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「高田賢三」の栄光と挫折が明らかに─『夢の回想録 高田賢三自伝』がリリース

パリで成功を収めた先駆的日本人ファッションデザイナー、高田賢三。姫路で生まれ、文化服装学院へ進学。パリへ行き、1970年に自らのお店開くと一躍時代の寵児となります。30周年で引退を余儀なくされたブランド買収劇の秘話やセレブたちとの交遊録。栄光と挫折。波乱万丈の半生を振り返った読みごたえたっぷりの自伝を紹介します。

「高田賢三」の栄光と挫折が明らかに─『夢の回想録 高田賢三自伝』がリリース

■姫路~文化服装学院~パリへ

高田賢三は、1939年姫路生まれ。神戸市外国語大学に進学したものの、通学途上に車内広告で文化服装学院が男子も募集していることを発見、両親の反対をおして上京。1958年に入学し、60年新人デザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞。銀座三愛勤務などを経て、65年に渡仏。恩師の小池千枝の助言で船旅でフランスへ行き、多様な文化や民族衣装を見聞し、これらの体験が賢三の華やかな「フォークロアルック」の原点となりました。

パリに初出店した「ジャングル・ジャップ」。店内にはアンリ・ルソーの『ジャングルの夢』をモチーフにしたジャングルの絵を自らペンキで描いた。

1970年にパリで初出店(「ジャングルジャップ」)し、一気に時代の寵児となるが、ブランド名はアメリカで日系人コミュニティの猛抗議を受けるなど物議も醸したことも。

後輩の山本耀司によれば「賢三さんはパリのメディアやバイヤーに見いだされ、パリで生まれたデザイナー」。その言葉のとおり、一気にプレタポルテの時代のトップデザイナーとなりました。

本人曰く、「70年代は、それほどお金はなかったが、次のシーズンにはどんな作品を作ろうかといつも心をワクワクはずませながら服をデザインしていた時代」対照的に「80年代は巨額のお金を稼げるようになったが、自分の好きな服を作ってばかりもいられない。純粋な夢が徐々に変質していった時代」だったといいます。

麻の葉の和柄を使ったワンビースが『ELLE』の表紙を飾った。1970年。

『ELLE』フランス版の表紙を飾った賢三のジャケット&パンツ
jacket and pants: Kenzo, blouse: Eta, belt: Jose Cotel
Elle France - May 8 1971
Photographed by Peter Knapp

■90年に訪れた悲劇

波乱もありつつ、順調にビジネスが拡大の一途をたどっていきましたが、1990年に転機が訪れました。共同経営者フランソワ・ボーフュメとの確執が顕在化、仕事の上でも私生活のパートナーでもあったグザビエが病死、翌91年には賢三の右腕だったパタンナーの近藤淳子が脳梗塞で倒れてしまいます。それまで助言者として支えてくれた二人を失って、フランソワを解任するために、LVMHグループへの株式売却を決意することに……。
ところが、紳士協定であったフランソワ解任は実行されず、精神的に追い込まれた賢三が辞表を出すことになります。1993年の6月のことでした。

買収劇から6年後、1999年10月7日。30周年60歳を区切りとして、辞任を決意して、最後のショーを行います。30年の集大成として、お世話になった方々全員にモデルとして出演してもらい、300点もの作品を2時間かけて披露する。山口小夜子ら200人以上の友人がモデルとして友情出演。華、雪、ジャングルと場面が変わり、賢三の代名詞となった本物の象も登場させる壮大なスペクタクルになりました。

アテネ五輪では日本代表のユニフォームをデザイン。

2年間は契約で仕事をせず、充電に専念。2004年にはファーストリテイリングが手掛けるというアテネ五輪の日本代表ユニフォームをデザイン。一方、2004年に立ち上げた「五感工房」は軌道に乗らず、資金繰りが悪化して、2007年に会社は破たん。債務整理もあり、2009年にはグザビエと一緒に作ったバスチーユの邸宅などの財産を手放すことにした。

2015年9月にはパリ50周年を記念し、500人を招いてパーティーを開く。はかま姿で本物の象二頭を従えて登場し、300羽の蝶を夜空に羽ばたかせた。

何歳になっても、人を驚かすことが大好きで、夢を追い続ける高田賢三……。

90年代に7年がかりで建てたバスチーユの邸宅内の日本庭園。

■山本耀司が語る高田賢三

書籍版では日本経済新聞の連載に加筆され、巻末にはコシノジュンコとの対談、山本耀司のインタビューが追加されました。山本耀司が語る高田賢三を一部紹介します。

「まったく偉ぶったところがなく、謙虚で純粋だったということ。とってもいい人なんですよ。自分の弱点もサラッと人に見せることができる」

「僕は賢三さんの同業者であり、しかも後輩なんですよ。それなのに、パリですでに大成功している先輩に対して、『この人のために自分ができることはなんだろう』となぜか考えてしまう」

「これまで色々なフランス人と話してきましたが、みんな賢三さんのことが大好きなんです。あの酔っ払い方が面白いのよ、とか、明るくて、ちゃめっけがあってかわいいのとか」

■『夢の回想録 高田賢三自伝』

目次

第1部 夢の回想録
I. 生まれ故郷/姫路空襲/芽生え/ガリ勉/上京/文化服装学院/花の九期生
/就職/パリへ
II 船旅/自炊生活/売り込み/スカウト/母への手紙/初出店/無欲の勝利/トラブル/遊び心/動物とテント/「木綿の詩人」/サントロペとロンドン
III
恩人/スタッフ/三宅君と小夜子さん/銀幕スター/ニューヨーク/絡み合う糸/ルル
IV
解任/映画監督/ギャンブルと占い/倍々ゲーム/時代の波/里帰り/グザビエ/夢の城/重なる悲劇
V
買収劇/紳士協定/ラストショー/奇妙な誤報/アテネ五輪/自己破産/新たな出会い/冒険心

高田賢三が選ぶ自作デザイン10選

第2部
I ファッションデザイナーという夢
対談 コシノジュンコx高田賢三
後輩・山本耀司が語る高田賢三
II ケンゾーと賢三、ふたつの故郷
ケンゾーの故郷・パリを歩く
賢三の故郷・姫路を歩く

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