Illustration / Yoshiko Murata
DRESS DECEMBER 2014 P.23
イタい女宣言【甘糟りり子の生涯嫁入り前】
好きな格好で、好きなことをするのはイタい女?
ある秋の夜の、私と友人の会話。
「りりちゃん、最近、○○と会った? あの人、いい歳してロングヘアなびかせて、ミニスカにニーハイブーツでけやき坂を闊歩してたよ。あの若作り、逆に歳とって見えるって気がつかないのかな、あれ、イタいよねー」
ビオワインで満たされたグラスを持ち上げながら、友人がいった。私は、とまどいながら答える。
「べ、別に……、いいんじゃないの。好きなかっこうすれば」
その後に続くはずの「私たち、残り時間も少なくなってきているんだし」という言葉を、ワインと一緒に飲み干した。
「その上さあ、知ってる? 二十五だか六だかのダンサー、いやDJだったかな、とにかく今どき風味の男に入れあげてるの。レストランとかバーに連れ回しちゃあ、Facebookにアップしてるんだよ。もうさ、アイタタタ、でしょう?」
彼女は、グラスを軽く爪で弾いた。爪にはグレイがかったベージュの美しいネイルカラー。
「ああ、まあ、ねえ……」
私はあいまいな相づちでお茶を濁す。
「イタ過ぎるでしょ、あれは。顔だって、注射し過ぎてパンパンなんだから」
それは確かにイタいわな、と思ったけれど、私は口に出せなかった。
恐らく「痛々しい」から派生し、すっかりねじまがって使われている。
痛々しいとは本来、弱った人への同情を含んで用いられるはずだ。けれど、昨今みなさんが口にする「イタい」には、同情どころか思いっきりバカにしている感が満載だ。
この言葉は、否定する場合すべてに当てはまるわけではない。部下の手柄を自分のものにするセコい人や、二股かけて平気な顔している悪人を「イタい」とはいわないでしょう?
現実を必死に底上げしている人、もしくはその状態を「イタい」と呼ぶのだ、我々は。四十過ぎているのに若作りしている、交友関係やモテを思いっきり盛って話す、今シーズンのトレンド満載の同じコーディネートを毎日繰り返している、などなど。
どんな毒舌な人でも、このフレーズを自分より年下相手にはあまり使わないように思う(注・有名人のゴシップは除く)。だいたい、同年代か年上を落とす時に口にする。
「イタいよね〜」って、つまりは、自分を安全地帯に置いて、上から目線感覚でダメ出しする言葉である。取り急ぎこういって否定しておけば、自分は「ちゃんとわきまえている」っぽく聞こえるし。だから、私はできるだけ「イタい」というフレーズを使わないようにしている。
だって、そんなにわかってないもん、世の中の空気とか世間の空気とか。
とはいえ、つい口をついて出てしまうことだって、あるっちゃあ、ある。やっぱり、アヒルみたいにめくれあがった唇にピンクのグロス塗って、決め顔で自撮りしている四十二歳に遭遇すると、思わず「イタいです……」とつぶやかざるをえない。あ、自撮りじゃなくて、セルフィーっていわないとダメですか? そんなこっぱずかしい単語、私には無理無理〜。
そんなふうに感じると同時に、「イタい」という言葉をそんなに恐れたくないとも思う。自分よりちょっとだけ年季の入ってない奴らの「イタい」におびえて、着たい服も我慢して、行動も制限して、お行儀に気をつけて、なんてつまらないではないか。さっきも書いたけれど、あとどれぐらい生きているのか、わかんないんだし。
自分の人生だよ、好きなように生きようよ、ちょっとぐらいイタくたっていいじゃん! なんて昭和のAM深夜放送みたいなことを、とりあえず書いてみた。
そう、小心者の私はいつだって「好きなことを好きなようにまっとうしたい」と「でも、やっぱりイタい人になりたくない」が、せめぎあっている。
どしたらいいの?
その問いに、正しい答えは、残念ながらない。若くはない女性が、キラキラしたことやロックなことポップなことに片足を突っ込んでいる姿は、どう繕ってもイタいもの。そ、この自覚こそが肝心なところ。ではないかと私は思う。自覚のあるなしは、イタい大人としての大きな分かれ目だ。
なんてことをカフェの隅っこで考えていたら、背後から、JKたちが女子大生をディスっている声が聞こえましたよ。
「ちっ。イタいんだよ、あのおばさん」