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おしゃれはまだまだ、下手でいい

イタリアに長く住んでいた友人がよく言います。イタリア人は、色に敏感で、素材に注意深く、そして卓抜したセンスをもっている。それに比べて日本人のセンスは……と。そして、その度に私は顔を真っ赤にして怒っている。

おしゃれはまだまだ、下手でいい

 イタリアに長く住んでいた友人がよく言います。イタリア人は、色に敏感で、素材に注意深く、そして卓抜したセンスをもっている。それに比べて日本人のセンスは……と。そして、その度に私は顔を真っ赤にして怒っている。

「だめ?」「おしゃれがまだまだ下手で、日本人はだめなの?」と。

 明治時代、さまざまな文化が日本に流入し、もちろん、その中には西洋の服「洋服」も含まれていた。けれど、庶民は着る機会もなく、いわゆる、華族や一部の特権階級が身に付けた正装を、当時は「洋服」と呼んでいたのだ。その後、大正時代になり、一般市民も着るようになった普段着が、今でいう「洋服」の原型なのだと思う。それでも、昭和の、どこにでもある家庭を描いた「サザエさん」で、サザエさんのお母さんのフネさんは、たいていが着物姿だったりして。そう、日本人が洋服を着始めたのはついこの間。40歳の私の祖母が、私の父を生んでしばらくした頃、やっと……という感じ。私は逆に、こんな短い「洋服」の歴史の中で、よくも、ここまで日本人はおしゃれに上達したな、と、むしろ感動してしまう。おそらく、季節を映した繊細で美しい色や、肌触りをとても大切にする素材に対する感性は、きっと、華やかなコレクションを開催するどこの国よりも、優れているんじゃない?

 けれど、明らかに苦手なことも。今でこそ驚くほど脚の長いモデルや、少し前の畳の生活を感じさせない、小さくて鋭角な膝の女子高生を見かけるけれど、やっぱりそれでも、自分の体型を客観的に見た「バランスの計算」はまだまだな気がする。欧米人に比べて大きめの頭や、短い手足。けれど、それだって、誰が「ウィークポイント」だと決めたのだろう。1960年代初め、爆発的に売れた「ありえない」プロポーションをもったバービー人形のせいかもしれないし、そう思うと、なんだか気が楽になる。所詮人形だし。私たちは、人形のイメージを夢見なくていいし、彼女のバランスにほど近い、欧米人のバランスを羨む必要はない。そして、自分の体型を客観的に見ることができたとき、私たちのおしゃれは、きっとぐんと前に進むのだと思う。けれど、それだって、ゆっくりでいい。私たちの「洋服」を着ておしゃれをする歴史は、始まったばかりなのだから。

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