恋愛とスクールカーストは比例しない
恋愛を楽しめるのはスクールカースト上位だけ。そういう定説を信じ込んでいたけれど、実はそうではないようだ。学生時代の過ごし方が、その後何年もの未来を決めつけるようなものでもない。
■モテ(恋愛カースト)とスクールカースト
当たり前のことなのかもしれないけれど、私はこれまで恋愛カーストとスクールカーストは比例すると思っていた。
欧米ではジョックというアメフト部の男子がクイン・ビーと呼ばれるチアリーダーの女子と付き合うように、日本でもカーストが上位同士の男女がくっつくのだろう。そんな気持ちを抱えていた。
自分の学生時代を振り返ってみても、野球部やサッカー部など体育会系の男子が、チアやテニスなどスポーツ系女子やマネージャーと付き合っており、彼・彼女たちはピラミッドの頂点に立っていたように思う。
カースト上位の人たちは、学校を卒業し社会に出てからも「同じ階層の人」と付き合うことが多い印象。ただし、社会人になるとカーストの判断基準が少し変わってくる。例えば男性は運動ができることよりも、いい会社に入り良い給料を貰うことになるだろう。
■「スクールカースト底辺」と公言しつつ恋愛強者だった女子
「自分はスクールカースト底辺だった」
大人になってからそう語る女性たちに、最近よく出会う。
彼女たちは自分を謙遜するためにそう語っているように見えた。けれど、そうやって周囲に「スクールカースト底辺だった」と公言するくらいであるから、おそらく「そんな自分の黒歴史を消したい……まじでヤバい……」とまでは思っていないのだろう。
というのもスクールカースト底辺だったと公言する彼女たちには、共通点がある。それは決して彼女たちの「身なり」や「趣味」から判断したものではない。
学生時代から彼氏がいて、男女関係を楽しんでいる――この一点だ。
「彼氏がいた? それはスクールカースト底辺ではなく、ただのリア充では?」という疑問を拭えない。
私が学生時代に感じていたのは、スクールカースト底辺は異性と交流するだけで周りに嘲笑されるという、恋愛すら許されていないような空気。だからこそ、男女関係を謳歌した過去を持つ彼女たちが、本当に「スクールカースト最底辺」であるとは思えなかった。
■カーストに関係なく、女としての自分に自信があるか
しかし、ふと思い出す。
私の学校には、底辺かどうかはわからないけれど、カーストの枠外にいて恋愛を楽しんでいる女子が数名いた。
文化部や帰宅部の女子でも、同学年ではなく先輩と付き合ったり、学外の人と付き合ったり、果ては先生と付き合っている……なんて話も。ある意味そういう枠外にいた人の方が、恋愛を貪欲に楽しんでいたかもしれない。
逆にスクールカースト上位にいて異性との交流を楽しんでいても、恋人まで発展しないという人たちもいた。もしかしたら私が誤解していただけで、スクールカースト上位になることが恋愛強者になることとイコールではないようだ。
■相手への興味が強く、恋愛に走る強さがあるかどうか
スクールカースト底辺は、異性と関わることすら許されない。私が感じていたこの空気は、間違いだったのかもしれない。
さきほど触れた「スクールカースト底辺にいた」と公言していた女子たち。「恋愛を楽しんでいた」という彼女たちは、無縁者的な存在としてヒエラルキーの枠外にいたのかもしれない。
スクールカーストの上位にいることが恋愛上級者なわけではない。
むしろカーストにとらわれず、相手への興味を貫き、恋愛に走る強さがあるかどうか――これが恋愛カーストを左右するのではないか。
年収や肩書きなどの社会的なステータスが自分の自信に繋がることだってある。けれど、必ずしもそれが恋愛強者として君臨するためのファクターになるとは限らない。
女としての自信を育むためにすべきことは、たぶんスクールカースト上位を目指すことではない。自分を女としてどれだけ可愛いと思えるか。どれだけ相手への興味をストレートに示し、自分の価値をアピールできるかということなのだろう。