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「女同士って怖いよね」「はあ? うるせえ」

「女の敵は女」という、よく聞く言い回しに対する違和感。本当に女同士は陰湿で、女の友情は薄く、男同士は「カラッとしている」のか? 

「女同士って怖いよね」「はあ? うるせえ」

この間、Googleカレンダーに「最高の女たちと飲み会」とだけ入れてあったのだけど、さて誰たちとの飲み会なのか、さっぱりわからなくて困った。「最高の女」は周りにたくさんいる。高校の友達、大学の友達、仕事で出会った人たち、ネットで出会った人たち、出会いは忘れたけどとりあえず最高な人たち。

もしかしたら、私の人生は「女運」に恵まれているのではないかとふと思った。誰との飲み会なのかは依然謎なのだが、それはさておき。

■「女の敵は女」なのか?

一方で、女は女が嫌いなものだと信じて疑わない人たちは大勢いる。「女の敵は女」「女が女に怒るのはこんなとき」「女のバトル」「女の嫉妬」「女社会」……例を挙げればきりがないくらい、「女は女が嫌い」で「女同士が集まると諍いが起こる」ということを示す言い回しは多くある。

そういう構図で作られたコンテンツは、テレビをつければしょっちゅう流れているし、学校や会社では女同士で諍いがあると「女同士ってこえ〜」とか、女の後輩が入ってくると、まだ会話もしたことないのに「あんまり若い女の子いじめないでよ?」とか言われることはしょっちゅうなので、受け取る方もなんとなく「そういうもんなのか」と思ってきたのだろう。女は女が嫌いなものだと。

かくいう私にだって、「嫌いな女」というのは確かに存在する。

例えば、どうも価値観が合わない、同じクラスだったら仲良くならないだろうなという人。(果てしなく無駄な行為だとわかってはいるけど)疲れているときに、あえてその人のSNSを見に行って「やっぱり合わね〜」と改めて思う人。多分あちらさんも「私のことはいけ好かない奴だと思っているであろう」とお互い察して触れ合わないように生きている人。

この「嫌い」は「同じ女だから嫌い」なのか、それとも「人として嫌い」なのか(どっちにしろ嫌いなのだけど)?

私は、そのどちらの「嫌い」もあると思っている。「そもそも人間として嫌い」という人ももちろん(もちろん?)いるが、同じ女だから比べてしまって「嫌い」になるパターンも正直あるのだ、少なくとも私には。

ジェンダーバイアスという重力のなかに生まれ落ちて生きてきた私たちは、どうしたって「女だから」「男だから」という概念がきれいさっぱりなくなることはないので、「女として」的な部分で同じ女と比べてしまうことは実際ある。

そういう性別ごとの役割に縛られなくていいし、少しでも縛られない世の中にしていきたい。けれども、どうしたって今現在の世の中にはそういう概念が重力のように存在しているし、そういう重力の中で大人になってきたので、容姿とか、世の中の渡り方とか、いわゆる「モテ」的なこととかを他の女の人と比べてしまう。

比べることで嫉妬も生まれるし、わかり合えないことが起きたら険悪になるし、心の中で「はあ?」とか「うるせえ」とか悪態をつくことだってある。多々ある。

私は最近だと年上の女の人に恋愛の話を振られて「まああなたは経験も浅いだろうからわからないでしょうけど」とマウントを取られて心底「うるせえな〜」と思った。

他にも人の結婚相手が気になってしまったり、自分より早く出世した女が気になってしまったり、みみっちくて情けない嫉妬は数知れない。どんなに「私は私」と思っていても、油断すると陰湿な自分が顔を出してくる。

■「陰湿」に男も女もない

しかし「ほらな、やっぱり女は陰湿だろ?」と言われたとしたら、それも「はあ? うるせえ」と返したい。

なぜなら男同士だって「同じ男だから嫌い」も「人として嫌い」も普通にあるだろうから。同じようにジェンダーバイアス重力の中で生きているのだから、男が男を「男として」的な観点で比べて嫉妬したり嫌ったりする事例、全然あるでしょう。

女のそれみたいに慣用句的に使われたり、みんなが「そういうもん」だと思っていないし、なんなら「男同士はカラッとしてるからさ〜」なんて言われるけれど、じゃあ例えば『半沢直樹』にどうしてビジネスマンの男性たちが溜飲を下げたのか。「嫌いな男」の顔を思い浮かべてその人がやり込められるのを想像してスッキリしていたからではなかったか。

本当に当たり前なことを言うと、女も「人間」なので、普通に争ったり上手く付き合えなかったり嫉妬したりする。でもそれは性別に関係のないお話。

なので「女は陰湿」で「男はカラッとしている」のではなく、「女も男も陰湿になる相手もいればカラッと付き合える相手もいる」が正しい。書いていて当たり前すぎるのでばかばかしくなってくるのだが、あいにくまだ世間的にはそう思われていない様子。

なぜ女だけが陰湿に描かれるのか……と考えていたら、結婚や恋愛を題材にしたリアリティ番組を楽しく見られなくなってしまった。あの手の番組には必ずあるのだ、「女のバトル」が。そこには編集する側の意図がどれくらい反映されているのか?

その「女のドロドロ」は過度な演出によるもので、ほとんど虚構なんじゃ? 考え始めるともう楽しんで見ることはできなかった。実在する女たちによる、演出された「女のバトル」を見てケラケラ笑うのって、奴隷に殺し合いをさせるコロッセオに似ている。コロッセオ見たことないんだけどさ。

人間の陰湿さを描くなら、それを女だけに押し付けるのは全然フェアじゃない。

逆に好きになった(というかそこが好きだったのだと気づいた)のは「女が普通に口悪く喋ったり喧嘩したりする」作品だ。『GALS!』とか、最近教えてもらったものだと女子サッカーを題材にした漫画『さよなら私のクラマー』とか。

これらの作品の中では普通に女同士で「うるせえ」とか「黙れ」とか「ぶっ潰す」とか言って喧嘩する。「〜のよ」とか「〜だわ」とか、現実世界で誰かが使っているのを見かけない“女言葉”は使わない。登場する女たちが「女」じゃなくて「人間」として描かれていると感じるのだ。

私は女友達とタピオカ飲んだり温泉行ったり、お酒を飲みながら恋愛や仕事の愚痴を聞いたり、たまに険悪になったり「こいつとはわかり合えね〜」と思ったりもする関係性を「薄い女の友情」とは思わない。

結果的に疎遠になったり決別したとしてもそれは「人間関係が破綻した」のであって、「ほらな、女の友情は薄いんだよ」と言わせたくはないのである。そして全く同じことを男友達たちに対しても思っている。

「最高の女たち」も「最高の男たち」も、同じく「最高の友達」で、いつか何かの拍子に破綻してしまう可能性だってある、尊くてわずらわしい人間同士の関係であることに変わりはないのだから。

つっきー

編集とかテレビっぽいことをやったあとに代理店に来ました/ライターもやってます/アニメ・漫画などいろいろ好きなオタク

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