覚えてますか?

自慢にならないが思い出消去力は高い。携帯を落とした時のこと考えて、メールやLINEのやりともこまめに消す。写真も全然取らない。頭に残ったものだけがすべて。でも今の私を作っているのは過去に出会った人たちのおかげ。

覚えてますか?

あなたは、昔のことをどれくらい覚えているだろうか。
私は自分でもびっくりするぐらい、思い出消去力が高い。すぐ忘れちゃう。
日記も付けないから、ほんとに過去がスッカスカなのだ。

携帯を落としたり、突然死したりしたときのことを考えて、メールやラインのやり取りもこまめに消してしまうので、時々必要な情報まで分からなくなる。相手には「誤ってメールを削除してしまい……」と伝えているけど、半月やそこらで消去するって!と、薄情者だと思われているはず。

子どもに「ぼくが赤ちゃんだったときのこと教えて」と言われても、同じ話の繰り返しになってしまう。赤ちゃん時代の彼らは最高に可愛かったし、私もとっても幸せだった。大変すぎて、泣きながら育児したこともあったっけ。彼らはほんとに素敵だった。ということは多分死ぬまで忘れない。けど、細かいエピソードは思い出せないのだ。それでもいいと思っている。目の前のその人との関係が何より大事なので、過去をとどめておくことには執着しない。

子どもの運動会も生で見るだけ。夫が記録係。私はレンズを通して見るのが嫌いなのだ。自分の生の目で見て、脳みそに残ったものを大事にしたい。それならいつどこにいても再生可能だ。人と会ったときにも全然写真を撮らない。ご飯会でも撮らない。撮っても撮らなくても会えた嬉しさは変わらないし。

お墓に持って行けるものなんて、たかが知れている。死ぬ間際に思い出せることが全財産だ。ならば、いくらアーカイブを充実させたところで意味はない。頭に残ったものだけが全て。

だから過去にお付き合いした人との思い出も、夫と付き合い始めたばかりのことも、全然思い出せない!夫は私と正反対で記憶力がいいので、ああだったとかこうだったと言われるのだけど、あー……とかいうぼんやりした返事しかできない。今、最初に付き合った人の下の名前を思い出そうとしたら、半分しか思い出せなかった。と書いたら残り半分が出て来た。でも、知らない人の名前のように感じる。いい人だったのに。

そのときはこの世で一番キラキラしたものと出会ったように感じている出来事をこんな風に忘れてしまうなんて、どうしてだろう。
いつか伏流水がわき出すように、急に思い出したりするんだろうか。

今、私は生まれてから3歳まで住んでいたオーストラリアのパースという町で家族と暮らしている。仕事は日本でするからひと月ごとに日本とオーストラリアを行き来する出稼ぎ生活だ。引っ越してもうすぐ1年。パースにいるときに、風のにおいや光の具合で「あれ……?」と思うことがある。ええとこれ、どこかで……というかすかなかすかな既視感だ。もしかしたら、3歳の頃の原体験に触れる感覚なのかもしれない。

息子たちは、8歳と10歳でここに来た。この先、多感な時期を過ごすことになる。いつかうんと大人になったとき、どんな風にここでの暮らしを思い出すのかなあ。日本の記憶はどんなふうに残るのだろう。同じ家で毎日顔を合わせていても、残る記憶はきっと違う。私が忘れてしまうことも、彼らが覚えているかもしれない。

きっと過去に出会った人たちとの会話や一緒に過ごした時間が、今の私を作っている。彼らは思い出ではなく、現在として私の中に生きているのだ。既に境目が分からなくなった私の一部として。夫も子ども達もそのように現在の私を変え続けてくれる。誰かと出会うことは、自分が変わってしまうことに他ならない。それはなかなか面白いことだと思う。

今年もたくさんのいい出会いが、あなたにありますように!

 

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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