香水で、意志を纏う。金木犀が香る「The PERFUME OIL FACTORY 」No.10
ただ香りを纏うだけなのに、そこに込められた言葉が自分の願望や意思と繋がって、さらに特別な意味を持つ存在になる。あなたは、そんな香水に出会ったことがありますか? ライター・夏生さえりさんによる特集「溶かす、深まる、香り」への寄稿です。
金木犀が好きだ。あのあたたかくてしっとりと重みがある、甘い香り。咲いてからわずか数日しか香らず、雨が降ればすぐに散ってしまう、深い緑の葉に隠れたちいさなオレンジ色の粒。どれだけ考え事をしていても、スマホばかり見つめていても、香りが強制的に滑り込んでその存在を知らせてくれる。「ねえ、ちゃんと聞いてる?」と視界に入ってくるかわいい恋人みたいに。
その匂いと存在の儚さ、愛らしさが魅力的なのは言うまでもないのだけれど、わたしにとって金木犀は“目印”みたいな存在でもある。昨年の秋にも、一昨年の秋にもつけた“目印”。不意にあの香りを見つけると望む・望まないに関わらず、その目印を辿って、やがていつかの秋を思い出す。
落ちていた金木犀を手のひらに閉じ込めて持ち帰ると、母が「水に浮かべて飾ろう」と平たいガラス皿の上にぱらぱら散らしてくれたこと。「金木犀って、どんな香りなの?」と言った無知で無垢な男の人のこと。大急ぎで自転車を漕いでいたはずなのに、金木犀の匂いを見つけて思わずブレーキをかけてしまった冷たい朝のこと。
忘れていたと思っていたことまで蘇って、そうかわたしはこんなにも秋を超えてきたのかと驚く。だらしなく続いている人生に無意識のうちにつけてきた目印は、おもいのほか「今のわたし」を知るのに役に立つようだ。
……と、長々と金木犀の魅力を語ってしまったけれど、昨年そんな金木犀の香りを忠実に再現した香水を、ついに見つけた。
■The PERFUME OIL FACTORYのNO.10
金木犀を謳った香水は多いけれど、これほどまでに忠実に再現されている(と感じた)香水には、はじめて出会った。「The PERFUME OIL FACTORY」というオイルパフューム専門ブランドの、“10番”だ。
トップにオスマンサス(金木犀)が使われているので、つけた瞬間、金木犀の香りがぶわっと広がる。ポメグラネート(ざくろのこと)・ブラックベリの甘酸っぱさが加わり、追いかけるようにミドルにカメリアやヒアシンスの艶やかな香りが広がる。それらを支えるベースは、ムスクとアンバーグリス(なんと、マッコウクジラの腸内に発生する結石!)で、身体にぴったり馴染むようなやさしさがある。
全体的に甘めではあるが、バニラやココナッツといったお菓子のような甘さではなく、やわらかな記憶のような甘さ。アルコールと水を一切使用していない、オイルパフュームの特徴も相まって、しっとり静かに香るようなさりげなさがあり、とても気に入っている。
「毎日の生活を、より華やかに、より心強く。」をテーマに掲げたオリジナルのラインナップは31日分にあたる31種類。
「より心強く」。そうだ、香水がなくてもひとりでも頑張れる、でも香水があればもっと心強い。言葉にめっぽう弱いわたしは、「より心強く」の一言で、このブランドのことも好きになってしまった。
■香水は、意志の現れ。
わたしの「言葉」への弱さは、尋常ではない。
たとえば「ブルーの入浴剤」は欲しくなくても、「夏の夜空のようなブルーの入浴剤」は買ってしまうし、「グラデーションのワンピース」は欲しくなくても「朝焼けを思わせるグラデーションのワンピース」だと買ってしまう。香水ひとつ買うにも、香りを好きになれるか? はもちろんのこと、コンセプトの言葉を好きになれるか? がかなり重要になる(逆に言えば、その言葉を好きになれなければ絶対に買わない)。
香水にはほとんどの場合、コンセプトが添えられている。有名なシャネルのN°5は『永遠の女性らしさを語る香り 』で、クロエのオードパルファムは『創造的で自信に満ちた個性あふれるクロエ・ウーマンを演出する』というコンセプト。無数にある香水の中から、香りと言葉を選び取る。それはつまり、自分の願望をあらわにする行為だと思う。
わたしにとって香水は、意志 だ。
香水(とそれに添えられた言葉)をつけることは、「こう在りたい」「こうなりたい」を纏うことと同じだから。
もちろん、たかが言葉だということはわかっている。その言葉があってもなくても商品自体は変わらないし、その言葉を身体に刻むわけでも、印字して旗のように振りかざすわけでもないから、「関係ない」と言ってしまえばそれまでだろう。そうわかっていても、言葉たちの力を見ないことにはできない。「かわいくなあれ」「きれいになあれ」と子供の頃にささやいたあの魔法の呪文のように、添えられた言葉たちがわたしに働きかけてくるような気がする。
件の金木犀の香りにはこんなコンセプトストーリーがあった。
「ささやかで豊か」。すこしの感激を持ってなんども口に出して、レジへと進んだのは言うまでもない。
わたしも、ささやかで豊かで在りたい。
ささやかで豊かな女性になって、ささやかで豊かな文章を綴りたい。
人の記憶の扉を開いてしまう金木犀が、けれど暴力的ではないように。自身の存在を人に知らせる金木犀が、けれど押し付けがましくはないように。そして多くの人の記憶に強く焼き付いているのに、来たるべき瞬間まで忘れられているそのさりげなさのように、わたしもなりたい。
買ってから、秋と冬にだけこの香水をつけることに決めた。やっぱりあたたかな金木犀が似合うのは、つい気持ちが下を向きがちな寒い季節だと思うから。
■暮らしの中に、目印を。
纏いたい言葉には、なかなか出会えない。そういうわけで、わたしのお気に入りの香水は今はたったふたつしかないのだけれど、そのくらいがちょうどいいような気がする。大事にしたい意志なんて、ひとつかふたつでいい。気持ちが変わったときが、買い替えどきだろうと思う。
毎朝、新たな気持ちで香水をつけ、だらりと続く暮らしに目印をつける。
わたしにとって香水は、金木犀の存在ととても似ている。
フリーライター/CHOCOLATE.Incプランナー。取材、書籍、エッセイ、脚本、ストーリー執筆。『揺れる心の真ん中で』他。