や言葉には嘘がないことがわかる。 彼女は、「自分に自信のある魅力的な人」を演じ続けることで、それを演技ではなく本物にしたのだ。
そんな彼女を、私は心底かっこいいと思う。
■誰かの性を否定したり、決めつけたりしない
私は見た目が地味で口数が少ない。
そのせいか、たまに「あなたみたいにおとなしい女性はいやらしい話が嫌いでしょ?」と決めつけられることがある。 そういうとき、なるべく「そんなことないです」と答えるようにしている。
いかんせん気弱だから言えないこともあるけど、できる限りそう言いたい。
性や性欲を否定したくないからだ。
性を否定することは、麗子さんのように心から性を楽しむ人の価値観を否定することになる。私は、それを自分に許したくない。
社会は性に対する偏見に満ちている。
奔放だと眉をしかめられ、セックスレスになれば「悩んでる」と決めつけられる。
「そんなの、他人が決めることじゃないだろう!」 ……そう叫びたくなることが、私にすらある。きっと、多くの人が偏見や軽蔑の眼差しに苦しんできた。
誰かの性を否定したり、決めつけたりしない。
それを自分に課すことは、巡りめぐって自分の性を肯定することにつながると思う。
1983年生まれ。noteにエッセイを書いていたらDRESSで連載させていただくことになった主婦です。小心者。