「かわいい私」という性感帯
セクシーな下着を身につけること、自慰のときも声を出すこと、「私はかわいい、エッチだ」と思い込むこと──。それらすべてが快感を増幅させることにつながる。雨あがりの少女さんが、“自分自身に興奮する”ことの効用について語ります。
先日、自宅で楽にヘアケアができないものかと、シルクのナイトキャップを買ってみた。寝返りで枕に擦れないため、髪がつやつやになるらしい。見かけは給食当番の帽子のようでも、山道のお地蔵さんの帽子のようでもあって、少し滑稽な気がするが、ひとりで寝るだけなので特に気にせず装着した。
就寝前、いつものように自慰を始めようとしたとき、なんだかおかしいなと思った。気持ちよくなろうとすると、無性にナイトキャップが気になってしまうのだ。頭につけているだけなので、物理的に邪魔というわけではない。ただ、こんなものをつけていて私は滑稽なのではないか、という気持ちがどうも拭えず、エロい気分になりきれないのだった。
考えてみれば、思いあたることは多々あった。鏡の前で自分を見ているわけではなくとも、「自分自身がどういう様相をしているか」ということ次第で、性的に興奮したり、萎えたりすることがままある。
■セクシーな下着は私を遠くに連れて行ってくれる
たとえば新しいセクシーな下着をつけてみると、誰かに見せたりしなくても、なんだか自分はすごく特別な存在のような気がしてくる。生活の何に役立つでもないレースやヒモが、私を遠くの世界に連れて行ってくれる。下着じゃなくても、タンクトップや部屋着でもいい。時間のとれる日は、家でレースのシュミーズを着てみたりしている。なんだかとても気分が高揚してくるのだ。
なるべく暮らしの実用性から遠い装いをするのがいいなと思う。非実用的であればあるほど、他の動作には代替不能の、純粋なエロさが際立ってくるから。特別感に高揚することと性的に感じることは、違うようで不可分だと思う。私を遠くに連れて行ってくれる、非日常のアイテムはいくつあってもよい。
■「私はかわいい」という思い込みがすべてを救う
セックスの相手に「かわいい」と言われると急に気持ちよくなってしまうことがある。まあ正直、言われなかったとしても、「私この角度いけてるのでは……」「今の私かわいいかも……」と想像することで、快感がふわあっと増幅することがある。もちろん相手がかっこいいとか、エロい仕草をしたとか、そういうこともすごく大切なのだけれど、私は自分がどうかということもけっこう気になってしまうタイプかもしれない。
セックスの途中からはそんな余裕もなくなってくるとはいえ、目線を合わせたり、首や腰をそらせたりして、私はかわいい、エッチだ、と思い込むようにしている。その方が気持ちいいからだ。もしも褒められたらうれしそうにしたり気持ちよさそうにしたりするのも意識していて、そうすると相手がまた言ってくれたりする。どんどん気持ちよくなるのでうれしい。
■気持ちいいから声を出すし、声を出すから気持ちいい
あえて喘ぎ声を出すのも、快感を得る手段だ。喘ぎ声には、脳を酸欠にさせることでオーガズムを得やすくなる利点もあると何かの本で読んだことがあるが、「ムードをつくる」「自分を興奮させる」といった役割も大いにあると思う。
自分で自分のよがった声を聞くと、ああ、私は気持ちいいのだ、エッチな気分だ、と錯覚するし、その錯覚が大きな快感を連れてくる。セックスだけでなく、自慰であっても、出せる環境の限りで声を出すのがよい。というわけで私は自慰でもよく喋るしよく喘ぐ。
■自慰は自分のためのひとり舞台だ
最近、普段と体勢を変えて自慰をしてみるのもいいなと思っている。いつもは仰向けでしているのを、膝立ちにしてみたり、うつぶせにしてみたり、立ってしてみたりすると、感じ方が変わって面白い。
そういえば高校生の頃に『ベロニカは死ぬことにした』という映画を見て、真木よう子さん演じる主人公が立って自慰をしている姿に衝撃を受けた。立ってするのは私には少しやりづらいのだけれど、なんだかあの日見た彼女になりきるようで、気持ちいいのである。憧れの人に自分を投影するというのも、自分に興奮して気持ちよくなるための、ひとつのやり方かもしれない。
自分の装いや角度を少し変えてみるだけで、驚くほど気分が変わる。気持ちよくなる方法は豊かなほうが面白い。