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自分の好奇心に従ってきただけ。これからもイケてるババアとして生きていく

平和な世の中だからこそ、自分の人生を楽しんでいきたい。

自分の好奇心に従ってきただけ。これからもイケてるババアとして生きていく

ロックTシャツにシルバージャケットで颯爽と店内に入って来られた岩室純子(いわむろ・すみこ)さん。

今年83歳になるとは思えないほど、キラキラと輝く雰囲気を放ち、時折「ふふふ」と目を細めて笑顔をこぼします。

昼は「餃子荘ムロ」のオーナーシェフで(ここの料理は本当に美味しいです!)、夜はアジア最高齢のDJ・SUMIROCKとして活動する姿がさまざまなメディアで話題となった岩室さん。今では海外から彼女を訪れるファンもいるそう。

アジア最高齢DJとして国内・海外で活躍するDJ SUMIROCK。撮影/橋本和也

今回は、年齢にとらわれず、柔軟な生き方を体現されている岩室さんに、自分らしく生きるヒントをお伺いしました。お会いさせていただいた場所は、週に1~2回は来ていると言うお気に入りのタイレストラン「クンメイ1」にて。

■生きているだけで丸儲け

――岩室さんの年齢に関係なくご自身が興味あることを突き詰めて生きられている姿に、多くの人が勇気づけられていると思います。

幼いときに戦争を体験していますから、平和な毎日の中で生きられることが幸せです。空襲にもあいましたが、私たち家族はなんとか生きのびることができました。

自宅が燃えている中で、父親が大八車(だいはちぐるま)に祖母らを乗せて逃げたんです。戦後も生活をしていくことが大変で、食料や燃料がないために、北海道で少しの間過ごして……それから東京に戻って来ることができました。

――その当時と比べれば、今は自分のやりたいことをできる時代になりました。

もう80年以上生きているけれど、平和に向けて語り合える方向に世の中が動いていますでしょう。平和な今を楽しまないなんてもったいない! おっしゃる通り、昔に比べたら何でもできるのだから、それを精一杯利用して好きなことをやりたいなと思っています。もちろん、人様に迷惑をかけることはダメですけどね(笑)。

芸人である明石家さんまさんもおっしゃっていましたが、まさに「生きているだけで丸儲け」な精神です。

■音楽と歩んだハイカラな父の存在

――岩室さんは現在もDJとして音楽に携わっていますが、小さい頃も音楽が身近にあった生活を過ごされていたそうですね。

裕福ではなかったけれど、家族のために尽くしてくれた父親の存在が大きかったのかもしれません。

父は不良少年だったから海軍に入れられて。
軍楽隊に所属してドラマーを務めていたので、船で世界一周をしながら各国の式典や行事で演奏をしていました。その影響もあって私もJAZZや洋楽が大好きで、戦争中は周りに音が漏れないよう、座布団を蓄音機にかぶせて聞いていたほど。

父は除隊後にJAZZバンドで働いて、森山良子さんやムッシュかまやつさんのお父さまたちと演奏していました。ダンスホールがメインの職場でしたが、ときどき劇場やラジオの出演もありました。そのあとに音楽プロダクションをつくって、米軍基地でミュージックやショーをアレンジし、提供する仕事をしていました。

音楽のほかにも海外の生活文化を多く目にしてきたので、幼い頃は周りから少し変わっている子だと思われていたみたい。マイペースで行動がとてもゆっくりだったから、友達に「slow(スロー)ちゃん」と呼ばれたり……。あまり既成概念にとらわれないところが目立っていたみたいです。

■結婚はしない・子どもは持たない

――過去のインタビューで岩室さんは「結婚はしない・子どもは持たない」とおっしゃっていました。そういったご自身の生き方を貫くことは大変ではなかったですか。

私にとっては「自分の好奇心に従った」だけのこと。

当時から交際している相手はいました。けれど、結婚はしたくないと思っていましたし、子どもを授かることへの興味も薄かった。これは取材される度に伝えているのでもう恥ずかしいのだけど……石川達三の小説に「結婚とは性生活を伴った女中奉公みたいなものだ」との一節を読んでから、その考えに同感したんです。

――なるほど。とはいえ、当時は今よりも「結婚」や「子育て」という側面において、女性をある種の規範に押し込める力が強かったように思います。

たしかに両親からは求婚の話がありました。ですが、その度に私の方からお断りしていました。パートナーとして出会い、交際を続けていたのは25歳年上の中国人男性。その人とは、知識の交換ができたんですね。私の知らないことをたくさん教えてくれたの。それで私が50歳手前のとき、相手が在留資格を取る関係で籍は入れました。

そのときには、ちょうど父親が開いた餃子荘ムロを手伝っていて。一生懸命働いていたから、自分の生き方について両親に何も言わせないと思ってはいました(笑)。

■アジア最高齢DJ・SUMIROCKとしてデビュー

――70歳を過ぎてからDJを始められて、今ではアジア最高齢DJ・SUMIROCKとして活躍されていらっしゃいますね。

餃子荘ムロを経営して、、夜はクラブでDJをしているから本当に忙しいのです!

――そもそもDJを始められたきっかけはなんだったのでしょうか?

ワーキングホリデーでウチに来ていたフランス人に「やってみたら」と誘われたのが始まりです。先輩のDJに教えていただいていましたが、やる以上はDJスクールに通いました。

昔から勉強や習い事が好きなんです。英語の資格を取得したり、青山に初めて設立されたデザイン学校に行って絵を学んだり。

自分の知らないことを学ぶのは、いくつになっても楽しいです。新しい知識が増えると、それを活かした毎日を過ごしたいと思うから。

■ババアって響きが、潔くてかっこいい

――精力的に活動されている岩室さんですが、これからの展望を教えてください。

「潔い良い生き方をしたい」と思っています。

以前取材していただいた際に、先方から「いかしたババアになるために」との記事のタイトルを提案されました。「ババア」って言葉にマイナスなイメージを持つ方も当然いると思います。けれど私にとって、その言葉はとても素敵に感じられたの。「おばちゃん」ってなんだか気を遣われているみたいで個人的には好きじゃない。それに「ババア」ってなんか響きが……潔くてかっこいいでしょう(笑)。

――岩室さんのそういう奔放なところに惹かれる方は多いような気がします。

人生には大変なことがたくさんあります。それは皆さんわかっていると思う。そういった事態をポジティブにとらえて、刺激として楽しむこと。それは「ハングリー精神を持つ」というような大袈裟なことではなくて、最初は「私にもできるかしら」という軽い気持ちで向き合えば良いんだと思います。難しかったら、そのときはそのときで。

お店(餃子荘ムロ)で働き始めてから65年になりますが、親子三世代に渡り来ていただけるお客さまがいて、とても嬉しいです。この歳になって、働ける場所があり、DJができる環境がある。こんなに幸せなことはないです。

取材・Text/岡田レナ
Photo/小林航平

岩室純子プロフィール

高田馬場にある「餃子荘ムロ」で働く一方で、アジア最高年齢のDJ・SUMIROCKとして活躍。その姿がYoutubeほかメディアで話題となり、各国のイベントにも出演。最近では、海外のファンがお店に訪ねるほど人気に。

DRESS6月特集は「聞かせて、先輩」。自分なりのモノサシを持って、わが道を切り拓いてきた人生の先輩たちのお話を紹介していきます。

DRESS編集部

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