夏の終わりは想像力の海へ――大人の目で読む絵本『なみにきをつけて、シャーリー』
最後に海辺で遊んだのはいつですか? 時間を忘れて遊びまわったのは、もう何年前のことでしょう。そんな「あの日」のことを思い出す絵本、『なみにきをつけて、シャーリー』(“Come away from the water, Shirley”)を読みながら、子供のときとは違う絵本のおもしろさを見つけてみませんか。
こんにちは、島本薫です。
今年の夏は、海に出かけましたか? 海は苦手という人も、忙しくて時間がとれなかった人も、今日は絵本を通して「想像力の海」へと漕ぎ出してみてはいかがでしょう。
■親の目と子供の目――ふたつの物語が展開される絵本
絵本は子供が読むもの。子供に読むもの。
絵本とは、絵と文が呼応して、ひとつの世界をつくるもの。
果たして、本当にそうでしょうか?
イギリスの絵本作家、ジョン・バーニンガムの『なみにきをつけて、シャーリー』(“Come away from the water”)は、そんな思い込みにゆさぶりをかける絵本です。
最初のページに出てくるのは、両手に荷物を下げたお父さんとお母さん、元気に飛び跳ねている女の子、そして白い犬。石ころがいっぱいの地面は、砂浜に続く道のようです。
このページの文章は、たった一行。「みずがつめたくて、とてもおよげないわよ、シャーリー」(原文は“Of course it’s far too cold for swimming, Shirley”。訳文は日本語版による)。
「Of course」とあるからには、シャーリーは家を出る前に「今日は寒いから泳ぐのは無理よ」と、釘を刺されていたのでしょう。お父さんとお母さんがあたたかそうな服を着ている姿を見ると、もう夏が終わろうとするころだったのかもしれません。
お母さんの言葉で始まるこの物語、次のページからは「大人の目で見た海辺の休暇」と「小さな女の子の目に広がる海の冒険」のふたつが続いていくのです。
みずがつめたくて、とてもおよげないわよ、シャーリー(訳:へんみまさなお)
■左ページには両親の姿が、右ページには子供の世界が描かれる
絵本をめくると、左側のページには両親がいて、ビーチチェアを出しながら「お母さんたちはここにいますからね」と、娘に話しかけています。右側のページには、ひとり海を眺めるシャーリー。ページの端に、犬とボートが見えます。
さらにページをめくると、左のページでビーチチェアに座った両親が「あの子たちと遊んだら?」と言っています。
ところが、「あの子たち」の姿はどこにも見えません。右側のページに描かれているのは、ボートで沖にこぎ出したシャーリーと白い犬。遠くにぼんやり帆船の姿が見えます。
――? これは、どういうこと?
次のページでは、お父さんは新聞を読み、お母さんは編み物をしながら「新しい靴を汚しちゃ駄目よ」と言っています。右側のページのシャーリーはといえば、帆船のすぐ近くまで漕ぎ着けたところ。なんと帆船にはどくろマークの旗が上がり、海賊が縄梯子から降りてこようとしています。
実はこの右側のページは、シャーリーの目に映る冒険の世界なのです。
きをつけて、あたらしいくつを きたないタールで よごしちゃだめよ(訳:へんみまさなお)
■子供のファンタジーと大人の日常~交差することのないふたつの世界
こうして絵本の中で、左側の「浜辺の大人たち」の現実世界と、右側の「海に出たシャーリー」のファンタジックな冒険世界のふたつが展開していきます。
左のページには「これをしちゃだめよ」「あれはしないのよ」というお母さんの言葉があるのに対し、右のページには一切言葉がありません。それがかえって、想像の世界に入り込んでいるシャーリーの様子を伝えてくれます。
さらにおもしろいのは、左側の文章(お母さんの呼びかけ)が、一切右側の絵(シャーリーの様子)に対応していないこと。
お母さんはお小言やらこまごまとした注意をするばかりだし、お父さんときたら、途中でうたた寝をする始末(どこの国のお父さんも、お疲れなのでしょうか……)。
ビーチチェアに座ったきりの両親をよそに、海賊と闘ったり、宝物を発見したりと大冒険を繰り広げるシャーリー。泳げない海辺の一日の過ごし方も、大人と子供ではこうも違うものかとうなってしまうほど、ふたつの世界が巧みに表現されています。
この絵本を「~しないのよ」と言ってしまうお母さんの立場になって、読む人もいるでしょう。逆に、「子供をほったらかしにするなんて」と思う人もいれば(事実、作者のもとには「なんてひどい親だろう」という感想が寄せされたそうです)、シャーリーのように空想の世界で遊んだ日々を、懐かしく――そしてちょっと切なく――思い出す人もいるでしょう。
でも、もう大人だから想像の世界を楽しめないと、背を向けることはありません。
この複雑な構成を何重にも楽しめるのは、大人だからこそ、なのです。
■子供は子供の、大人は大人の「見えないものを見る」おもしろさ
どうやらこの絵本は、大人と子供、2種類の読者を想定して描かれているようなのです。それを裏づける、おもしろいエピソードをご紹介します。
藤本朝巳さんという研究者は、4歳の娘さんに何度も『シャーリー』を読み聞かせていたそうです。ところが娘さんがひとりでこの絵本を読んでいたある日、「パパ、この本、こっちにも絵があるよ!」と、両親を描いた左のページを指差してきたのだとか。
それまで娘さんは、動きのない左のページには目もくれず、ひたすら右ページのシャーリーの冒険を追っていたのです。
子供には、右側のページ、シャーリーの冒険だけで十分おもしろく、シャーリーのお母さんの言葉は、文字通り「耳に入っていなかった」ということですね。
たしかに複雑な『シャーリー』の世界。子供ならではの空想世界をテーマにした絵本なら、何もこんなややこしい構成をとる必要はありません。
そこにない海賊船や宝物を心の目で見る子どもを追いながら、言葉で記されているのに絵にはない「他の子供たち」や「新しい靴を汚しそうなもの」を、頭で見てとる。これは、字を覚え、空想の世界と現実とを行き来できる大人だからできることです。
子供だけが読者なら「いらない」左側のページ。そこから何を感じ取るかは、あなた次第。
子供時代へのノスタルジー、忙しい現代社会への皮肉、子供の心をわかろうとしない大人へのメッセージ。はたまた、子供の柔軟性への感嘆、ときには親の言葉を聞き流すしたたかな心の必要性――でも、できれば「頭で」考えるのはひとまず置いて、ただシャーリーとともに冒険の海に漕ぎ出してみませんか。
たぶん、それができるのが、絵本の力だと思います。