毎日真剣に過ごしてる?経沢香保子さんの生き方から学んだこと
もう私はおしまいかも……立ち直れる気がしない――。アラサー、アラフォーともなると、仕事やプライベートで谷底に転がり落ちてしまったかのような、つらくて苦しい経験を、誰しも一度や二度はしているのではないでしょうか。
毎日真剣に過ごしてる? 経沢香保子さんの生き方から学んだこと
それでも、私たちは生きなければならないし、いつまでも地下の暗闇に佇んでいるわけにはいきません。いつかは立ち上がって、たとえ一歩ずつでも前に進んでいく必要があります。そんなとき、ふっと誰かや何かに背中を押されると、再び前を向けるはず。
今、何かに対して、しんどさやモヤモヤを感じている人に読んでもらいたいのが、DRESSにも寄稿いただいている経沢香保子さん著『ベンチャー魂は消えない』です。
26歳でトレンダーズを創業し、2012年には最年少女性上場社長(当時)となった経沢さん。30代で3度の出産を経て、こんな偉業を成し遂げている方ですから、明らかに普通の女性ではありません。
ベビーシッターサービスは10年越しの夢
一方で、波乱万丈な人生を送り、失敗や悲しい出来事も包み隠さず、他の悩める人たちのヒントになるよう、世に発信し続ける経沢さんは、男女を問わず高い支持を得ています。すごい女性ではありますが、人間的な魅力にもあふれている。
2014年6月には自ら創り、必死の思いで成長させてきた会社を離れることとなります。15年かけて育ててきた子どものような会社を手放したときの経沢さんの悲痛さは、どれほどのものだったでしょうか。経営者ではなくても、15年という歳月の重みから想像できます。
同年10月、経沢さんは二度目の起業をします。それがベビーシッターサービス「キッズライン」を提供するカラーズです。30歳で第一子(長女)を産んだとき、母親業と社長業、どちらもおろそかにしたくないと、経沢さんが探し求めたのはベビーシッターでした。
長女が難病を抱えていたこともあり、当時はシッター探しに難航し、幾度となく心が折れそうになった、と振り返っています。
「『いつか、日本ももっとベビーシッターが身近になるような社会にしたい。育児を気軽にプロに頼めるようにしたい』。このときに漠然と抱いた思いは、その後もずっと、頭の片隅を離れなかった」と綴る経沢さん。キッズラインは約10年間、心の中で大切にあたためられて誕生したサービスだったのでしょう。
二度目の起業も自宅から始まった
さて、カラーズ起業前に話を戻します。1社目を起業した当時から、最高のチームで社会のインフラを創りたいと目指していた経沢さん。現CTOの舩木俊介さんと話をする中で、その熱い思いが体の内側から沸き上がってくる感覚があったそう。
当時「テクノロジーの力で、社会問題を解決したい。くしくも、日本では育児支援不足が大きな社会問題となっており、女性のさらなる活躍を促進することが政府目標でもある。まさにこのタイミングで、もう一度、起業家としてチャレンジしたい」と強く決意していたのです。
そんなカラーズがスタートしたのはオフィスではなく、経沢さんの自宅でした。ベンチャー的な始まり。それから多様なスキルを持った優秀なメンバーが集い、六本木にオフィスを構え、スタートアップ企業の登竜門といわれるLaunch Padでの優勝、法人導入を希望する企業が殺到……と、キッズラインは成長を遂げていくのでした。
一度きりの人生を全力で生きる
ここで「それは経沢さんだから実現できたのでは?」と引いてみるのではなく、裏にある努力はもちろん、経沢さんの心の持ち方、スタンスを見逃してはいけません。
第5章「まだまだ未熟な経営者が、大切にしてきた7つのこと」では、ときに大きな失敗をしたとしても、それをきちんと噛み砕き、次のステップにつなげてきた経沢さんの流儀が綴られています。
その1つに「最高のコンディションで毎日を過ごす『一日一日が真剣勝負』」という項目があります。経沢さんのブログ「人生を味わい尽くす」にもあるように、一度きりの人生だからこそ、毎日を大切に過ごしている経沢さん。
極端な話かもしれませんが、人は明日突然死ぬかもしれません。いつ何が起きるかなんて、誰にも予想できないもの。だからこそ、経沢さんの「毎日魂を込めて生きていきたいし、フラットで冷静な判断が常にできるように、平常心を保ちたい」というスタンスは、私たちも真似すべき。
「いつかは起業したい」と夢を持っている女性はもちろん、次の一歩を踏み出せずにいる女性に読んでほしい一冊です。
Text=池田園子