艶っぽプロレスラーSHO&YOH「1秒もムダにしたくない。できることはすべてやる」
新日本プロレスに所属するプロレスラー、SHO&YOH選手。今春初となるフォトブック『3K』を発売し、そのイケメンっぷりと艶っぽさが改めて話題となりました。ますます注目を集めるふたりのインタビューをお届けします。
最初に、SHO&YOH選手のお宝カットを見ていただきましょう。『新日本プロレス SHO&YOHフォトブック「3K」』に収録された写真の一部です。
新日本プロレス SHO&YOHフォトブック「3K」(東京ニュース通信社刊)
左からYOH、SHO。
新日本プロレス SHO&YOHフォトブック「3K」(東京ニュース通信社刊)
新日本プロレス SHO&YOHフォトブック「3K」(東京ニュース通信社刊)
新日本プロレス SHO&YOHフォトブック「3K」(東京ニュース通信社刊)
■トップならではの喜びと重責
ふたりが約1年9カ月に及ぶ「海外武者修行」から帰国したのは、2017年10月のこと。
帰国後すぐにジュニアヘビー級のタッグチャンピオンになり、人気、実力ともに上がっている彼らに、海外武者修行中の衝撃的なエピソードや今後のことなど、話を伺いました。
――凱旋帰国後、チャンピオンになった瞬間のこと、覚えていますか?
YOH:リング上で涙しました。ベルトを見た瞬間、「やっと巻けるんだ」って思うと、こみ上げてくるものがあって。「やっと会えたね」という感じでした。
SHO:嬉しさはもちろんありました。同時に責任感が重くのしかかりましたね。お客さんは、「このふたりがチャンピオンだ」という目で見ますから、ベルトをとったからもっとがんばらないと、という思いで。
――見える景色も変わりそうですね。
YOH:SHOが言ったように、意識はもちろん変わりますし、ふるまいもどっしりしましたよね。「俺らで面白くしていこう」と気も引き締まりました。
SHO:ただ、気をつけたのは、絶対に天狗にならないこと。初心を忘れないように、今でも若手たちの良いところを見習う気持ちでいます。
■無期限海外遠征は、楽しみでたまらなかった
――ここからは「無期限海外遠征」時代のお話を伺います。海外行きを言い渡されたときって、どんな気持ちでしたか?
YOH:「いよいよ」「やっと行ける」という気持ちでした。ヤングライオン(新日本プロレスに所属する入門数年以内の若手選手のこと)の期間が長く、やりきったと思っていたので。
――おふたりが入門した後、なかなか後輩が入ってこなかったんですよね。
YOH:はい。会社にも「早く(海外へ)行かせてほしい」と話していました。SHOも一緒でしたし、海外で生活をすることに不安はなかったです。つらいことがあっても、ふたりなら乗り越えられるかなって。
SHO:僕は新日本プロレスでデビューした後、次なる目標として海外遠征を掲げていました。だから、楽しみしかありませんでした。親は心配するだろうなと思いましたけど。「もし、お葬式とかがあっても行けないかもしれない」と伝えていたくらいです(笑)。
――期待と覚悟の大きさを感じますね。最初の拠点はメキシコでした。現地の暮らしはいかがでしたか?
YOH:ちなみにメキシコって、どんなイメージがありますか?
――楽しそうだけど、治安が悪そうなイメージでしょうか……。
YOH:ですよね。ネットで調べると、治安が良くないとか、殺人事件が起きるとか、悪い情報しか出てきませんから(笑)。でも、日本でも治安が良いとはいえない地域もあるし、殺人事件が起きることもある。
――たしかに。
■メキシコは陽気でのんびりした国だった
YOH:実際住んでみると、すごく楽しい国でした。人々がみんな陽気なんです。街中で楽しそうに踊る人がたくさんいました(笑)。
――日本では見られない光景ですね。
YOH:野良犬もそこかしこにいました。でも、おりこうさんというか、だらしない野良犬なんですよ。
SHO:人間がそばを歩いても穏やかに昼寝してて(笑)。野良犬も怖くなくて、陽気なんです。メキシコという国のイメージが変わりましたね。
――日本人とは違って、時間にルーズな人が多いというのは本当なんでしょうか?
SHO:CMLL(メキシコのプロレス団体)の試合は、中継していることもあってか、開始時間等が遅れることはなかったです。ただ、他の地方会場だと1時間くらい遅れるのは日常茶飯事。(選手を送り届ける)運転手が道に迷ったけど、全然急がずに休憩しちゃって、開始時間ちょうどに会場に着く、なんてことも珍しくなかったです(笑)。
YOH:良くも悪くも、ギスギスしてないし、焦らないんですよ(笑)。
――現地の食生活はいかがでしたか?
SHO:僕はレストランや市場で生牡蠣を食べましたが、なんともなかったです。でも、屋台で食べたタコスにあたりました。原因はソースかと。刻んだ野菜が使われてるんですが、それが古かったんじゃないかと予想してます。
YOH:衛生的とは言い難い環境ですからね。屋台には水道も付いていないですし。僕は某ファストフードチェーンのソフトクリームを食べた後、ものすごい嘔吐と下痢の症状が出ました(笑)。
■アメリカで残した爪痕
――チェーンのお店なら大丈夫だろう、と信じちゃいますが、大変でしたね。その後アメリカへ拠点を移されて。メキシコとはどんな違いがありましたか?
YOH:ROHというアメリカの団体で戦うようになったんですけど、リングが小さくなったな、って感じました。その環境に慣れるまでは、足をとられることもありましたよ。
SHO:リング自体の高さやロープの高さも、メキシコより高くなったと思いましたね。
――アメリカのファンには、「THE TEMPURA BOYZ(ザ テンプラボーイズ)」として受け入れられたそうですね。
YOH:「テンプラ、テンプラ」と呼ばれてました(笑)。名前より先にチーム名を覚えられて、毎回テンプラコールが起きました。
SHO:アメリカではまったくの無名だったので、チーム名だけでも覚えてほしかったよね。
YOH:近所のジムへ行くと、「テンプラボーイズか」って声をかけられることも多かったです。試合の結果としては負けも多かったですが、勝ち負けに関係なく、お客さんの心を動かせていたんだと思います。
――おふたり特有の華やかさが、効いていたんじゃないでしょうか。
YOH:華やかさというのは、かなり重要な要素だと思っています。「あの選手の入場が見たい」とか「リング上での動きの一つひとつにキレがある」とか感じてもらえるのが理想ですね。
■2対2で戦う醍醐味
――現在までタッグを組んでいるおふたりですが、シングルではなく、タッグならではの魅力は、どんなところだと思いますか?
SHO:ひとつは、パートナーがピンチのとき、リング外から助けに入れるところでしょうか。
YOH:プロレス特有の試合形式ですよね。連携技を使って2対1で相手を攻撃する、というのは他ではないことだと思います(笑)。
――おふたりの息の合い方は、見ていて気持ちいいものがあります。
YOH:経験を積んできて、視野が広くなりましたし、僕がしてほしいと思うことをSHOがしてくれることも。
SHO:合図とかがなくても、わかるようになりました。
YOH:リング上で「こうすれば面白いのでは?」と思ったら、瞬時の判断で挑戦することもあります。
――最後に、今後のおふたりの目標を教えてください。
YOH:僕たち、今年でデビューして6年目になります。タッグはもちろん、それぞれシングルでも、やれることは全部やりたいという思いです。やり尽くしてから、また海外で試合をするとか、ヘビー級のベルトも巻くとか、次なる目標へ向かいたい。ROPPONGI 3Kというチームをプロレス界に残したい。そのためにいい風吹かせます。
Text/池田園子
SHO選手プロフィール
1989年8月27日生まれ。愛媛県宇和島市出身。新日本プロレス所属。173cm、95kg。徳山大学在学中にプロレスラーの道を志し、2012年2月に入門。2012年11月15日にデビュー。2017年10月の両国大会でYOHと共にIWGPジュニアタッグ王座を初戴冠。ジュニアヘビー級のパワーファイターとしても注目されている。Twitter(@njpwShowT)
YOH選手プロフィール
1988年6月25日生まれ。宮城県栗原市出身。新日本プロレス所属。171.5cm、85kg。プロレス好きの両親の影響から幼少からプロレスに親しみ、中学生でプロレスラーを志す。2012年2月に入門。2012年11月19日にデビュー。リズミカルなムーヴで相手を翻弄し、2017年10月の両国大会でSHOと共にIWGPジュニアタッグ王座を初戴冠。Twitter(@njpwyohei_k)
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