最高にかっこわるい人
計画通りの場所に行ってそつのないセックスをするよりも、あてのないデートをする方がワクワクする。ちょっとした粗や隙は、むしろその人を魅力的に見せることもある。雨あがりの少女さんが綴る、「かっこわるいけどかっこいい」人たちについて。
■ダサいところはかわいいところ
思い出すのは、その美しい顎のラインよりも、短いヒゲの剃り残しだったりする。あるいは、その整った鼻頭よりも、鼻腔でちらちら光る白い毛だったりもする。そういう、本人に言うわけでもない、ちょっとした粗のようなものを、永遠に愛していたい。
日々見つけた男のかわいいところをツイッターに書き込んでいたら、「そのかわいいって、男のダサいところだよね……」というコメントを男性からもらったことがあった。たしかにそう言い換えることもできるかもしれない。ダサいところはかわいい。
江國香織さんのエッセイ集『とるにたらないものもの』に、こんなフレーズがある。
“フレンチトーストが幸福なのは、それが朝食のための食べ物であり、朝食を共にするほど親しい、大切な人としか食べないものだから、なのだろう”
──『とるにたらないものもの』江國香織,集英社 より引用
私にとって男の人のダサいところが愛おしいのも、それが間近に接近しないと見えないものであり、接近するほど親しい、大切な人にしか見いだせないものだからかもしれない。
■予定調和じゃない方がワクワクする
デートの準備や計画をしていない男はダメだとか、そつのないセックスをしないと次はないとか、そういう話を聞くことは多いけれど、個人的にはむしろ真逆のほうがいいなと思う。たしかに予約しておいた評判の店に行くのも素敵だけれど、ふらっとなんとなく入店するのもそれはそれで楽しい。
レストランが臨時休業だったり、美術館が休館だったり、行くあてがなくなったり、時間を持て余して公園でジュースを飲んだり。予定調和の素敵なデートよりもあてのないデートのほうがよっぽど印象に残るし、ワクワクしてしまうのは、きっと私だけではないだろう。
相手が「スマートに計画を遂行すること」に集中していると、なんだか寂しいとすら思ってしまう。計画どおりに行かなくても、そもそも計画なんかなくても、この場をふたりで楽しもうとしてくれる人があたたかく感じられ、大好きだ。セックスでもそうで、相手が私とキスをしながら薄目でコンドームを探しているのを見ると、やっぱりなんだか寂しい。デートもセックスもふたりのことなのだから、そんなにそつなくいかなくていい。ずっとふたりでコンドームに手間取っていたい。
■かっこわるくてかっこいい人
私は男の人のかっこわるいところが好きだけれど、その姿をなかなか見せてもらえないのは、やっぱり「男はかっこつけるべき」とか「男は女をエスコートしなくてはならない」とか、そういう性別役割分担意識の呪縛があるからではないかと思う。別にかっこつけたければつければいいし、かっこいい男が好きな人がいるのも否定しないけれど、そういうのがしんどい人は早く降りちゃえばいいのに、と思っている。とはいえ簡単には降りられないだろうから、降りても大丈夫と思える社会になってほしい。
ところで私が長く好きだった人は、最高にかっこわるくて、最高にかっこいい人だった。顔は決して整っているわけではないのだけれど、「唇がやわらかいね」とか「鼻がかわいいね」とか言うと、「そうそう、これ、ちょっとかっこわるいけど、いいでしょう」とニコニコしていた。自分のかっこわるさを過不足なく受け入れている人を、私は心からかっこいいと思う。
彼はいつも失敗ばかりだったし、約束も全然守ってくれなかったし、デートも本当に無計画だったけれど、そのことを特に気にしていなかったし、いつもその瞬間のバイブスと私の意向に向き合ってくれていた。かっこわるくても、ダサくても、スマートじゃなくてもいい。「男だから」とか「女だから」とかで無理に気どらなくてもいい。そうお互い思える人とずっと街をぷらぷらしていたい。