「あのとき、AV女優を辞めなくてよかった」蒼井そらの今をつくった運命の選択
DRESSの『運命をつくる私の選択』は、これまでの人生を振り返り、自分自身がなにを選び、なにを選ばなかったのか、そうして積み重ねてきた選択の先に生まれた“自分だけの生き方”を取り上げていくインタビュー連載です。今回のゲストは、タレントの蒼井そらさん。
中国を始め、アジアでその名を轟かす、元AV女優でタレントの蒼井そらさん。中国版のSNS「微博(ウェイボー)」(※)でのフォロワーは1900万人を超え、日本を代表する有名人となった。2020年には自身の半生をストーリー化した小説『夜が明けたら 蒼井そら』(主婦の友社)が発売され、男性のみならず女性読者からの共感を得ている蒼井さんに、これまでの半生について改めてインタビューした。
※微博(ウェイボー):中国圏最大のソーシャル・メディア。中国本土のみならず、香港や台湾、アジアや欧米その他多くの中国語圏で幅広く利用されている。
取材・文 :大芦実穂
写真 :高橋佑樹
編集 :小林航平
■「だって私、有名になったし」の勘違いから再スタート
──たびたび中国に関する書籍や韓国映画の中で「蒼井そら」というワードを目にします。アジアのスーパースターとなられた蒼井さんですが、もともと海外進出を考えていたのでしょうか?
「海外進出をしよう!」とは考えていませんでしたね。あと、中国での活動について語られることが多いのですが、実は最初の海外でのお仕事はタイの映画作品への出演でした。実は中国に行かせてもらったのはけっこうあとで……タイ、韓国、インドネシアの順番で、中国で活動させてもらったのはそのあとくらいかな?
――いきなり海外でのお仕事に挑戦することに不安はなかったのでしょうか?
実はこのタイでの仕事をする前に「AVの仕事をもう辞めたい」と思っていた時期があったんです。2002年にAV女優としてデビューして、2006年ごろにはバラエティ番組や月9ドラマにも出演できた。それで、「私、もう有名になった」って勘違いしてしまって……。やりたい仕事とやりたくない仕事を選ぶようになっていたんですよ。「この仕事はしなくていいかな」って思うことも正直あったんです。
そんなとき、とあるスタッフの方と飲んでいるときに、「そらちゃん、ギラギラ感なくなったよね」って言われたんです。「デビューしたてのときに纏っていた『やってやるぞ!』っていうギラギラ感がかっこよかったけど、今はそれがないよね」って。そのときは「だって私、有名になったし……」って捻くれた態度をとりながらさらっと流したんですけど、実はめっちゃグサッときていて(笑)。すごく悔しかったですね。でも、あらためて当時の芸能界を見渡してみると、ものすごく広い世界で……「有名になった」と思っていた自分が恥ずかしい。だからこそ、あの言葉がなかったら、今の自分はいないかもしれません。自分を変えてくれた言葉だったと思います。言われた瞬間のこと鮮明に覚えてますもん、居酒屋の雰囲気とか(笑)。そこから反省をして、気持ちを入れ替えて、また一から始めようと決意しました。マネージャーにも「今までNG出してた仕事も全部やります!」って伝えましたね。
ちょうどそのころに、タイから映画出演のオファーがきたんですよね。「蒼井そらはタイで有名なので来てください」って。「え? 私って海外で知られてるの?」と驚きました。最初は「仕事で海外に行けるならラッキー!」くらいの軽い気持ち。でも実際に行ってみると、ものすごい熱量に圧倒されてしまって、これは頑張らなくちゃ、と。
──日本の外にいる多くのファンに自分の仕事を届けるためにどのようなことを意識されたのでしょうか?
その国の言語やコミュニケーションを学ぶことでしょうか。例えば中国の方々に発信するためにウェイボーを始めました。中国ではTwitterが閲覧できないので、その代わりにみんなウェイボーを使っています。そこで私も始めたら、すぐに400万人くらいの方がフォローをしてくれて。
ただ、無料で始められるサービスだから、「流行ってるみたいだし、とりあえずフォローしておくか」みたいな人が多いのかな? って思っていたんです。けれど、そのあと中国で開催されたイベントに出席したとき、会場にファンの方が1万人くらい集まってくださっていて……。その光景を目にしたとき「こんなに多くの人たちが私のことを見にきてくれたの!?」と、本当に驚きました。舞台にもあがったのですが、人が多すぎて危険だから、と会場に5分もいられませんでした。短い時間なのに、通訳の方を介してしか会話ができない。もし私が中国語を話せたら、もう少しファンの方々とコミュニケーションがとれたんじゃないかと思い、中国語を学び始めました。今は日常会話くらいなら話せるようになったかな? 子どもレベルですけど(笑)。
■昔から負けず嫌い。「Rioちゃんに嫉妬していた時期もありました」
──お話しを伺っていると、かなり負けず嫌いなところがあるのではないかと感じます。蒼井さんはご自身の性格などをどう考えていますか?
そうですね。子どものときから負けず嫌いな性格だったと思います。例えば、小学生のときは、近所に住んでいる同級生をライバル視していました。親同士も仲良くて、家も近いし、クラスも一緒な友達だったのですが、「どっちが早く家に帰れるか」なんてくだらないことで競っていたりもしました(笑)。今思えば、そんなライバルがいたことで運動も勉強も頑張れたので、結果的には良かったと思っています。
芸能界入りしてからは、当時所属していたAV女優を中心としたアイドルグループ「恵比寿マスカッツ」のRioちゃんにめちゃくちゃ嫉妬してました(笑)。かわいくて、おもしろくて、周りの人たちから愛されていて……。どうしたらRioちゃんに勝てるのかをずっと考えていました。そんなときに、恵比寿マスカッツの総監督でもあるマッコイ斉藤さんに「野球でいったらRioは4番バッター。お前は4番にはなれないけど、1番バッターにはなれる」と言われて。その言葉がけっこう腑に落ちたんですよね。自分にしかできないことがあるってことに気づけたような。そこからあまり嫉妬することはなくなりました。
──アイドルグループ「恵比寿マスカッツ」では1期生のリーダーを務められましたよね。
恵比寿マスカッツが発足する際、「リーダー誰がやる?」という話になったとき私が手を挙げたんです。もう「私しかいないだろう!」っていう気持ち(笑)。小さいころからなんですが、“仕切りたい人”なんです。学級委員長とか班長とか……とにかくリーダーになるのが大好き。けど、責任感があるとか、そんな大それたことじゃなくて、「班長になれば自分の班のメンバーを自分で選べるじゃん。なんでみんな班長やらないの?」っていう自分都合な考え方(笑)。
恵比寿マスカッツのリーダーのときは、自分のできないことや苦手なことをメンバーに任せることを意識していましたね。「自分がやらなきゃ」と思う一方で、「チームなんだから、それぞれが自分のできることで周りの人たちを助けていけばいい」とも思っていましたね。誰かひとりが責任を負うのではなく、一人ひとりが自分のできる範囲で責任を持っていくことが大切なのかなって。だから、わたしはよく誰かをリーダーに任命していました。「あなたは踊りが上手だからダンスリーダーね」みたいな。
■「絶対に成功してやる。有名になったらすべて大丈夫」
──蒼井さんが世界中の人たちから人気を集めている理由がわかる気がします。キャリアの始まりでもある“AV女優”への道を決めたときのことをお聞かせください。
小さいころから芸能界に憧れていて、その足がかり的に飛び込んだ場所がAV業界でした。けど「もしAV女優としてデビューしたら、家族に迷惑がかかるだろうし、きっと友達も離れていくだろう」と、正直そのときは思っていましたね。その一方で、「絶対に成功してやる。有名になったら全部大丈夫になる」、そう信じてもいました。AV女優に向けられてきた「ただセックスをしたい人」という偏見を向けられたくないプライドがあったんですよね。きっと自分の中にある「AV」もイメージが良くなかったんだと思います。仕事としてやるからには、世間や自分が「AV」に向けているイメージを覆すくらいのなにかをやらなければいけないな、と。
──ご両親は早いうちから蒼井さんの活躍を喜んでいたようですが、ご自身は申し訳なさも感じていたとか。
母は、私がメディアに出たら「すごい!」って喜んでくれて……。それがコンビニに置いてあるエロ本でも(笑)。でも、やっぱり恥ずかしかったですよ。どうしても自分の「職業」に自分でレッテルを貼っていたんですよね。「まだ裸やってる」とか「いつまで経ってもAV女優のまま」って思ってた。そこから抜け出すために必死で、AV女優ではない場所に目標を掲げていたのかな。
――自分で自分の「職業」にレッテルを貼っていたとのことでしたが、職業への偏見とどのように向き合ってきたのでしょうか。
「AV」に限らずですが、人間の抱える偏見っていうのは、一人ひとりと話をしていかないと変わらないし、話をしたところでなにも変わらない人もいます。もうその“変わりにくさ”や“変わらなさ”は仕方ないのかなって思ってはいるんですけど。ただ、「わたしみたいなひとりの人間もいますよ」って気持ちはずっとあります。
──蒼井さんは、最近YouTubeチャンネルもスタートし、「AV女優」の枠を飛び越えてますます活動の幅を広げていらっしゃいます。世の中に発信することは蒼井さんにとってどんな意味を持つのでしょうか?
最初はブログから始めたんですが、文章を書けば書くほど、周りから「普通だね」って言われて。AV業界全体に向けられるイメージが偏っていたせいか、「蒼井そらって、意外と普通の女の子なんだ」ってびっくりさることが多かったんです。しかもブログを書くことで、それまではほとんど男性ファンだけだったのが、女性の方も読んでくれるようになって、すごく嬉しかったですね。
子どものころにテレビで見ていた有名人や芸能人は、ものすごく遠い存在でした。でも、芸能界でお仕事をさせていただけるようになって、芸能人の方にお会いしてみると、その人たちも自分とあまり変わらない“ひとりの人間”なんだってわかったんです。テレビや雑誌で見ているだけでは、わからないことがたくさんあるし、勝手なイメージを抱かれることもある。きっと私もそうだったのかもしれません。だからこそ、SNSを通じて「私もみなさんと同じですよ」「AV女優だって、“普通”の女の子ですよ」と伝えたかったんです。それは今も変わりません。
■後悔をすると、決断したことが無駄になる
──AV女優としてデビューするときや、海外へ進出を決めたときなど、自分で決めたことを一つひとつ行動にうつしていく芯の強さを感じます。
両親もよく「自分で決めたことはちゃんとやるよね」と私に言いますね。AV女優になると報告したときも、同じことを言われました。私のことをちゃんと見てくれているんだなって、嬉しかったです。ただ、あまりにも私がひとりで決めるから、「もうちょっと相談してくれない?」とも(笑)。
自分のことを自分で決められるのは、父と母が私の選択を否定してこなかったからなんですよね。自由に選ばせてくれて、「あなたが決めたことだったらいいんじゃない」と言ってくれる。それは決して投げやりということではなく、信頼してくれているという感じ。
例えば、私が高校の進路を決めるとき、家から通いやすい高校ではなくて、都心にあった遊べる高校に行きたいと伝えたときも、両親は「ちゃんと決めたことならいいんじゃない?」って言ってくれました。遊びたいからって理由で進学先の高校をOKするってすごいなって思うんですけど(笑)。でもそれは投げやりってことではなくて、「今まで見てきた自分の子どものことを信頼しているから」という判断基準がある感じです。
──ご両親と信頼関係を築かれているんですね。蒼井さんご自身は、なにかを決めるとき、どのようなことを指針にされているのでしょうか。
自分の直感を大事にしています。わりとすぐにものごとを決められるタイプで、例えば、ふたつの選択肢があったとしたら、すでにどちらかに答えは決まっているんですよ。だから、少しでも自分の感性が良いなと思うことを選択するようにしています。「あっちを選べばよかった!」と後悔したことはないですね。後悔をすると、せっかく決断したことが無駄になってしまうような気がして。だから選ばなかった方は潔く忘れるようにしています。「AV女優」を選んだことも、「この道を後悔したら負け」と思って今までやってきました。“後悔”は自分のこれまでを否定してしまう行為だと思っているので、できれば今後もしたくないですね。
――自分が選択してきたことに後悔したくはない、と。では逆にこれまでの人生の中で蒼井さんに良かったと思える選択はありますか?
進学するとき、都心の高校を選んでよかったなって思う(笑)。デパートやカラオケもあって、プリクラも撮れて、ファーストフード店とかもある……そういう理由だったんですよね。でも勉強はちゃんとするし、卒業するからっていう気持ちはありましたよ。まぁ、そんな話は置いといて(笑)。
良かった選択………うーん、すべて良かったとは思っているんですけど、じゃあ「AVに出演すること」を選択して良かったかっていうと違和感があります。「今の自分」の始まりは「AV女優をやる」っていう選択があったからこそだけれど……その選択をして良かったなって思っているかっていうと違うんですよね。うーん、良かった選択……。
さっきお話ししたことなんですけど、AV女優になることで、周囲の人たちに迷惑もかけるだろうし、離れていく人たちもいるかもしれないと思っていました。けれど芸能界への強い憧れもあって。いろんな葛藤を抱えていたけれど、あのとき「AV女優を辞めなくて良かったな」って思うかな。うん、そうだね……あのとき「辞めない」選択をしたからこそ、今の自分があるなって思います。
■今興味があることは、子育て。これがやりたかったんだって思う
──2018年には結婚、翌年双子のお子さんを出産しています。もともと保育士になるのが夢だったという蒼井さんですが、お子さんとの暮らしはいかがですか?
趣味が子育てというくらい楽しい。ああ、こういうことをしたかったんだなってしみじみ思います。もうすぐ2歳になるんですが、言葉の獲得が進んでいて、あと少ししたらコミュニケーションが取れると思うと楽しみです。
──最後に、今後やりたいことや目標を教えてください。
出産して、よし今から働くぞ! っていうときにコロナ禍になってしまったので、また落ち着いたら中国やタイに行きたいです。子連れでアジアが夢ですね。
蒼井そらプロフィール
1983年、東京都出身。2002年にグラビア、AV女優としてデビュー。その後、バラエティ、テレビドラマ、映画などで活躍。中国やタイなどアジアでの人気は絶大で、中国版SNS「微博(ウェイボー)」でのフォロワーは1900万人を超える。自身の半生をベースとした、藤原亜姫による小説『夜が明けたら 蒼井そら』(主婦の友社)が発売中。
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