つながりの豊かさ

なんとなく集るのは苦手。実はあまりお酒は飲めないので、飲んでワイワイも楽しくないことある。大人になると、一緒にいる時間の長さより質が大事だと思う。よい再会、よい出会いに恵まれますように。

つながりの豊かさ


つながり担当大臣という肩書きになっているけれど、実は私はそれほど社交的な方ではない。子供の頃から、親戚の家に行っても柱の陰に隠れるほどの人見知りであった。いまだにママ友もいないし、自宅に人を招いてワイワイとか、いつものメンバーで女子会という習慣もない。人と会うのは1対1か、多くても4人ぐらいのことが多い。ただ、この人とこの人を繋いだらどうかな?と思いつくことはよくあるので、そういうときは4〜8人ぐらいの会食になることはある。苦手なのは、そういうはっきりした目的もなく、ただなんとなく人が集まっている会合だ。

そもそも私は残念なことにあまりお酒が飲めない。他のみんなが酔っ払っていく中、自分だけシラフというのはなかなか辛いものだ。一生懸命聞いていた相手の話がループし始めると、わかってはいても「なんだよ、酔っ払いの話を真面目に聞いて損した!」という気にもなるし、恋愛暴露話とかとにかく楽しくて大爆笑とか、周囲が加速していくと、どんどん置いていかれる一方だ。そしてあろうことか、彼らは後日ほとんどを忘れているのである。その度に「あの時間返せ!」と理不尽な、釈然としない思いをする。

でもほんとのことを言うとすこし羨ましくもある。酔っ払って朝までワイワイやるのは楽しそうだ。しかも人前で眠りこけたり、失言したり、パンチラしたり、ケンカしたりしたことを彼らは覚えていない。覚えていても、お酒の席のことだからとお互い様で許し合っている。その寛大さはシラフの世界の住人である私の理解を超えている。そういう人間関係を経験したことがないので、どんな感じかわからないけど、なんかきっとすごく人の弱さに対する労わり合いがあるのではないだろうか。それとも単なる馴れ合いなのか。

大人になると一緒にいる時間の長さよりは、一緒にいる時間の質の方が印象に残りやすいものだ。あなたにも、何年もの間、毎日同じ部屋で仕事をしていてもなんらシンパシーを感じない人や、年に一度会うくらいなのにすごく近く感じる古い友人がいるだろう。もう会わなくなってしまったのによく誰かのことを考えるなんていうことも。それは何も元恋人というわけでなく、ふしぎなことに大して親しかったわけでもない人だったりする。亡くなってしまった人と、生きているけれど多分もう二度と会わない人とは、もう一度会いたいと思わない限り同じことなのかも知れない。

大人になってから、新たに友達になる人もいる。青春の赤恥も、幼少期の思い出も何一つ共有していない相手との関係というのもさっぱりしていていいものだ。若いときと違って根掘り葉掘り相手のことを知りたいとか、一つでも多くの共通点を見つけたいという執着もない。一緒にいて気持ちよく話せればそれでいいので、聞いたこともすぐに忘れがちだ。私は最近よく一緒に食事をするようになった友人たちの出身地を何度か聞いたはずなのだがまた忘れてしまったし、出身校も最終学歴も職歴すらもよく知らない。話すことはちょっとした近況報告とか今食べているものが美味しいとか、本当に他愛ない。互いに踏み込み過ぎないほうがいい関係でいられるというのは経験を積んだからこその知見だろう。

DRESS部活が盛況だと聞く。大人の女性が趣味を通じて繋がれるコミュニティがあるって素敵なことだ。そこだけが自分の生きる場所でもなく、しがみつかずともいい関係って、大人になったからこそ手に入る自由だと思う。仕事もある、家族や友人もある。だけどそれとはまた全然違う場所に、同じことを楽しめる仲間を持てるってとても贅沢なことではないだろうか。もちろん、そこから始まって生涯の親友になることもあるだろう。だけどそうでなかったからといって、仲間と一緒にいる時間が無駄になってしまうわけではない。世の中には色々な人がいて、自分と同じ趣味を持っていながら、全然違う環境で生きている人もいるのだな、と体感するだけでもその時間は財産になる。

自分は一人ではないと知ることも、人は似ているようで似ておらず、バラバラな存在だと知ることもまた、豊かなことだ。豊かさと孤独とはセットなのかもしれないと思うことがある。孤独はいいも悪いも人生にもれなくついてくるものだが、“疎外されている”と感じる孤独と、“これは自分にしかわからないことだ”と感じる孤独は違うと思う。私が誰であるかとか私の希望が何であるかということは他の人には理解できないし、さほど関心のあることではないらしい、でも、そこにいていいよと言われている気はする……という淡い安心感が、人を世界に繋ぎとめるものなのではないかと思うのだ。がっちりと熱く作り上げられた関係よりも、そのような緩やかな承認を感じられる関係のほうが、より広くしなやかに人をつなげていける気がする。

今年もまた、そんな心地いい出会いがあなたにたくさんありますように! 

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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