これからはキラリと光る女性を目指したい
キラキラ女子になろうとする時期はもう過ぎた。これから目指すのだとしたら、目の前の人に「少しだけまぶしい」と思ってもらえるような、そんな女性。
少し前。キラキラ女子、という言葉をよく耳にした。
容姿端麗で、センスもよく、明るくて頭も良い、仕事もできて、でもプライベートも楽しんでいて……それでいて、周りに気遣いもできる。振り返ってみると、「キラキラ女子」という言葉はなかったものの、そういう存在の女子は学生生活にもいた。
快活で学級委員なんかもやっているけれど、部活も体育会系だったりして……。もちろん頭もいいけど、それを鼻にかけることもない。ひがむ子もいるけれど、どうみてもひがんでるほうに非があるので、イジメに発展することもない。
少女マンガの登場人物か⁉ と思ってしまうが、本当に実在するのだ。あんなふうになってみたいと一瞬、憧れるがすぐに諦める。キラキラ女子になるためには並大抵の努力では無理だ。
■キラキラ女子になるには努力が必要
30代を過ぎると、だんだんと重力に耐えられなくなってくるような、そんな感覚がある。
放っておけば胸やお尻が垂れてくるし、シワもできる。20代でとくに体をケアしていなければ、それはさらに顕著だ。
見た目もさることながら、中身はもっと問題だ。気遣いのできる人になろう、ポジティブになろうとしても、すぐになれるものじゃない。
気遣いができる人というのは、自然に周りに気を配れているし、相手が何をしたら助かるか、喜ぶかというのをこれまでの経験の積み重ねで知っている。そこらへんに落ちているマニュアルを拾って読んでみたところで、どうにもならない。
ポジティブになるのはもっと大変だ。周りに害を与えずに、ポジティブになるのは意外と難しい。何かと比べて、こっちのほうが良い! という時点で優劣を作ってしまっているので、場合によっては周りで聞いている人が気分を害する場合がある。
また、ポジティブな言葉――たとえば「幸せ」とか「大好き」とかを言っていればOKというわけではない。幸せも大好きも主観であって、周りの人全てに好感を与える言葉ではない……気がする。幸せな想いを共有する人と噛みしめればいいけれど、なかなか難しい。
ここまで考えるとわかる。キラキラ女子は一朝一夕ではできあがらないのだ。
■今なら目指せる? キラリと光る女性
何より30代を越えると、個人的に「女子」というのにはとても抵抗がある。同時に、キラキラスペックが役立つかというとそうでもない。
これまで、周囲の人たちはみんな似たようなステージにいたけれど、それが変わってくる……というのはもう多くの女性が実感しているのではないだろうか。
未婚既婚、母親、バツイチ……。その人たちすべてに”気遣い”をしようと思ったら大変だ。気疲れしてしまい、自分のケアで精一杯になりかねない。
今、キラキラ女子にとって代わるのは、懐の深いしっかりと根を張っている女性だ。キラキラ女子がどちらかというと能動的だとするならば、今度は受け身。持ち込まれる話を受け止め、ちゃんと会話を打ち返すことができる人。
これは人の話にちゃんと耳を傾けて、客観的な視点も交えて話すことができれば可能なことだと思う。しかし、私たちは年を重ねるうちに、自分が思っているよりも、己の中に確固たる正義ができあがってしまっているケースが多い。そうなると、自覚しているよりも寛容性がなくなってしまうのだ。周りはそんな人と一緒にいたいと思うだろうか。
これもまた、一朝一夕でできあがるものではない。だからこそ、人と話すときはすべてじゃなくてもいい、改めて「この人はどういう人なんだろう」「どういう生活でどんなことを考えているのだろう」と想像してみてはどうだろう。それは一時的な輝きではなくて、さらに年を重ねてキラリと光るものになるのではないだろうか。