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「きれい」だった能楽が「楽しい」に変わるまで【和のお稽古体験談】

素人ながらに芸道を学ぶ……それはいったいどのような世界なのでしょうか。今回は、お稽古を始めて今年で12年目という、会社員のユウコさんにお話をお聞きしました。実際に社中会で能を上演した経験もあるというユウコさんがお能を始めたきっかけは、「好きな役者さんがお能の稽古をしていると聞いたから」という意外な理由でした。

「きれい」だった能楽が「楽しい」に変わるまで【和のお稽古体験談】

素人弟子として能を習うユウコさんに体験談を語ってもらった。(撮影:今村綾子)

■お能との出会い

――お能との出会いはいつ頃だったのでしょう?

ユウコさん:本格的な出会いは、お稽古を始める数年前に靖国神社の夜桜能(*1)を観に行ったときですね。

それまでスペインに渡っていて、3年間日本で春を過ごしていなかったんです。スペインには桜によく似たアーモンドの花は咲くけれど、やっぱり日本の桜が恋しくて。

それで、帰国した翌年、「思いっきり桜を楽しもう」と思って、以前人から勧められていた夜桜能を観に行きました。

(*1)夜桜能……毎年4月に桜の時季に合わせて靖国神社の能舞台で行われる屋外の能公演。ライトアップされた桜の幻想的な風景の中で能を楽しめる。

――初めてお能をご覧になっていかがでしたか?

ユウコさん:もう何の曲(演目)だったかも覚えていないのですが、すごくきれいだったということは鮮明に残っています。

それから必ず桜を楽しむひとつのイベントとして、毎年夜桜能に通うようになって、お能もたまに見に行くようになりました。

■能の稽古を始めたきっかけ

▲仕舞(能の舞)をお稽古中のユウコさん、柔らかい雰囲気から一転キリッとした表情に。(撮影:今村綾子)

――そこからなぜお稽古を始めようと思ったのですか?

ユウコさん:もともと白洲正子さんが好きで著書をよく読んでいたので、素人でもお稽古として習えるということは知っていたんです。

それから、2005年に宇宙飛行士の野口聡一さんが、「天女の扇」を宇宙に持って行ったと話題になったことはご存知ですか。

――宇宙に「天女の扇」ですか。

ユウコさん:その「天女の扇」は、中啓という扇で、能『羽衣』(*2)でまさしく天女が持つ扇なんですね。当時のインタビューで「船外活動のときに能の動きが参考になった」とお話しになっているのを見て、能の動きについて興味を持つようになりました。

でも一番の決定打は、ずっと贔屓にしていた役者さんが、能を習っているということを聞いて。もともと能へのアンテナが伸びていたことに重なって、それなら私もやってみようと。かなりミーハーな動機でした。

「和の心を伝えたい」という野口さんの想いとともに、宇宙に飛び立った扇と同じ「中啓」

(*2)羽衣……三保の松原の羽衣伝説をもとにした能。終盤、シテの天女は羽衣を着て、月宮の様子を表す舞いなどを見せる。

■お稽古ごととしての能の魅力

――能を始めて、もう10年以上になるわけですが、続けられたのはどうしてだと思いますか。

ユウコさん:お稽古が、単純にただ楽しいということに尽きると思います。
疲れていたりとか、少し精神的に沈んだりしていても、稽古場に来て、声を出して、身体を動かすと元気になりますね。

――年に一度、発表会があるとも伺いました。

ユウコさん:はい。社中会(発表会)で自分の成果を披露する場があることも励みになっています。

毎回満足できる出来にたどり着けるということは全然なくて、終われば「もっと稽古すればよかった」と反省しきりなのですが……。それでもほかのお稽古仲間さんががんばっていらっしゃるのを見て、「私ももっとがんばろう」と励まされるし、次の目標もできます。

会ではサポートしてくださる玄人の能楽師さんがたくさんお見えになるので、華やかな1日を体験できます。また、他の先生のお弟子さんとも互いの会を見合ったりと、徐々に輪が広がっているのも楽しいですね。

(撮影:今村綾子)

――社中会(発表会)での思い出があれば教えていただけますか?

ユウコさん:数年前に能を一番(一曲)上演させていただいたときのことなのですが。

本番を舞い終えて幕の中に戻ると、奥に先生が座って待っていらっしゃるのが見えて。「幕のなかに入っても、人に止められるまでは止まってはいけない」と言われていたので、そのまま先生の方に進んだら、先生が私に向かって頭を下げ、辿りつくのを待って最後に歩みを止めてくださいました。

上演中は「後見座」という舞台の後方で見守っていてくださったのですが、舞台を終えるときまで、こうして丁寧に迎えてくださったことに驚きました。先生方にはこれが通常のことでも、やはりありがたかったし、なにより嬉しかったんです。

素人が言えることではないかもしれませんが、先生方が自分の師匠を敬愛される気持ちがなんとなくわかるような気がしました。

いまの先生に習うことになったきっかけは本当に偶然だったのですが、素人の弟子に対しても真剣に向き合ってくださる。これからも先生について、少しでも前に前に進めたらと思っています。

▲社中会で、能「清経」を上演したときのユウコさん。(写真手前)能を上演するときは、このように能面や装束も本物を身に着け、プロの能楽師に混じって行うことができるという。(撮影:駒井壮介)

■これからお稽古を始められるかたへ

――これからお能を習うとしたら、どうやって先生を探せばいいのでしょうか?

ユウコさん:すでに能を観られている方でしたら、好きな役者さんに申し込むのがいいと思います。

もし難しければ、その方が所属している会の先生に教えていただくのも、ひとつの選択肢ですね。発表会で、好きな役者さんの謡を間近で聴けたり、いつか共演させていただくチャンスがあるかもしれないですよ。

あとは、女性であれば女性の能楽師さんに師事するのもいいと思います。

――着物を持っていない人でも大丈夫なのでしょうか。

ユウコさん:もちろん先生によると思いますが、稽古の際に着物を指定されることはあまり聞かないです。心配しなくても大丈夫だと思いますよ。

仕舞をやる場合は、スカートよりもパンツなどの動きやすい格好で。私のときは、最初は白足袋と扇だけ揃えるようにと言われて、謡本(能の台本、謡の稽古の際に必要となる)は、入門してから先生に指定されたものを入手しました。

――意外と身軽に始められる……?

ユウコさん:そう思います。入るまでは未知の世界だと思うので、疑問に思っていることは先に解消しておいた方が良いかもしれませんね。私もそうでしたが、まずは見学にお邪魔してみることをおすすめします。

お月謝なども当然先生によって違うので、見学や申込みの際に先生に聞いたり、先生に聞きづらければ、見学のときに一緒になったお弟子さんに聞いてみたりすると良いと思います。

■編集後記

今回お話をお聞きして印象的だったのが、趣味の動機として限りなく自分が主体にあるということ。
習い事や趣味は、ときとして自分を飾るもの、武器を身に着けるものでもありますが、「ただ好きだから」、「自分がやっていて楽しいから」と語るユウコさんの姿は、充足感に満ちているように感じました。

趣味はとくになくても生きられるものです。それでも、もし始めるとしたら、ユウコさんのように自分が心から楽しめるものを選ぶことが幸せへの近道なのかもしれません。

ただ、自分にとって何がぴったりくるかなんて、なかなかわからないもの。だからこそ、興味を持ったら思いきってその世界を覗いてみてはいかがでしょうか。

能についていえば、本文中に出てきた社中会(各能楽師に師事するお弟子さんの発表会)は、無料で拝見できるのだとか(※招待制の場合もあり)。

お弟子さんの稽古の成果だけでなく、玄人の先生方の芸も拝見できる絶好の機会のようなので、もし興味のある方は、あまり肩ひじ張らずに、まずは社中会から覗いてみるのもいいかもしれませんね。

下心のハルカ

舞台狂いが転じて、能にのぼせ上がる日々を送る会社員。 中学生の頃に、小面の能面の写真を見て心惹かれるものを感じる。社会人になってから「生きている小面が見たい」「美しいものを見たい」という一心から本格的に能楽を鑑賞しはじめ、...

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