すべての経験はつながっていく【書道アーティスト、宇宙さん】
オレゴン州で書道アーティストとしての地盤を固めつつある宇宙書道(そら・しょどう)さん。元CA、お子さんが3人いるなどの噂もちらほら。日本でいわゆる一軍女子のキラキラ人生を邁進していても不思議じゃない彼女が、なぜオレゴンで書道? 彼女にその道を歩むまでのお話を伺いました。
■空を飛んで、世界へ! 子どもの頃からの夢の実現
インタビューに伺ったのは、彼女の自宅裏に設けたアトリエ。壁面にたくさんの大きな作品がかかっています。
――今日は、宇宙さんが「書道アーティスト」という道を選ぶまでの経緯や、仕事についての考え方などを聞かせていただきたいと思っています。
早速ですが、宇宙さんは以前、当時のキラキラ女子代表職ともいえる、国際線客室乗務員をしていたんですよね?
はい、国際線で働くことは子どもの頃からの夢でした。小学生のときに当時の人気ドラマ『スチュワーデス物語』を見て憧れて。「教官!」って言ってみたかった(笑)。あと、私の母が「身長が足りなくて諦めた」って話も影響してたかもしれません。
中学のスピーチコンテストでも「空を飛んで、世界中に行きたい」って大勢の前で発表したくらい決心は固かったんです。
ーー有言実行ですね! 夢の職場はどうでしたか?
やっぱり現実は違いますね。研修の安全訓練で上手くいかなくて落ち込んだり。機内はいろいろなお客様がいますし……。でも、世界の国々をたくさん見ることができたのは、本当によかったです。
ーー退職したのは、アメリカ人の旦那さんとの結婚がきっかけですか?
大学のキャンパスで今の夫と知り合ったんですが、付き合い始めてすぐに彼が留学を終え、帰国してしまったんです。私の就職が決まってから実際に仕事が始まるまでの間、彼のところで過ごしたりもしましたが、その後は遠距離です。
仕事が始まってからは、私はもうそっちに夢中で、正直、アメリカに行く気は全然ありませんでした。正社員になるまでは絶対に辞めたくなかったし。
でも、そんな私の様子に心配になったのか、建築学部を卒業した彼が就職もせず、親の反対も押し切って、日本に英語の先生として来ちゃったんです。
ーーそれで、説得されちゃったんですか(笑)?
この人なら、家族になっても大丈夫って思うようになったかな。子どもが絶対に欲しかったんです。客室乗務員は不妊になりがちっていうのも気になっていました。
それで結局、正社員になってしばらくして結婚、退職しました。
■ギャップに苦しむアメリカでの生活
ーーアメリカでの生活はいかがでしたか?
新婚ですぐに妊娠して、今思えば幸せだったのですが、当時は華やかだった東京の夜と、さっさと眠るような田舎の静かな生活とのギャップに凹んでましたね。
仕事を探したのですが、なかなか見つからなくって。日本の国際線の客室乗務員という経歴が、こちらではまったくステータスにならないことにも落ち込みました。
結局、スターバックスでバイトを始めたんですが、英語がペラペラじゃないので、バイトの先輩とはいえ、15歳の子にバカにされたりして。ほんっと悔しかったんです!
そのうち悪阻というか、だんだんコーヒーの匂いに耐えられなくなって、辞めちゃったんですけどね。
出産後はずっと子育て中心の生活です。これっていう仕事も見つけられなかったし、夫の仕事は出張が多くて、自分が家にいて、3人の子どもをみていました。夫の転勤もありましたね。
ーー確かになかなかのギャップですね。
元同僚たちは、まだまだ華やかな感じでしたからね。
しかも、末っ子が3歳の頃、夫が「日本で古民家暮らしがしたい!」って言い出したんです。
随分前からその夢を温めていたんだと思うんですけどね。もともと日本が大好きで、宮大工が夢って人でしたから。
彼は仕事も辞めちゃって、大分県の私の実家の近くにあった古民家を改修して暮らすことになったんです。
■仕事のステータスと家族としての幸せ
写真提供:宇宙書道
ーー宇宙さんも古民家、好きだったんですか?
全然! 私は素敵なマンションが好き(笑)。でも、夫の夢だし、子どももその気だし、実家の近くだし……。
とはいえ、その古民家の家主さんに、「本気で住むの? もう壊そうと思ってたんだよー」って言われたくらいの家なんですよ。子どもたちがまず何をしたと思います? イノシシの骨拾い! 多分、猟師がそこでイノシシ捌いてたんじゃないかと(苦笑)。
ガスも水洗トイレもないし、隙間風は寒いし。お風呂を沸かすのだって、薪を割るところから始まるんですよ。
写真提供:宇宙書道
ーーなかなか痺れますね。
でしょう? でも、だから家のことは夫に任せて、私は外で仕事を探すことにしたんです。地元テレビ局のディレクターに採用されたんですよ。国外で暮らした視点から日本の国宝を紹介する番組を作ったんですが、本当に勉強になりました。日本ってすごいなぁって。その後は、報道レポーターとしても働きました。
ーーまた華やかな世界に戻りましたね!
近所じゃ、「あのボロ家にキレイな姉さんがいる」って噂になってたくらい(笑)。
でも、あのときは、やっぱりステータスにこだわっていたんだと思います。アメリカでの反動もあって。
家族で火を起こして、囲炉裏を囲む団欒の時間って本当に貴重で幸せな時間だったのにね。外の仕事が忙しくて、あまり家にいなかったんです。
ーーなぜアメリカに戻ることになったのですか?
お金が尽きた(笑)! 子どもがピアノやサッカーに興味を持っていたから、どんどん応援してあげたいけれど、お稽古事って、本気になればなるほどお金がかかるでしょう。それで夫もまたアメリカで元の会社に戻ることにしたんです。
でも彼が先にアメリカに戻っちゃって、私は時間の融通が効く市の英語の先生をしながら、古民家でしばらく子どもたちと暮らしたんです。もう、慣れるまでが大変! 最初はお風呂を沸かすだけで4時間くらいかかったんですよ。
■「広い世界を持っているから、飛びなさい」
ーーアメリカに戻って、とうとう書道に出会ったんですよね?
書に凝っていた友人の家の飲み会で、みんなで遊びで字を書いていたら、私の字を見た友人が「本格的に習うべきだよ」と勧めてくれたのがきっかけです。
友人の師匠の教室を訪ね、先生の字を見たときに「この字、生きてる!」って衝撃を受けました。そこで先生に師事することを決め、それからは夢中で練習しました。
実は6歳の頃から中学2年の頃まで、書道を習っていたんですが、すっごく厳しい先生で、3時間正座でお手本をなぞるようなこともしていました。当時はだんだん面白くなくなってやめたのですが、今思えば基礎が身についていたんでしょうね。
そのうちに勧められて展覧会などに出展するようになり、今年、晴れて創玄会一科に昇進しました。
写真撮影:小杉朋子
ーー書道会での受賞をきっかけに、これをキャリアにしようと思ったんですか?
先生に「宇宙」という雅号をいただいたとき、心が決まった気がします。
まさか「宇宙」と書いて「そら」なんて思いもしなかったので、本当にびっくりしました。しかも、こんなスケールの大きな名前をいただいて恐縮する私に、「あなたは広い世界を持っているから、この名前を選んだのです。自分を信じて、そらを飛びなさい」っておっしゃっていただいて……。
そうか、私が幼い頃から目指していた「そらを飛ぶ」ことは、客室乗務員としてじゃなくて、書道でするべきだったんだ! って。
■すべての経験がつながって出会えた天職
ーー書道を始めてから、一番印象に残っていることは何ですか?
「舞」の字や「鳥」の字を書いたとき、日本語を読めない地元の人が、「ダンス!」「バード!」って言い当てたことです。心を入れて書くと、絵になるのかも! って。
写真提供:宇宙書道
ーー宇宙さんは、書道のライブパフォーマンスをたくさんしていますよね。それが宇宙さんのメインの活動なんですか?
パフォーマンスは、五感をフルに使って、呼吸を合わせて、音楽家や観客、みんなが一緒になるその瞬間の力を感じられるのが魅力です。その場のエネルギーが込められた書は、毎日姿を変えて、新鮮に見えます。
ただ、今はアートとしての側面に加え、書道に興味を持ってもらいたくてパフォーマンスを選んでいるところもあるんです。
他にも、まず書道を知ってもらうために、ボランティアで地元の小学校で教えたり、イベントで「オーラ書道」といって、相手の奥に潜んでいる「元気」を感じ取り、私の中に浮かび上がる、相手に今、必要とされている文字をプレゼントしたりもしています。
写真提供:宇宙書道
■子ども、夫、私、みんなが夢を諦めない
写真提供:宇宙書道
ーー今後の夢は何ですか?
私の夢は大きいわよー(笑)! 最終的には、スペインで書道のパフォーマンスをすること。長男が今、プロサッカー選手を目指してがんばっているから、彼がスペインでプロになったとき、私も筆を持って行きたいんです。
もちろんスペインに行く前には、まずはアメリカを制覇しないと! それから、世界に書道を広めるために、書道の学校も経営したいし、自分の作品を常に展示できるギャラリーも欲しいですね。
あと、日本でも活動したいです。「神の宿る」日本では、違うエネルギーを感じられるから、もっと自分の書の世界が広がると思うんです。それに、海外の人が書で行う「自己表現」の良さを日本にも伝えていきたい。
母に「あなたの夢はでっかすぎて、ついていけない」なんて言われちゃったけど(笑)、書道を通してしたいことが本当にたくさんあるんです!
実は、10、11、1月にポートランド美術館の書の展覧会の一部として、音楽家の方と約1時間の書道パフォーマンスを予定しているんです。ポートランド美術館でのパフォーマンスは、いつかやる! と夢見ていたことのひとつなので、最初の目標達成です!
ーー有言実行の人だけある!
これまでに、夫の夢や子どもの夢のために引っ越すなど、自分のキャリアと家族の希望との間で選択を迫られることもあったと思いますが、今、書道アーティストという道を見つけたことについて、どう思っていますか?
今40代ですが、これまでずっと自分には何かがあるって信じて、探し続けてきてよかったなって思っています。
きっと華やかな仕事も原始的な生活も、子育てに追われた時間もすべてつながっていて、これまでの経験があってこそ、今の私、それに私の書があるんだと思うんです。「書は人なり」って言われているように。
それに、例えば、長男がプロのサッカー選手を目指しているのは、私にとってもすごく刺激になっています。彼の夢か私の夢かという選択ではなく、彼がその夢を追うのなら、私はこれでがんばりたい、という具合です。
先日、幼馴染に「続けることがプロフェッショナルだからね」と言われたのですが、ついに天職を見つけたので、この道をまっすぐ進もうと思っています。
ーー宇宙さんが、毎日の生活で大切にしていることは何ですか?
私たちは忙しい中でも時間を見つけて、1日1回5分でもいい、家族で食卓に座り、食を共にすることを大切にしています。そうすることで家族それぞれが思っていることを知れて、より絆が深まるんです。
今、ようやく心から言えるようになったのですが、家庭をおそろかにするのではなく、家事もこなして、妻、母親業もできてこそ、世界に出ていけるような良い仕事ができる気がします。
子ども、夫、私、家族みんなのやりたいことを大切にして、みんなが夢を実現できたら理想ですね。
ーー最後にセカンドキャリアについて迷っている日本の女性にメッセージをお願いします。
私は、迷ったときに、自分の内面と向き合って、自分の強みを見つけて、それをどう活かすかを考えました。
外に出るとわかりますが、日本の文化ってやっぱりすごいと思うんです。服とか外面よりも、自分の内面を大切にしてほしいです。本当は私、物欲が強くて、おしゃれも大好きだけど、今は、後回しにしてるんですよ(笑)。
最後にお伝えしたいのは、決して諦めないこと!
子育てなどは、自分の時間が取られて大変だと思いますが、それも全部、自分の経験、財産になりますから。