「当たり前」という呪いが、私たちから「恋」を奪う
結婚しなくちゃいけない、と思ってしまっている。結婚するために出会って、恋をして。でも、その恋は、10代や20代のときの恋よりも楽しいものだろうか。結婚するまで続く、生活のパートナー探し。
以前、お付き合いしていた男性のご両親とお会いしたときのこと。物腰が柔らかくて、笑顔を絶やさない60代半ばのお父さん。
「あなたと結婚する気がないなら、早めに別れなさいって言ってたんですよ、実は」
恋人のご両親を前にして、私もニコニコしていたけれど、頬のあたりが引きつるのがわかった。
「だってねぇ、早くしないとおばさんになっちゃうでしょ? もし30歳過ぎても結婚できなかったらあなたがかわいそうじゃないですか」
はあ、ええ、まあ、そうかもしれないですね、ええ、ええ。
■結婚できないとかわいそう?
彼のお父さんは、実は私のことが気に入らなくて、遠回しに別れさせようとしていたのか。でも、彼に聞いたところ、お父さんは歯に衣着せぬタイプらしく、本当にそう思っていたらしい。
彼に「あなたも同じ意見? もし30過ぎて結婚できなかったとしたらかわいそうだと思う?」と問いかけた。
「別にかわいそうだとは思わないけれど、親からああいうこと言われちゃうと、結婚したくなくなるなあ」
という答えが返ってきた。彼はどちらかというと、天邪鬼な男だった。
20代後半くらいから、「彼氏はいるの?」「いるなら結婚しないと」「早いほうがいいわよ!」と言われるようになったけど、そういう人たちに限って、早く結婚したらしたで、「もう結婚しちゃったの? もっと独身生活を楽しんだほうがいいんじゃない?」などと言い出す。
要はお節介な人たちなのである。お節介がひとりだけだったらいいけれど、複数人いるから、次第に呪いの言葉のように刷り込まれていく。
「早く結婚しなさい」
■上がるハードル、低くなる恋愛成就の確率
好みのタイプが年を重ねると変わっていく、と聞いたことがある。
友人の中には「働いてさえいればいい」「借金がなければいい」「暴力を振るわなければいい」といったことを挙げる人がいるけれど、それは「好きな人のタイプ」ではなくて「結婚する相手の条件」だ(でも確かに無職も借金持ちも、DVも夫にするのは嫌だ……)。
好きな人と結婚できればいいけれど、それよりも、結婚に向いている相手を探してしまう。「好き」という気持ちがあるなら許されることも、条件だけで見ていると許せないことも、一緒にいるうちに出てくるはずだ。
低くしたはずのハードルは、恋愛の足を引っ張る結果になってしまっている。
■結婚しなくてもいい、という意識を持つには
10代の頃、「大人になったら勝手に結婚できるんだ」と思い込んでいた。それがどうだろう、いざ大人になってみると、結婚することがどれだけ難しいのか身に沁みる。
恐ろしいもので「結婚をして当然」という刷り込みはすでに10代で完了していたのだ。あたかも当然のこととして。そうした刷り込みをされていたことに大人になってから気づく。
結婚って、しなくちゃいけないのかな。
仕事の打ち合わせ中に、「そこそこお金を稼いでいて、遊んでくれる異性がいて、好きな仕事をしていて趣味があったとしたら、結婚しなくてもいいんじゃないか」という話になったことがある。あとは老後と死後の準備をして、迷惑をかけないようにさえすればいいのでは?
でも、それを堂々というのはどこかはばかられる。「結婚することは当たり前」と思っている人たちが放っておいてくれないから。
誰かさんたちは、固定概念で私たちを縛ってくる。こうした呪いで、一体誰が幸せになれるというのだろうか。