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決めつけられた「美しさ」に抵抗する。私のランジェリーの選び方

“美しい”の定義を誰かがひとつにしようとしているのがずっと嫌だった。自分の体をどう評価し表現するかは、自分だけが決めていい──。モデルのベイカー恵利沙さんが、ランジェリーを纏うこと、そしてそれを自分で選びとることについて綴ります。

決めつけられた「美しさ」に抵抗する。私のランジェリーの選び方

※この記事は2020年8月6日に公開されたものです。

ブラジャーをつけ始めたときのことははっきり覚えていないけど、自分の意思でつけ始めたわけではなかったことだけはわかる。一定の歳になったら自然とみんなするものだから、という理由でつけ始めたのだった。

3年前からニューヨークに住み始めた。ニューヨークの人たちにとって、ブラジャーは“しないといけないもの”ではなかった。毛を剃るかどうかも自分の判断だし、”こうでないといけない”が存在しない。だからなんでも自分で決める。

体に生えている毛も、胸も、全部私だけのもの。ニューヨークの人たちの価値観に触れて、私は改めて、どうしたいかを自分できちんと考えた。”当たり前”のこととしてブラジャーをしたり、腕の毛を剃ったりしていた私にはそれは初めてのことだった。自分の体のことを自分で決めるのはとても気持ちがいい。今は気分や着ている洋服に合わせて、ブラジャーをつけたりつけなかったりしている。腕の毛ももう昔みたいに剃らなくなった。毎日自分の判断で生きている。

■胸が垂れたり顔にシミができるのが嫌って、私がいつ言ったんだろう?

アメリカに来るまで、日本で下着を買ったことがほとんどなかった。好きなデザインがあまり見つけられなかったし、ブラジャーをつけるたびに、寄せて上げなきゃいけないような気持ちにさせられるのが嫌だったんだと思う。

“ブラジャーをしない日もある。したい日はするし、したくない日はしない。”そんな書き出しで、のちにコラムを書かせてくれた「Chut! INTIMATES (シュット! インティメイツ)」というブランドに出会ったのは5年ほど前。

ブラジャーをしないと将来胸が垂れるよ、という言葉はとてもよく聞く。それに、昔からあまり日焼けを気にしない私には、「すごい焼けちゃってる! 大丈夫!?」とか、「将来顔にシミができて後悔するよ」と言ってくる人もいた。そのたび、胸が垂れたり、顔にシミができたりすることを、私がいつ嫌だと言ったんだろうっていつも不思議に思っていた。アメリカだと、日焼けしているのは夏を楽しんだ証拠なので、日焼けして久しぶりに職場に戻ると、「わ、いいな日焼けして。いいバケーションだったんだね!」って言ってくれる人が多い。

”この方がいい”は人がそれぞれ決めることであって、シミを嫌がる人も、シミを気にしない人もいていい。だから、美白商品にもずっと反発があった。今でこそ、それが人種差別になりうるという議論が起こり始めているけど、それに加えて、白い方が美しい、という”美しいの定義”を誰かがひとつにしようとしているのが嫌だった。

私には、日焼けを気にする人を否定したい気持ちはまったくない。日焼けしていない肌が美しいと思う人だってもちろんいていい。それと同じように、日焼けしている肌だって美しいって、わかり合えるようになったらいいと思う。

自分の体のことは、自分で決めていい。どう評価するか、どう表現したいかは、私以外には決めさせちゃいけない。太っていても痩せていても、自分の体だから、誰にも関係ない。人が人の体をジャッジする世界が、いつか変わるといいなあと思っている。

Chut! INTIMATESは、愛用し続けた結果、最近は一緒にお仕事もさせていただいている。つけ心地のよさだけじゃなく、下着を作っている人たちを直接知る前から感じていた媚びないパンクな精神を、Chut!の人たちがやっぱり持っていたのがうれしかった。一緒にコラボアイテムをつくっていく過程は、とても心地のいいものだった。

■“意思表示”としてのランジェリー選び

買い物は投票だから、自分がサポートできるものを買いたい。買うものや身につけるものは、ひとつの意思表示だと思っている。

アメリカに来てからサポートするようになったランジェリーブランドに、「Parade(パレード)」がある。パレードは昨年スタートしたばかりの新しいブランドで、あらゆるサイズ・人種のモデルを起用する。そしてもちろん、サステナブルにつくられている。

ここ最近ニューヨークで生まれるブランドはもう、環境に配慮していること、ダイバーシティを体現していることが絶対的な条件になっていて、そうでないブランドは批判されている。パレードの創設者のふたりは、アメリカの下着業界がつくり出してきた「細いことこそが美しい」という”女性の美しさ”の定義に反抗している。ボディポジティブで、自分のことをありのまま愛そうという、とても強いメッセージを感じる。だからつけているととても心地いいし、自信が出る。

■下着は人には見えないけれど、私の意思を宿している

もうひとつ最近変えたのは、生理用のショーツ。私はこの数年、日用品からなるべくシングルユースのものや、ゴミを減らすように心がけて生きている。長い間ずっと生理ナプキンを使っていて、毎月たくさんのゴミを出しているのが気になっていた。だから今は、いくつかのブランドの給水型生理ショーツを試してみている。

給水型生理ショーツを使うと、ゴミが出ないし、ナプキンを持ち歩かなくていいし、1日に何回もトイレに行かなくていいから、すべてが快適に感じる。自分が持っている”こうあるべき”という習慣や発想を疑ってみること、そして、自分の生活をアップデートしていくことはとても気持ちがいい。

■みんなが思う“美しい”に近づこうとすると、いつか自分の首を絞めてしまう

私は、女性はこうあるべきだって言われることに、ずっと小さく反抗してきたのかもしれない。“寄せて上げる”ブラジャーや美白効果を謳ったプロダクトを使うことを否定しているわけではなくて、みんながそうであるべきだという、世間がつくる美のひとつの定義にずっと反発してきた。

それは私自身がかつて、その美のひとつの定義にズッポリとハマっていたことがあるからだろう。今では考えられないけれど、昔書いていたブログではダイエットの方法を紹介していたし、自分の体重なんかも載せていた。痩せなくちゃいけないっていう強迫観念に追われ、夜ごはんをキャベツやりんごにしていた。それはティーン誌から学んだ、短期間で体重を落とす方法だった(育ち盛りの読者がいるティーン誌がそんな記事を載せることに今はとても怒っているけど)。

けれど、途中で気がついた。みんなが思うひとつの“美しい”に近づいていこうとするのは、どんどん自分の首を絞めていくことだと。

当時の私は、自分が好きになれなくて、自分以外の誰かになりたかったんだと思う。そしてその“誰か”に近づけば近づくほど、自分とその人をもっと比べるようになって、自分が足りていない部分を見つけるようになった。「私はまだ二の腕が太すぎる」「私はまだあの子ほど顎がシャープじゃない」。そうやって、自分を引き算していた。

ずいぶん長いことそんなことをしていたけど、あるとき、苦しくて、こんなこともう続けられないと思った。自分らしくいる方が、みんなと違う方が、誰とも自分を比べなくていい。むしろこの立派な顎を愛してあげよう、と思った。自分の個性は足し算で決めたい。

長いことそうやって苦しんできたから、“美しい”をひとつの定義に収めようとするいろんなアイデアやプロダクトに、その後、とことん反抗するようになったのかもしれない。

下着は、自分の肌の一番近くにつけるもの。いつも人に見えているものではないけれど、私の意思を宿していて、その精神を、私に向けて示している。

ベイカー 恵利沙

オレゴン州と千葉県育ち。2017年NYに移住。この夏から、幼少期以来の田舎暮らしを始めようと試み中。自然と共存して生きたい。

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