男性に奢られるのが気持ち悪い
定期的に耳にする、「男性は奢って当然」というフレーズ。未だにこれは常識なのだろうか。そろそろ、淘汰されるべき習慣、いや、もう淘汰されつつあるのではないだろうか。
恋人に奢ってもらったことがあまりない。私の場合はそれでよかった。
友人関係、恋人関係で男性に奢ってもらうのが嫌なのだ。
女友だちとごはんに行っても、どちらかが全額、もしくは3分の2以上の金額を出すということはない。でも、男性と行くと全額払うと言われることのほうが多い。「楽しかったから奢るよ」と言われたりする。いや、私も楽しかったけど、奢ってもらったことによって、この人とふたりで食事に行くのはやめておこう、と思ったりもする。
■奢るのもTPO
仕事上の先輩や上司と食事に行ったときに「ここは自分が出すよ」と言われたら、「ありがとうございます、ごちそうさまでした」と言う。ただ、それは仕事の打ち合わせとか、仕事絡みの場合だけだ。プライベートで行くなら、全額奢ってもらうのはあまり気が進まない。
男性と遊びに行ったとき、飲み物を買ってくれたとする。
冬の寒い日で「手先が冷えるだろうから」とホットドリンクを渡されたらどうだろうか。その場はありがとう、と言って、飲み物をいただく。もし、また会う機会があれば同じようなお返しをするようにしている。
気になる男性とデートに行ったとする。
美術館などの入館料、食事、休憩で入ったカフェ……すべて奢られたとする。また誘われることがあったとしても、もう一緒に出掛けないと思う。奢られるのが負担だからだ。しんどい。お店などには入らず、散歩だけして帰りましょう、と言いたくなる。
■平等じゃない気がして嫌だ
奢ってくれる人とは一度しか出掛けないので、当たり前ではあるが、恋人関係まで発展しない。付き合う人は割り勘派の人ばかりだ。
でも、その話を女友だちにすると、「それ(割り勘)って愛されていないのでは?」とか「甲斐性なしだ」と言われる。
そうは言われても奢ってもらう理由がない。「誕生日だから、プレゼントの代わりにデート代は出すよ」ならわかる。
でも、男性に聞くと、多くの場合は奢る、もしくは多めに出す、と言っていた。なぜ奢るのか、理由として挙げられたのは
「男が出すものだから」(常識ってやつ?)
「奢られるのを嫌がる女性はかわいくない」(それはどうもすみません)
「割り勘にして、ケチだとか言われたくない」(言わないよ!)
「特別な子には奢ってあげたくなる」(何かしてあげたいっていうこと?)
ということ。
割り勘にしてケチだと言われたくない、って逆に失礼では……と思うけど、過去に言われたことがあるか、そんな話をしているのを聞いたことがあるんだろう。特別な子には奢ってあげたくなる、というのは庇護欲とか、貢ぎたいとかそういう心情なのだろうか。
■奢る奢らない論争自体がもはや時代遅れ?
今は男性も女性も働いている。
カップルによっては女性のほうが稼いでいる場合もある。
そんな時代に、「奢る・奢らない」の話は半周遅れな気がしてならない。この前は彼が出してくれたから、今度は私が、などとどこかで調整できていればいいけれど、どちらかにパワーバランスが傾くと、なんだかな、と思う。
「特別な子には奢ってあげたくなる」という気持ちは嬉しいことだろうけれど、こちらがどうしてほしいか聞いてほしい。「奢ってほしい!」という女性だったら奢ればいいし、「出したい」という女性なら割り勘にすればいい。
特別だというなら、食事をおごるより小さな花束でもプレゼントされるほうがいい。奢られるのは嫌で、プレゼントはいいのか、と言われそうだが、プレゼントの場合は、選ぶときに自分のことを考える時間を割いてくれているのが嬉しいのだ。なんならチロルチョコ一個でも嬉しい。
ちなみに女性が席を外している間にお会計を済ませておく、などはあまりときめかない。どこかで女性に教えてもらったか、マニュアル本を読んだのかなあ、と背景を想像してしまうから。
自然に恋愛をしていれば、友だち以上恋人未満の段階で、お金に関する意見の食い違いは、なかなか起こりづらいのではないだろうか。