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私のおっぱいも、あなたのおっぱいも素敵

私は自分の体の美しさを愛していることを誇りたい。私の美は私が決めることだから。あなたの美もあなたが決めること。

私のおっぱいも、あなたのおっぱいも素敵

いま私は自分のおっぱいが好きだ。お風呂に入る前に鏡を見て、うっとりできるまで好きになった。

いまの世の中には、女性が乳房を出して歩くことのできる場所が滅多にない。だからこそ、もしも顔や脚のように出して歩けたらいいのになと思うことがある。

私はいまロサンゼルス在住だ。移住してきたのは5年前。ここは日本と同じように乳房は露出できないが、さまざまな人種、ジェンダーの人が住み、お互いをリスペクトする社会ができている。

この社会は、私が自分のおっぱいに対して抱いていた印象も変えてくれた。

※本コラムはヘテロセクシャルである私の経験をもとに書いています。そのため、ヘテロセクシュアルの女性に向けた文章となります

アメリカでは女優で歌手のマイリー・サイラスが、男性は胸を露出してもいいのに、女性は許されないダブルスタンダードはなぜなのかと批判し、女性の乳首の解放運動を支持している。

インスタグラムは乳首の露出をしている写真は削除する方針で、マイリーが投稿した乳首を露出した写真は削除されてしまった。乳首を露出した絵はアートだからセーフらしい。

考えてみたらなぜ乳房を隠さないといけないのか、性的な視線を防ぐためというヘテロセクシュアルの男性視点的な理由以外、明確な理由がわたしには見当たらない。

女性は出しているだけで、インスタグラムのアカウントがBanされるし、警察にも捕まりかねない。私がこういうことを言うと、一部の男性からふしだらな女のように扱われるのも腹が立つ。

別に私は男性のために自分のおっぱいを誇りたいわけではない。私は自分の体の美しさを愛していることを誇りたいのだ。

■おっぱいがそんなに偉いの?

女性の乳房が過剰に性的に扱われ過ぎなのも私たちのおっぱいについての悩みの大元にあると思う。

デカい胸がいいという文化は性的な部分から来ている。もともと日本で巨乳がもてはやされるようになったのは70年代後半だ。

マリリン・モンローからアメリカの巨乳人気に火がついて、それが輸入され、大橋巨泉が「ボイン」という言葉を作った。そこから巨乳は今のような市民権を得ていく。

胸が小さければ性的魅力がないと言われ、大きければそれだけでふしだらな女だと言われる。いい迷惑である。

私はふくよかな体型だが、大きめの下半身の割にそこまで胸は大きくない。世間はふくよかなのに胸がないと「残念な体型」だという。

ある人からは「上半身と下半身のバランスおかしいよね」と言われたことがある。下半身が大きすぎるとも取れるし、上半身、すなわち胸が小さすぎるとも取れた。

そこからひと月くらい、脚が細くなるようなマッサージをして、脇下の肉が胸になるように、肉を流してみたこともある。

でも、大した変化は見られなかったので、続かなかった。胸がないと自分には性的魅力が足りていないと思い込み、おっぱいがそんなに偉いのかと思い続けた。

アメリカに来ると、アメリカはいわゆる“おっぱい星人”が日本より少なくて、お尻好きも一定数いて、私は急に胸の大きな女の子の気持ちがわかるようになった。

お尻は体の後ろ側にあるので、胸ほど露骨に見られていることがわからないが、それでも人が見ていることはわかる。胸ならば顔がその上についているから、見られていることは容易にわかるだろう。

自分は普通に生活しているだけなのに、人が自分の身体を他のフィルターにかけて見ているなんて日本では気づくこともなかった。

しかし、残念な体型だと言われることもなくなり、私はいろいろと楽になった。まず、アメリカでは他人の外見について触れるのはタブーだ。

日本では「痩せた?」は褒め言葉だが、こちらではこの言葉はいつも褒め言葉ではない。貶すような言葉に容易になり得る。

まず外見については話さない。人が持って生まれた変えられないことについては触れない。これがルールだ。

そんな中で過ごしていると、日本で少しずつ培われた自分の外見への否定の呪縛もだんだん解かれていった。

■私のおっぱいはなんて愛らしいのか

1年半前からプラスサイズモデル(※)の仕事を始めて、他のプラスサイズモデルを研究したら、彼女たちの曲線の美しさがわかるようになっていった。それまでは、細ければ美しいんだと、自分の筋肉質な身体づきまでも恨んでいた。

「細すぎて折れそうだよね」と言われるのを夢見ていた。それが彼女たちを見てまったく変わってしまった。セクシーとはこういうことか! と頭の中で電球が光るようだった。鏡の前で自分を見る時間が好きになった。

自分はこれでいいと思えたし、私のおっぱいはなんて愛らしいものなんだろうかと思えるようになった。

子どもの頃に読んだ少女漫画雑誌のお悩み相談コーナーに書いてあったことが、いまでも印象に残っている。

胸が小さくて悩んでいるという投稿者に対する「胸が小さかったらTシャツの柄をキレイに見せることができる」との回答。子どもながらに、胸は大きければ大きいほどいいと思っていた私は目を見開いた。

いま思えば、ホントにそういうことなのだ。胸は大きくても小さくてもそれぞれに悩みがあって、誇れるところがあるものなのだ。

だいたい胸に関する悩みはこれまでの経験上、男性の目線が原因となって生まれることが多いように思う。しかし、私たちはいつも「モテる」外見でなければ正解ではないのだろうか?

外見の悩みは、他人の視線や発言が原因で起こることが少なくない。モテる外見になることに追われて、自分の好きな外見になることを見失う人もいる。

■自分が好きな自分でいたい

なぜ他人からの評価を基準に自分の体の成り行きを決めなければならないのか。というか、パートナー候補となる相手はひとりしかいないわけではなくて、たくさんいてみんなタイプは違うのだ。

「恋愛で結果を出したい」「モテたら選択肢も広がるだろう」

しかし、恋愛は選挙ではない。多くの票を集めるのが目的ではなくて、たったひとつの自分だけの宝箱を探す旅なのだ。

多くの宝箱を集めて、開けてみても空箱ばかりならば労力の無駄ではないだろうか? だから、自分にピッタリの宝箱を探し出す一番の近道こそが「自分が好きな自分でいること」なのだ。

誰かが「胸が小さいから魅力がない」「胸が大きくて下品」と言ってきてもあなたには関係ない話。

まず、その人は他人の外見をとやかく言ってもいいと思っている浅はかな人間で、相手にする価値もないし、あなたの求めている人間ではないだろう。

■あなたの美はあなたが決める。他人の言葉は気にしない

私のおっぱいはプラスサイズにしては小さい。しかしお尻が大きいので、オールインワンや、ドレスはお尻のサイズに合わせて買わなければならない。

胸の部分がいつも少し余ってしまう。もっと大きければ見栄えがいいのにとも思う。

しかし、私のおっぱいのいいところは、重力に逆らった気合いの入った乳であるところだ。

私は体中の脂肪が固めで、触り心地は悪いが、それが胸についたらこっちのもんで、重力に負けないハリのあるチチになる。そこが私のおっぱいのいいところだ。

あなたの性別が何でも、あなたがどの性別を好きでも、女性でも、男性でも、どちらでもない人から何か言葉を投げかけられたとしても関係ない。

あなたのおっぱいには素敵なところがたくさんある。

何が美しいか、魅力的かなんて主観でしかない。誰かがあなたに心無い言葉をかけてきたとしても、あなたの主観で「美しいあなた」でいることが一番大切なのだ。

他人にあなたの在り方を決めさせてはいけない。

あなたの美はあなたが決めるものだ。

※ボリュームのある、グラマラスな体型のモデルを指す

Text/藤井美穂( @mihoimiofficial

DRESS編集部

いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。

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