1. DRESS [ドレス]トップ
  2. ライフスタイル
  3. 痴漢を捕まえて警察署に行ったら警官に○○された話【小野美由紀】

痴漢を捕まえて警察署に行ったら警官に○○された話【小野美由紀】

痴漢に関するニュースが飛び交う昨今。痴漢を減らすためのキャンペーンや、冤罪防止のための保険が出てくるなど、大きな注目を集めている。20歳の夏に痴漢を撃退した経験を持つ小野美由紀さん。連載【オンナの抜け道】#5では、撃退のあとに迎えた結末から、彼女が、今のこの国で痴漢被害の立件数が向上しないと思った理由を綴る。

痴漢を捕まえて警察署に行ったら警官に○○された話【小野美由紀】

ええ、女の大敵といえば「夜更かし」「痴漢」「本当のことを言わない女友達」、と決まっておりますが、本日は私が痴漢を撃退した話をひとつ。

■山手線の終電で痴漢にあった、20歳の夏

20歳の頃、その日、私は好きな人とのデートを終え「次のデートは何をしようかな?」と空想に浸りながら、渋谷駅のホームで最終電車を待っていた。

その時、不意に後ろに不穏な気配を感じて振り向くと、黒い服を着た30前後の男がまるで私の背中に張り付くようにして立っていた。あたりは終電を待つ客で混んでいるものの、体を寄せねばならないほどではない。

「あれ、怪しいな」と思ったのもつかの間、電車がホームに滑り込み、私は後ろに張り付いた男共々、人の波に押されて車内になだれ込んだ。電車はすし詰め状態。どうにかつり革を握った私の後ろには、さっきの男がぴったりと張り付いている。これは、ひょっとしたらまずいのでは。そう思ったあたりでドアが閉まり、電車は発車した。

新宿に向かう山手線は揺れながら徐々にスピードを上げてゆく。男の酒臭い息が耳にかかる。全身に鳥肌が立つ。冷や汗をかきながら、私の抱いた嫌な予感が単なる勘違いであることを願う。男は何もしてこない。よかった、ちょっと変な人なだけで、勘違いかも……。

しかし電車が代々木を通り過ぎた辺りで、不意にお尻の辺りに生暖かいものが当たった。男の手だ。
手はどんどん上がってきて、そのうちワンピースのすそから入り込み、下着に届き始めた。

「どうしよう、やっぱりこの人痴漢だ!」

その日、私は大好きな彼のためにお気に入りであるピンクのワンピースを着ていた。丈が短いことは自覚している。足元はスパンコール付きのミュール。軽そうな女に見えることは百も承知だ。
しかし、私がこんな格好をしているのは彼に脱がされるためであって、お前に触られるためじゃない。それがなぜ、山手線の中でたまたま近くにいたからって、こんな下劣な扱いを受けなければならないのか?

私は憤怒に駆られた。

しかし、どうやって反撃する? 男は右側に涼しい顔して立っている。触られているのは左半身だ。もしこの人じゃなかったらどうしよう。言いがかりだって、逆上されたらどうしよう……。

思考時間約2秒。次の瞬間、私は思い切って次の行動に出た。

「ざっけんなよ、テメー!!!!!」

そう叫び、尻に届いていた男の手を掴んで引っ張ると、私ははずみで揺れた男の背を思いっきり足で蹴り飛ばした。

なぜ自分がここまで行動できたのかわからない。しかし私は、ここでもし泣き寝入りすれば、この5分間をなかったことにすれば、自分の未来に一生残る暗い影を落とすだろう、ひいては社会全体に暗い影を落とすだろう、と、その損失を直感的に感じたのだ。

男はぶざまに通路に転がった。どよめく車内。

サラリーマン風のおじさんがオロオロしながら「何か、あったんですか」と聞いてくれた。私は次第に冷静さを取り戻した頭で「この人、痴漢です。捕まえてください」と言った。何人かの男の人が相手を取り押さえてくれた。男の見た目が貧相だったから、周りの人間もひるまずに行動できたんだと思う。

男は酒に酔っているのか全く抵抗しないまま「俺、やってねぇよぉ」と呻く。

「人の下着に手で触っといて何言ってんだよ、痴漢は犯罪なんだよ、ざっけんなよ」そう言いながら(罪状のところだけ周囲にはっきりと聞こえるように大声で言いながら)私は男の足に蹴りを入れた。スパーンと小気味良い音がした。

痴漢に遭ったのは初めてではない。子供の頃の通学路で何度か遭遇したことがある。幸いその頃は「性」そのものについての意味がわかっていなかったので、深刻なトラウマにはいたらなかったが、もし大事になっていたら……?

そういう、過去の怒り、自分がなぜ男の強引な暴力で、しかも酒に酔った勢いという一番だらしなく世間に許されそうな言い訳を持って、傷つけられねばならないのか。その憤怒が私を駆り立てた。

■クーラー効きすぎ警察署、ギブミーカツ丼

山手線が新宿駅に滑り込み、待っていた警察によって男は捕まえられた。ホームに立ったまま警察に質問される。答える私の横で、中央線の終電が通り過ぎてゆく。「ああ、明日朝から授業があるのに、終わったな……」と頭の片隅で思った。

パトカーが来て、我々は新宿警察署に連れていかれた。取調室で取り調べを受ける。
このような状況で、こうだった、と事細かに説明する。

「手を掴んだ時の、彼の服の袖の柄は?」

「どんな手だった?特徴は?男の体の位置はどのあたりにあった?」

「背後に立たれた男の特徴は?」

こんなに細かく聞くんだ……と思うぐらい、入念にその時の情報を聞かれた。逮捕した男が「痴漢本人かどうか」を調べているのだろう。
この時点で深夜2時半。取調室はクーラーが効き過ぎていて鳥肌が立つほど寒い。刑事さんは取調室を出たり入ったりしている。どうやら他の部屋で男も取り調べを受けているらしく、ふたりの供述が一致するかどうかを都度、確かめているようだ。


「冤罪って多いんですか」と聞くと「最近は多いね」と言う。

私は触っている瞬間の彼の手を掴んでいたのだから、何としてでも痴漢行為を立証せねばならない。

しかし、あの時は必死だったから、男のシャツの袖の柄がどんなだったかなんて思い出せない。私は被害者だが、警察の取り調べは尋問のように淡々として厳しい。不安になりつつ精一杯記憶をたどって話すが、次第に自信がなくなってゆく。掴んだ手の硬さと生ぬるさは確かに体に触れた男のものだったけど、もし、これが本当に冤罪で、ひとりの男の人生を破滅させてしまったら……?


深夜3時半。空腹で頭がクラクラしてきた。つま先は寒さで紫色になっている。昔のドラマでは取り調べのシーンで容疑者にカツ丼が振舞われたりするけれど、こういう場合、万が一でも被害者にもカツ丼を提供してくれまいか。お金、払うから。

取り調べかと思ったら……。


その時、ひとりきりで待っていた取調室に、若くてやけに威勢のいい警官が入ってきた。小島よしおのような顔に、高いテンション。警察の制服を着た小島よしお(仮)は私を見ると「っちゃっす!」というよくわからない挨拶をし、続いてこう言った。

「キミ~。痴漢にあったんだって? かわいそうに! でも大丈夫だよ! 僕がいるからさ!」

どうやらこの人が何かしてくれるらしい。よかった……! 寒さと不安と空腹と緊張でさっきから頭がパニックになっていた私は思わず頬を緩めた。

「あ、ありがとうございます」
「君、どこの大学?」
「あ、◯◯です」
「へー、年いくつ?」
「20歳です」
「そうなんだ!どこに住んでるの?」

さっき紙に書かされた個人情報を、私は馬鹿正直にハキハキと繰り返した。きっともう一回取り調べに必要なのだろう、と。

その時、年配の刑事さんが部屋に入ってきた。若い警官を見るとチッと舌打ちして「お前、油売ってんじゃねぇよ」と言う。男はヘラヘラしながら頭を下げると、私の方を見てこう言った。

「俺さ、新宿南口署の小島(仮)っていうんだけどさ! あの、駅出てすぐ右のとこね! よく待ち合わせとかするでしょ⁉ そこに火、木はいるからさ、遊びに来てよ」












ナ、ン、パ、か~~~~~~~~~い!!!!!!!


怒りと呆れで腰が砕けそうになった。下手したら痴漢に対してと同じくらいの怒りをこの警官に覚えた。私の信頼を返せ。署内でナンパしてんじゃねぇ。

■マネキンを使っての現場再現……の後のタクシー代自腹

その後、老刑事に連れられ薄暗い廊下に出ると、私と同じくらいの背丈のマネキンがあった。どうやらここでマネキン相手にその時の様子を再現するようだ。マネキンを被害者である「私」に見立て、私が加害者の役をやる。「ここでこんな感じで……」と、マネキンの尻を触る。なんだか間抜けだ。

それが終わり、「はい、終わりましたんでね。帰っていいですよ」と言われた。「あの……被害者が犯人から、何らかの償いを受けることは可能なんでしょうか」と恐る恐る聞く。

「ええ、それは民事訴訟になりますから、弁護士を通じて裁判を起こすことになりますね。しかしこの場合ですと最大でも50万円くらいしかもらえませんよ。警察は犯罪者に対し、賠償を命じることができないんです」

私は心底がっかりした。男に精神的な痛みを賠償してもらおうと思ったら、ここから先、煩わしい手続きを踏み、長期に渡って彼と関わり続けないといけないのだ。寒さと空腹と徒労感でヘトヘトになりながら、私は新宿警察署を後にした。

朝の4時。始発はまだない。空は明ける気配すらなく、警察署の周囲にはすえたゴミの臭いが漂っている。始発を待つ気力すらなく、私はタクシーを拾った。多分、朝の授業には間に合わないだろうと思いながら。タクシー代は5000円だった。社会的に正しいことをしたはずなのに、虚しさがハンパなかった。半分は小島(仮)のせいだ。

終わってモヤモヤ、捕まえた後の腑に落ちなさ

ここまで思い出してみて、私は思う。

そりゃあ、痴漢の立件数が一向に上がらないわけだわ、と。

私は学生だからまだよかった。けれどこれがもし、次の日に会社があるOLさんだったら?もしくは、朝の電車だったらどうするだろう?仕事と悔しさを天秤にかけて、泣き寝入りしてしまう可能性だってあるだろう。痴漢の取り調べで会社を休むわけにいかない、とか思っちゃうだろう。私だって今、同じ状況で被害にあったとしたら、捕まえるかどうか自信がない。だって仕事あるし眠いもん……。

もちろん冤罪の可能性だってあるし、犯罪を立証するには取り調べが必要だから、このプロセスはどうしたって免れない。けれども「捕まえて被害者が損する」制度じゃ、ますます犯罪なんて野放しだよねえ。痴漢の免罪が増えている昨今とはいえ、まだまだ圧倒的に被害の方が多いのだ。どうにかこうにか、被害者を保護するシステムを確立して、少しでも「捕まえる」側の心理&経済負担を減らして欲しい。せめて帰りのタクシー代くらい、加害者に立て替えてほしい。そういうシステム、できませんかね?

と、今回は読者をモヤモヤさせる終わり方で申し訳ない。私自身もモヤモヤしているのだ。その日は解散して後日スカイプで取り調べ、とか、む、無理だよね……。

しかし新宿警察署の小島(仮)、お前だけは許さん。

【お知らせ】
7/30(日)コラムニスト・小野美由紀によるクリエイティブ・ライティング講座を開催いたします。
「五感を使って書くクリエイティブライティング講座」

http://onomiyuki.com/?page_id=3061

ブログをもっと活き活きと書きたい方、エッセイやコラムを書けるようになりたい方におすすめの講座です。

小野 美由紀

作家。1985年東京生まれ。エッセイや紀行文をWeb・紙媒体両方で数多く執筆している。2014年、絵本『ひかりのりゅう』(絵本塾出版)15年、エッセイ『傷口から人生。~メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』(幻...

関連するキーワード

関連記事

Latest Article