他人の不倫に厳しい人たちが抱える“願望”
他人の不倫に人々が怒りを露わにするのはなぜなのか。『不倫女子のリアル』著者の編集者・ライター沢木文さんが考察する。
■他人の不倫に怒る人たち
今から3年前の2016年は不倫の年だった。タレント・ベッキーさんの不倫、宮﨑議員、乙武氏、そしてミュージシャンのファンキー加藤さんと続いた。
その後も落語家、ミュージシャンなど次から次へと不倫が明るみに出た。いずれも多くの人からバッシングされていたのが印象的だった。
この一連のニュースで気が付いたことがある。それは、“品行方正で清純である、清く立派な人間である”ということを全面的に押し出している人ほど、バッシングの風当たりが強いことだ。直接会ったこともないタレント、つまり他人の不倫を“裏切られた”“信じられない”と攻撃するほど、この国で“不倫”の関係は嫌悪されている。
しかし、これだけ強い嫌悪の感情の裏を返せば、皆が興味津々で不倫願望があるということだ。上半期の連日の不倫ニュースを追いかけていた人は、きっと心の中で恋愛(不倫)をしてみたいと強く思っているのではないだろうか。
■他人の不倫を許せない理由
多くの女性に取材をし、雑談になると恋の話になる。それだけ興味があるならば自分もやってみてはどうたろうか、と水を向けると、結婚しているから、夫に申し訳ないから、相手がいないから、自分に自信がないから、時間がないから、子どもの顔を正視できなくなるからなど、さまざまな言い訳をする。
日本は若い女でなくては性的価値がないと一般的に思われている国だ(実際に男性に取材すると、恋愛するなら若い女性でなくてはだめだというのは少数派だ)。それに、世間一般のセックスにおけるルール“いい年をして男にうつつを抜かすなんてみっともない”という通念がブレーキをかける。
結局、自ら選んだ自己保身であるのに、自分はきちんとガマンをして、モラルを守り、よき母、よき妻として生きていることがプライドになる。そういう思考回路を通して見れば、享楽的に不倫をする人は許せないということになるのだろう。
それに、世の中が不安定になると人は絆を強固にしようとする。親子、夫婦……“絶対大丈夫”と信頼できる絆の大敵は“不倫”だと考える人もいる。しかし、夫婦どちらかが他人と恋愛(肉体関係を含む)をしただけで、壊れてしまうほど、家族の関係はもろいのだろうか。
■恋は意思とは裏腹に、落ちてしまうもの
恋愛に限らず、抑え込まれた感情はやがて心の中に蓄積し、それが時間の経過とともに腐敗し、毒になることが多い。不倫のニュースに隠れて目立たなかったが、今年も妻による夫殺しのニュースが多かった。「夫 死んでほしい」「夫 お金 離婚」など検索する前に、(夫以外の)好きな男性とリアルに手をつないだり、キスをしたりして、心の毒をやり過ごすという選択肢はないのだろうかと感じることもある。
筆者は不倫を否定も肯定もしない。恋というのは多くの人にとって、意思とは関係なく突然落ちて夢中になってしまうものだからだ。ある程度、恋愛経験を積んだ人間は恋愛初期に、我を忘れるほど激しく愛し合う時期があっても、それが日常の中に埋没するものだということがわかっている。この激情時期に思い切った行動をしてしまっても、それもまた自分で選んだ人生の選択だ。
Text/沢木文
さわきあや●1976年東京都足立区生まれ。大学在学中より編集者・ライターとしての活動を開始。メンズファッション誌、『プチセブン』『PS』『CanCam』『Grazia』などで企画を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。
2016年6月29日公開
2019年4月26日更新
画像/Shutterstock
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