「別れた人への半端な優しさは捨てなさい」と母は言った【カツセマサヒコ 連載 #1】
素敵な異性と出会うこともあれば、長く付き合っていた人と別れることもある。仕事で大きなプロジェクトが成功することもあれば、入社以来一番大きなミスをしてしまうこともある。ライターのカツセマサヒコさんが、生きていくうえで訪れるたくさんの喜びや悲しみにそっと寄り添うエッセイをお届けします。
まだ20代にもなっていない頃の話だ。
ある種の罪悪感からか、自分から別れを告げた人に、手紙を書こうとしたことがある。
恐らく、「ごめん」とか「一緒にいて楽しかった」とか、そんなしょうもないことを書くことで、「フッた自分を嫌いにならないで」とでも伝えたかったのだろう。
もしくは、「この恋を忘れないで」か。
「便箋ってあったっけ?」
母親に尋ねると、見透かされた。
「自分から別れを告げたなら、形に残るものを送るのは、やめなさい」
「復縁する気がないなら、それは優しさでもなんでもない、自己満足だよ」
母は、アイロン台から目を離さずに、ゆっくりと言葉を包むように言った。
一番優しい言葉を、一番かけてほしいタイミングで、一番深く届ける。それは、恋人だから許されていた特権のようなものだったんだろう。
別れてしまったら、半端な優しさは許されない。いまこうしている間にも、相手は自分の手を借りなくても立てるように、必死になって前を向こうとしている。
そこに手を差し出したいと思うなら、そもそも、別れなきゃよかっただけのこと。
多少の「嫌い」なら目を瞑って、そばにいてやればよかっただけのこと。
そんな、わかりきったこと。
そんな、わかりきったことを、母から言われたあの一言を、10年経った今でも、人との別れが来るたび思い出す。
恋愛だけじゃない。すべての人間関係は優しさでつながっていて、それを断絶するということは、半端な優しさは捨てなければならないということ。
きっと別れとは、そういうものなのだ。
別々の道を歩むためには、優しさを捨て去ることで生まれるエネルギーが必要なのだ。
だから別れは、悲しくて、切なくて、寂しい。
恋人と、家族と、友人と一緒にいるあなたは、きっと多くの優しさに包まれている。
その優しさを失うより先に、貴方が優しさに気づけますように。
下北沢のライター・編集者。書く・話す・企画することを中心に活動中。
趣味はツイッターとスマホの充電。