気持ち良さを求めてわかった、「抱かれたい」という欲求の正体 2/2
さて、ここで冒頭の「アナルで物事を考えているなと感じる」という話に戻る。
当時と比べれば、いまはすっかりアナルに対して「気持ちいい」と認識できるようになった。少年期から青年期にかけてのもっぱらの性対象・恋愛対象は女性だったが、いまは男性とも恋愛ができるとも思っている。それどころか、無性に「男性に抱かれたい」と思うこともあるのだ。
ゲイでもニューハーフでも、受け身を経験した人が共通してよくいう言葉がある。
「ウケのときに発射するかしないかはどちらでも良い」
ボクもまったくもってそれだ。その感覚は「性欲」と呼んでいいのかよくわからない。たまに女性でもこんな風にいう人はいないだろうか。
「自分がイッたかどうかより、彼氏や旦那さんがイッてくれたら満足」
なんだか似ているなと思う。肛門と女性器、もちろんまったく別の器官であるはずのそれが同じ感覚をもって性行為に使われるというのは、つまりポジションの問題なんだろうなと思う。
もちろんボクは女性を抱くときもあれば、男性を抱くときもあるので、多くの男性と同じように攻め手にまわったとき、「発射したい、発散したい」という欲求がある。先ほど書いたような「無性に男性に抱かれたい」という欲望と、このときの欲望は別物なのだろう。
「抱かれたい」というのは、なんとなく「寂しさ」のようなものに似ていたりもするかもしれない。
射精というのは一方的だ。もちろん互いに感じ合う行為ではあるのだが、愛情というエゴを相手におしつけるのに近い。その“おしつけ”が興味のない人からだったら気持ち悪いことこの上ないが、好きな人からならうれしいと感じる。自分を求めてくれているんだ、とその気持ちを感じて満たされる。
肯定されると言い換えてもいいのかもしれない。だから「寂しい」と思ったときに「抱かれたい」のだろうか。
そう考えると、性を追求すること・性を楽しむことは、そんなに悪いことでもないのかもしれない。
だって、そうだろう。たとえば「月に一度、自分へのご褒美で海外旅行に行ってます」というのは、日々仕事や勉学で人生を浪費する自分に潤いや、「生きてていいんだ」という安心感を与える行為だ。それがなぜ、こと性に関してはタブーのようなものに扱われるのだろうか。
それは言い換えれば「寂しさの埋め合わせ」だったりするわけなのだから。
そんななんとなく男性は考えないようなことを考えてしまうのも、やっぱりあのときアナルを開発してからなのだろう。アナルで物事を考えているな、と感じる。
まったく性とは知らない自分を見せてくれるものだ。
Text/大島薫(@oshimakaoru)
タレント・作家。1989年6月7日生まれ。ノンホル(女性ホルモン未使用)、ノンオペ(未工事)を公言している生粋の男の娘。日本のAV史上初めて、ホルモンも工事もしていない男のまま大手AVメーカーと女優の専属契約をし、「男の娘AV女優」として脚光を浴びた。2015年6月に引退。イベントプロデュース、トークライブなど、活動は多岐にわたる。
※ この記事は2018年11月21日に公開されたものです。
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