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華やかじゃなきゃ人生じゃない【高田賢三】

現在パリ在住の世界的ファッションデザイナー、高田賢三さんによる連載がスタート。「華やか×◯◯」をテーマに毎月1本コラムをお届けします。初回は「華やか×人生」でその思いを綴っていただきました。

華やかじゃなきゃ人生じゃない【高田賢三】

2016年の今年、僕はだいぶ長い間離れていた、ファッションデザイナーとしての仕事に取り組んだ。SEPT PREMIÈRES by Kenzo Takada「華やかじゃなきゃファッションじゃない!」というキャッチなメッセージとともに、限定一年というくくりで日本において、僕の洋服を15年ぶりに発表・販売する機会をいただいた。久々に僕の故郷でもある「日本」でのコレクションの発表。実は、本当に本当に不安で……。気持ちそして心はドキドキでした。

僕がパリに行って昨年はなんと50年という節目。日本に住んでいたときよりパリの生活の方が長い。節目の年を越し、今年はある意味あらためて「第一歩」の年。そんな中での日本の皆さんへのお披露目。ちょっと恥ずかしく、そして気に入ってくれるのか? とても不安だった。

皆さんは知らないと思うけれど、僕はまだ日本人のデザイナーなんて受け入れてもらえない時代にパリで、とにかく自分を試すべく、なんとかパリで暮らしていける切符を自分の力で入手した。それは、ある意味、行先のない切符ともいえるし、前向きに考えると大成功する切符でもあった。

写真:渡仏50th Anniversary Receptionにて(2015年9月)

人生って本当に自分の気持ち一つ。毎日毎日の普遍的な生活の中、一見何の変哲もない日々を過ごしていても、自分自身の気持ちを変えることで何かが変わる。そんな想いが自分自身の中で募った。

パリに渡った当時、もう滞在するお金もないので、当然日本に帰って仕事をしなければ。と思っていた僕が、今こうして長い間パリで生活している。

無我夢中で、がむしゃらに仕事をがんばり、そしてパリに暮らし始めて、今年で51年目って本当に自分でも驚きだ。

人間の人生というのは、その人の想いや行動力や挑戦する気持ちで大いに変化するのだと思う。

幼少期そして小中学校、高校、大学。人それぞれの人生はあるけれど、僕がいつも心にあるのは、常に「夢」を持って、描いてみること。そして、夢を実現するために、楽しみながら前進すること。


夢に向かって楽しくなければ人生でないと実感している。いや、華やかでなければ人生でないと。


髙田賢三 さん<デザイナー>プロフィール

高田賢三さんのプロフィール

1958(昭和33)年
文化服装学院師範科 入学。
1959(昭和34)年
文化服装学院デザイン科 進学。
1960(昭和35)年
新人デザイナ-の登竜門「装苑賞」(第8回)受賞。
1961(昭和36)年
文化服装学院デザイン科 卒業。
1965(昭和40)年
渡仏。
1970(昭和45)年
ギャラリー・ヴィヴィエンヌに「ジャングル・ジャップ」ブティックをオープン。初コレクションを発表。
1971(昭和46)年
東京・文化服装学院にてコレクションを発表。
1972(昭和47)年
「日本ファッション・エディターズ・クラブ(F.E.C.)賞」受賞。
1976(昭和51)年
プラス・デ・ヴィクトワールにブティックとアトリエを結集。
1979(昭和54)年
ソル・ファボレで行われたオペラ「Der Zeitlauf」の衣装を担当。
1980(昭和55)年
映画「夢・夢のあと」で初監督。
1983(昭和58)年
10月、メゾンラフィットにてショーを行う。(城を借りきりショー及びパーティーを行う。
1984(昭和59)年
仏政府より国家功労章「シュヴァリエ・ド・ロルドル・デザール・エ・レトル」芸術文化勲章(シュヴァリエ位)受章。
1985(昭和60)年
東京にケンゾー・パリ(株)を設立。パリ本社 JANGLE JAPをKENZO S.A.に社名変更。「高田賢三作品集」(文化出版局)を出版。「毎日ファッション大賞」(第三回)受賞。 東京・武道館でケンゾー・ショーを開催。
1987(昭和62)年
夢工場・ケンゾーショーを東京新国技館および大阪で開催し、大反響を呼ぶ。メンズ対象の「ルイ賞」(第一回)の受賞者となる。
1989(平成元)年
5月、故郷の姫路で初めての野外ファッションショー「ケンゾー・IN・HIMEJI」(姫路城三の丸広場)、「KENZO展」(姫路市立美術館)を開催。 9月、東京・有楽町西武にて「Liberte KENZO展」を行う。
1992(平成4)年
10月、東京都・パリ市友好都市提携10周年にあたり、記念行事の一環として東京にて「KENZO ’93春夏コレクション」を発表。
1993(平成5)年
1月、新宝塚大劇場のこけらおとし公演の洋物レビュ-。「Parfum de PARIS」の舞台衣裳のすべてをデザインして大反響をよぶ。
1994(平成6)年
5月、姫路城の世界文化遺産指定を記念して開催された「キャスティバル’94」の一環として、’94/’95コレクションを姫路にて発表。
1997(平成9)年
5月、「トーキョー・モード・ブレス’97」(産経新聞社・フジサンケイグループ主催)にて’97/’98秋冬レディース・メンズコレクションを行う。
1998(平成10)年
3月、仏政府より国家功労章「コマンドゥール・ド・ロルドル・デザール・エ・レトル」芸術文化勲章(コマンドゥール位)受章。
4月、東京・青山骨董通りにKENZO PARISの初のフラッグシップ・ブティックをオープン。
1999(平成11)年
2月、ニュ-ヨ-クで国連平和賞(タイム・ピ-ス・アワ-ド)の ’98年ファッション賞を受賞。
3月、バスティーユ・オペラ座にてロバート ウィルソンとのコラボレーション、 オペラ“魔笛”の舞台衣装を担当。
5月、日本にて「紫綬褒章」を受章。 9月、KENZOブランドより離れる決意表明をする。
10月、KENZO 30ANS(J’ai déjà 30 ans)と題し、2000年春夏コレクションと共に30年間のコレクションをLEZENITHにて発表。3000人を動員する。2000年・30周年・60歳を区切りに「KENZO」ブランドを退く。
12月、東京クリエイション大賞 「特別賞」授賞。
2000(平成12)年
2月、ファッションエディターズクラブ 「F・E・C特別賞」授賞。
6月、第22回繊研賞「特別賞」受賞。
9月、「株式会社KENZO TAKADA日本法人設立」 設立。
2001(平成13)年
11月、平成13年度「兵庫県文化賞」受賞。
2002(平成14)年
フランスPPR(ピノー・プランタン・ルドゥート)社とのコラボレート。通販カタログ誌 ”La Redoute”(ラ ルドゥート)へ招待デザイナーとして参加し、 秋冬号にてブランド名「Yumé」でレディス・メンズプレタ、ハウスリネン、雑貨を展開。
5月、SONY MUSICフランスとコラボレートし、“KTミュージック” レーベルを発表、「サンサシオン・プルプル」と題する音楽の旅をテーマとして9月に発売。
2003(平成15)年
2004年8月開催予定アテネオリンピックの日本選手団 公式服装のデザインを担当。
2004(平成16)年
2月、新ブランド名”GOKAN KOBO”を発表。デザイナー、クリエイターとして本格的に活動をスタートすることを表明する。イタリアRATTI社とスカーフ、ネクタイのラインにおいてコラボレート契約。”GOKAN KOBO TOUCH”として展開することを発表。
2月、パリ市より「La grande médaille de vermeil de la Ville de Paris」 パリ市大金章を受章。   
2005(平成17)年
新ブランド"GOKAN KOBO"を発表。
2006(平成18)年
ブランド名称を "TAKADA"に変更する。
その後、デザイナー活動及び絵画を手掛けている。各国にて絵画展覧会を開催。又クリエーションにおける異業種とのコラボレート事業を展開。その他、世界の伝統文化を継承する為の活動をライフワークの1つともしている。
2016(平成28)年
仏政府よりレジオンドヌール勲章シュヴァルエ位、「名誉軍団国家勲章」を受勲。
2016(平成28)年
セブン&アイ・ホールディングスの同社傘下のそごう・西武及びイトーヨーカドーのPBブランド「セットプルミエ」を8月下旬から一年間にわたり展開。

高田 賢三

デザイナー。 1939年 兵庫県生まれ。文化服装学院で服飾デザインを学び、'60年第8回装苑賞受賞。その後'64年に渡仏。 1970年 パリにブティックを開き“JUNGLE JAP”として初コレクションを発表。パリの伝統...

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