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20万の豊胸手術までして、おっぱいコンプレックスと格闘してきた話

豊胸手術をしたことがある、とは今まで誰にも話したことがない。したけどまったく変化がなかったから、あえて言わずに生きてきた。ただ、躊躇なく手術に踏み切るくらい、おっぱいの小ささを気にして生きてきた。そんな私が「別のおっぱい」を手に入れなくてもいい、と考えるようになるまでの過程。

20万の豊胸手術までして、おっぱいコンプレックスと格闘してきた話

「胸小さいね」は学生時代にしていた水商売バイトで、男性客から胸元をじろじろ見られながら言われた言葉。「胸ないよね。Aでしょ?」は昔勤めていた会社で、男性の同僚が「残念だね」というニュアンスで発した言葉。「ペチャパーイ」は昔の彼がベッドの上で、からかい半分に言い放った言葉。

一番傷ついたのは元彼の「ペチャパーイ」口撃だ。「私のこと大好きなくせに、そんな幼稚で意地の悪い発言するってどういうこと?」と、あまりのショックで真顔になって10秒ほどフリーズしたし、別れるまで根に持っていた。

自分の胸のサイズを勝手に推測されたり、小さい=可哀相であるかのように表現されたりする度に、治りかけた傷の上に小さな傷ができて、傷跡が盛り上がって残るような感覚があった。

毎回「ちょっと〜。ひどいんですけどぉ!」と笑い飛ばし、傷ついていない演技をして、悪気なし風に発せられた言葉をやり過ごした。人の体をバカにして笑うような、想像力の欠けた相手にムキになっても意味ないしなあと、諦めていたからだ。

■成長期に成長しなかったおっぱい

身に着けるランジェリーによっては、ふっくらして見えるけれど、Bカップのもので事足りる。ただ、裸になって仰向けになると、おっぱいの存在感は一気になくなる。「あれ、どこ行っちゃった」的な、マイおっぱい。

標準体重で肥満でもなかったのに、中学生のときに数カ月間、極端なダイエットをしたことがある。野暮ったい外見が嫌いだった。「もう少し痩せたら人生が変わる」と盲信し、夕食は家族が食べる量の半分だけ食べて、炭水化物はカット、1日30分以上ウォーキングかランニング……といった生活を続けたことが関係しているのかは不明だが、おっぱいはほとんど発育しなかった。

おっぱい以外の部位には脂肪があって、身体も骨太で逞しいぶん、どこかアンバランス。おっぱいが大きくなれば、自分の身体を好きになれるのに――と思い続けた10代後半から20代。社会人になって自由に使えるお金を得てから、「おっぱい育成プロジェクト」を進めてきた。

■プチ豊胸、バストアップサプリ……おっぱいの悩みと格闘した日々

バストアップ施策第1弾はバストクリームだった。おっぱいに塗ってマッサージをすると大きくなると信じていたけれど、おっぱいに変化は起きなかった。2種類買って使い切ったけれど、おっぱいは沈黙したまま。23歳だった私は「さ、次へいこう」と気持ちを切り替えた。

25歳のときに手を出したのはバストアップサプリ。プエラリア・ミリフィカという植物を原材料に含み、それが女性ホルモンと同様の働きをする成分だと謳われていた。飲み始めた数日後に不正出血があり、気になって婦人科へ行くと、「このサプリが原因でホルモンバランスが崩れている」と医師。飲み続けるとリスクが大きいと判断し、すぐにやめた。その後、プエラリア・ミリフィカを含んだサプリ等での健康被害は数多く報告されている。購入前に調べたり医療関係者に意見を仰いだりすべきだったと思う。

痛い目に遭っても懲りることなく、26歳を迎えた年に豊胸手術の予約を入れた。生理食塩水・シリコンなどのバッグを注入するような、ハイリスク・ハイリターンとも言えなくはない方法は避け、自分の血液から採取した血小板を注入する方法を選択。胸にぶすりと刺された針から、異物がにゅるにゅると入っていくのを「嫌な感覚だな」と感じたのを覚えている。

術後、数日経って黄色く変色した胸元を見て、ショックでわんわん泣いた。このまま胸の色が変わらなかったらどうしよう。著名な医師の腕を信じて手術を受けたのに、術前よりひどい状態になるなんて……。

お風呂に入る度に涙が出て、おっぱいを直視できなかった。1週間ほどすると、奇妙な変色は消えたけれど、おっぱいも元のままだった。手術費用の20万円は泡みたいに消えた。

■他人がいくらフォローしようと、コンプレックスは昇華されなかった

他にも、おっぱいの成長にいいとされる食材を摂取したり、育乳ブラを着けたり、おっぱいに関するいろいろなチャレンジをしてみたものの、おっぱいはうんともすんとも言わない。「なんで大きくならないんだろう……」とため息をついていた、高校生の頃のまま変わらない。

「もう、おっぱいに関してジタバタするのはやめよう」と自分に言い聞かせたのは、30代を迎える前後だったと記憶している。「身体はゴツいわりにおっぱいは小さくて、バランスの悪い身体がコンプレックスなんだ」。ある男性と初めて寝た日にそう言うと、「きれいな身体だと思うよ」と肯定されて嫌な気持ちはしなかった。

その後も、寝た相手は「サイズじゃない」「触り心地が大事」など、それぞれが小さなおっぱいをフォローする語彙を持ち、ネガティブな言葉をかけられることはなかった。それでも、私自身は小さなおっぱいに悶々としていた。他人になんと言われようと、自分の中では昇華できていなかった。

■BカップがGカップを体験して知った不都合なこと

転機が訪れたのは31歳の夏。大きなバストを持つ女性向けのメディアで、「Bカップが1日だけGカップになって生活してみる」という記事を依頼され、執筆することになったのだ。Gカップを模した2キロを超えるアイテムを装着して寝たり、洗顔したり、ストレッチをしたり、逆立ちをしたり、爪を切ったり。いろいろな動作をする過程で、Gカップのおっぱいを持つ人の大変さを知った気がした。

最も驚いたのは、洋服をきれいに着られないことだった。脚全体が逞しいためにスリムなパンツがパツパツになる、そもそも穿けないといった経験は数あれど、トップスやワンピースが着られない、変なシワが寄る、上半身がボリューミーに見える、といった悩みを抱えたことは一度もなかった。

トップスはSサイズで、試着なしに買ったものでもきれいに着られる。それが当たり前だと思っていたけれど、Gカップともなるとそうはいかなかった。Gカップの状態で手持ちの服を着ると、ボタンが上まで留まらなかったり、不自然なシワが寄ったり、ファスナーが上がらなかったりすることに愕然とした。

どんな物事にも表と裏がある。うれしいこともあれば、つらいこともある。それはおっぱいも同じなのだと、わずか1日ではあるけれど、おっぱいが大きい状態を体験して考えた。大きなおっぱいの人はグラマラスに見えて、立体感のある身体つきがとてもカッコいいと私は思う。一方で、彼女たちは彼女たちで、きれいに着られる服選びにとても苦戦しているし、太って見えやすいのが悩みだと聞く。

■「私のおっぱいは確かに小さい。でも、いいところもあるね」

1日限定Gカップ体験をした後、自分のおっぱいを「確かに小さい。でも、いいところもあるね」と肯定できるようになった。服を買うときに困らないし、運動しているときにも気にならない。おっぱいがじゃまになるシーンもない。身体の立体感は少ないけれど、一緒に生きていて楽で、主張することなく、さり気なくそこにいる、といった感じ。

「こうなればいいな」という理想のおっぱい像はある。具体的には、おっぱいと腹部の境がハッキリするような、バージスラインがきれいに出て、全体的に丸みのあるおっぱい。でも、なんとしてでもそれを叶えようとは、もう思わない。

自分のそれとは違うおっぱいになってみると、新たな素晴らしい体験ができるかもしれないけれど、新たな困りごとを抱える可能性もある――。それを実感して、自分の中で腑に落ちたからこそ、私は「別のおっぱい」を手に入れなくてもいい、と考えるようになった。「まあ、悪くないね」と思いながら、33年付き合ってきたおっぱいとこれからも生きていく。

Text/池田園子
Photo/タカハシアキラ(@crystal_style

池田 園子

DRESS編集長(2016年1月〜2020年1月)。

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