昭和生まれが「懐かしい」と感じるプリクラあるある
「プリントクラブ」。略して「プリクラ」は、昭和生まれの女子達のハートを鷲掴みにしました。最近はいろんな加工が楽しめるようになりましたが、当時はかなり素朴なもので、ただただ写真を撮るだけ。なのに、どうしてあそこまでハマってしまったのか? プリクラにまつわる思い出を集めました。
■eggポーズ
手のひらを突き出す、いわゆる「eggポーズ」でキメてた。
■値上がりにカラコで対応
300円だった料金が、突然400円に値上がりしたことがあって、ひどく気持ちが萎えた。
正直キツかったので、プリをカラコ(カラーコピー)して配ってた。
■結構シビアなプリクラ交換事情
プリクラを交換するとき、生プリをもらえると好待遇の証。
カラコに透明ビニテ&裏に両面テープだと、「まあこんなもんか」って感じ。
カラコの裏に両面テープのみだと、ちょっと残念。
カラコのまま渡されると、低く見られてるなと思う。
■伝説のプリ機「花鳥風月」
ちょっと後発のプリクラ機。
明るさ調整機能が充実していて、絶妙な美白感に。
落書きツールも万全で、いい感じに盛ることができた。
「テーマ系コース」と「キレイ系コース」が選べて、とくに「テーマ系コース」で撮りまくってた。
ライター、編集者。相撲とロマコメ、フランス近代音楽が好き。