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結婚=家庭的? 後編

仕事をしながら家事や育児を手伝う夫は家庭的で仕事をする女は家庭的でないのか。

結婚=家庭的? 後編

 前回は、家庭的とはどういうことかを考えた。家庭を持っていれば家庭的であり善人であると思い込みがちであるが、善良でない家庭人はいくらでもいると。

 私は、自分のためにご飯を作れる人が家庭的、つまり家族との共同生活に向いている人だと思う。地道な作業の反復を自律的に行うには、意志の力が必要だ。誰も見ていなくても、誰にも褒められなくても、ちゃんと自炊してひとりで「頂きます」と言える人は、大人だ。誰かに依存しないでも生活の質を維持出来る人である。それは一人暮らしだけでなく、家族との共同生活を営む上でも大切な能力だと思う。

 私はそれが出来ない。絶対に自分のためになんかご飯を作らない。今は夫と子どもがいるからなんとか料理を作る理由があるものの、それも愛情を伝えるために手料理を食べさせてあげたいという尊い動機からではない。食べる人が複数いるなら効率的に食材を消費できるからだ。

 自宅で食べたいものを食べられるのは幸せなことなので、彼らの好物を作ってやろうとは思うが、基本的には自分が美味しいと思うものを作る。せっかく買った材料を美味しく食べることが出来ないと悔しいので失敗しないように気をつける。失敗の確率が高まる手の込んだものは作らない。煮るとか焼くとか切って混ぜるとかぐらいしかしない。けど美味しくは作る。負けず嫌いなのだ。

 料理は妻のつとめとも思っていないので、夫が料理することも多い。夫には感謝している。共働きでも冷凍食品やスーパーの総菜なしでやっていけるのは、夫も料理を作る人だからだ。そのことを話すとたいていの人は「素敵な旦那さんですね!」と絶賛する。夫を褒められるのは嬉しいが、私はちょっと複雑である。

 料理を作ったり作らなかったりする女は家庭的ではないと言われる。でも働いているんだから仕方ないですよねと。しかし料理を作ったり作らなかったりする男は家庭的だといわれる。すごいですね!働いているのに家事にも育児にも参加するなんて。

 いやいや、料理を作ったり作らなかったりすることはどちらも同じではないか。自分の子どもの世話をするのは人として当然ではないか。なのになぜ女が専従しても褒められず、男が分担すると賞賛されるのか。

 家族との共同生活に向いていることを家庭的と言うならば、2人で協力して家庭生活を維持する夫婦は、共に家庭的な人物だ。なのにその場合、妻は不完全な家庭人で夫は意欲的な家庭人だと評価される。男は女の世話になるものと思うからそうなる。女は他の人の世話をするのが本業だと。

 自分のために家を整え、食事を作ることが出来る人が集まれば共同生活は健全に維持される。自分の子どもを守ろうと思うから自発的に動く。他人に自分や子どもの世話を全部押し付けようとする人間が集まったら共同生活は破綻するし、誰かひとりが恨みを募らせて家事や育児をしているのは不健全だ。自立した人が家庭的な人なのである。それに性別は関係ない。

 一人で丁寧に暮らすことが出来る人は、他の人とも一緒に生きていける。結婚を選択するか否かが、家庭的であるか否かを決めるのではないのだ。
 

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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