Text=桐谷ヨウ
ブロガー・コラムニスト。
国内大手メーカーグループ~外資コンサル系企業在籍中に、自身の豊富な恋愛経験をもとにブログを開設。開始早々月間20万PVを獲得し、一躍人気ブロガーに。
"人それぞれの恋愛"を考えてもらうきっかけにしてほしい、初の著書『仕事ができて、小金もある。でも、恋愛だけは土俵にすら上がれてないんだ、私は。』(ワニブックス)が好評発売中。
著作:http://www.amazon.co.jp/dp/4847094395/
公式ブログ:http://www.fahrenheitize.com/
Twitter:@fahrenheitize https://twitter.com/fahrenheitize?lang=ja
結婚する人生 しない人生 #3 「今日の正解」を積み重ねた先に、僕たちの結婚はあるかもしれないし、ないかもしれない。
長く同棲していると「なんで結婚しないの?」と聞いてくる人は後を絶たない。でも「いま結婚していない理由」というものがあって、それはふたりにしかわかり得ないことなのだ。
お気楽で楽しい独身生活があれば、寂しくてどうしようもない独り身もある。
そしてこの頃は、幸せな結婚・不幸な離婚だけではなく、不幸な結婚・幸せな離婚についても、可視化されるようになってきたように思える。結婚・離婚自体ではなく、「前向きな意思」への視点のフォーカスと言ってもいいでしょうか。
僕自身がこの種の話題で、身をもって感じるのは「同棲は恋愛のハッピーエンドとして見てもらえない」ということだ。
■同棲5年。僕たちは「子どものいない仲良し夫婦」的カップル
まず、僕自身の恋愛事情を語ると、同棲して5年近くの彼女がいる。僕は彼女が好きだし、彼女も好きでいてくれている(はずだ)。
生活の前提は「ふたりで暮らすこと」になっていて、基本的にはどちらかが仕事で疲れて帰って来るタイミングには、もう一方が家で「ただいま」できることを大事にして、なるべく一人で寝ることなんてないようにおたがい気を配っている。
また、いろいろな局面で助け合って、喜びは2倍にして、悲しさは半分にする。一緒に生活していくなかで、そういった体験をこの5年以上、積み重ねてふたりで生きてきた。
おたがいに働いていて(彼女は俺以上の仕事好きである)、家計こそ分けているものの、実態としては「子どものいない仲良し夫婦」と変わらない。おたがいの実家への付き合いという、結婚生活の本質ではない部分だけを切り捨てている。
ただ、言われてしまうのだ。「仲よくて良いね。いつ結婚するの?」と――。
■大事なのは“いま”とふたりにとっての心地よい温度感
このセリフを言う人に、おそらく悪気なんてない。文字通り、無邪気な気持ちで聞いているんだろう。それがゆえに、「同棲だけ」では、「婚姻届なし」では、恋愛関係のハッピーエンドとして受け取ってもらえないという事実を突きつけられるのだ。
また面白いことに、キャリアと結婚の両立に悩むアラサー女性にかぎって聞いてくるのだ。今度は「なんで結婚しないの?」という口調で。自身が苦しんでいるだけにひとつの逃げ道モデルとして見る視点がありそうなのに、社会的なオブセッションに囚われて(それがゆえに苦しんで)いる彼女たちは、だったらゴールインすればいいじゃんとばかりに、そう言うのだ。
誰が悪いとかじゃない。そして、そういった言葉を投げかける人(特に初対面に近い人)に対しては、胸の内を打ち明けることは、時間の無駄なので、僕自身もしていない。僕と彼女の温度感は、僕と彼女にしかわからないものだ。
すごく説明が難しいニュアンスで成り立っているのだけど、「現時点」でふたりの関係は「ハッピーエンド」で現在進行形しているのだ。当面のところは何の問題もないし、不都合が発生しそうなときにはためらいなく籍を入れるだろう。子どもが欲しくなったら迷わず区役所にかけこむだろうし、今日は天気が最高だからプロポーズしてみようと気まぐれを起こして、断られるかもしれない。
そんなもんは「いつか」の不確定事項の話であり、重要なのはふたりにとっての「いま」の意思なのだ。
■後悔のない結婚をしたいから、固定概念やノイズなんか気にしない
もちろん「結婚したくない」のではない。2年前までは、結婚することなんて考えていなかったけど、「この人とならやっていける」という確信はできている。「紙きれ1枚で安心してくれるなら」という思いもある。そういったものは積み重ねてきた日々が育んでくれた気持ちでもある。
だからこそ、ただただ、付き合いが長くなってきたからとか、親のプレッシャーとか、まわりからの雑音とか、フツーはこうあるべきという強迫観念からとおくはなれた「ナチュラルな今日の気持ち」で、そして、「自分たちの前向きな意思」で、思い残すことなく結婚したいのだ。
おそらく僕と彼女の性格から言って、なんというか特にドラマチックなきっかけなく、飄々と結婚する気がする。今のところは大丈夫そうだけど、ひょっとすると、前向きな別れが訪れてしまうのかもしれない。そのときは大泣きして、めちゃくちゃ良い記事が書けるかもしれないです。
人生は短いようで、それなりに長い。そしてそれには、明日のために今日があるという視点ではなく、素晴らしい今日のくりかえしを大事にするという視点こそが重要だと僕は思っている。社会性も計画性も大事だけど、それだけのために、自分たちの心を殺すのはまちがっている。
いつ、誰と結婚するのが「正解」なのかは誰にもわからない。だからこそ、なんとなく胸をしめつけられるような強迫観念ではなく、自分にとっての「今日の正解」を大事にする毎日が必要なんじゃないかと思っている。
それが後になって、「不正解」だと思い知らされることになったとしても、「前向きな意思」に始まり、「前向きな意思」で終わったのならば、後悔なんてものがまぎれこんでくることはないと思えるのだ。