美しいランジェリーと出会って、わたしは自由になった
結婚、出産を経て、あるとき鏡で自分を目にして、痩せ細った体にショックを受けたゆりこさん。学生時代に心を奪われた美しいランジェリーを思い出します。30代を過ぎて初めて身に着けた、上質で美しいランジェリーが、自分は自分なんだと思えるパワーをくれて――。ランジェリーで人生がより良くなった女性によるシリーズ・コラムです。
「ランジェリー」。日常には溶け込みにくいその響き。美しくもあり、少し妖しげでもある。DRESS読者の女性たちは、ランジェリーを存分に楽しむことのできる大人の方々だと思います。
甘美な喜びを体験してしまうと病みつきになる。少々中毒性のある、身に着けられる美しい芸術。そんなランジェリーにどっぷりとはまってしまった私。ランジェリーとの出会いから振り返ってみました。
■美しいランジェリーとの出会いは、ドラマのワンシーン
それは、私の目にいきなり入ってきた。明るい自然光、揺れるカーテンと動く体。その体を包み込む白い布はなんだろうか。当時、私が知っていた言葉だと「下着」である。
それは生成りではない。白。ホワイト。素材は綿なのか絹なのか。布自体が生きているかのように、しなる体を追いかける。目が離せない。さわりたい。追いかけたい。ほしい。
テレビドラマのその場面は、大学生だった私にとって、美しく生々しく衝撃的で、エロティックさだけではない、生きる力の塊のようなものを感じさせた。
下着自体が生きているかのような、挑戦的で印象的な、実に美しいランジェリーだった。私は、その白いランジェリーの美しさに心を奪われてしまった。
それまで、下着は黒ばかり選んでいて、白やピンクなどの装飾のあるものはなんだか恥ずかしくて着ていなかった。しかし、その白いランジェリーをテレビで目にして、ほしくてたまらなくなった。
ただ、大学生だった私には、百貨店のランジェリー売場に入っていけるような金銭的・精神的余裕はなく、テレビドラマと同じような、心揺れるランジェリーを探し出すことはできなかった。
それが、単なる下着ではなく、ランジェリーを意識するようになった大きなきっかけだ。
■選択を迫られ続ける女の人生。気づいたとき、悲しい体になっていた
女性の一生はめまぐるしい。気づいたら次のステージに立っている、そんな感じ。
私はというと、学生の頃は夢に向かって努力し、勉強三昧の日々。働き始めると、結果を出すことが楽しくて仕方なかったけれど、20代後半を迎えたとき、結婚するかしないかの選択を迫られた。
幸せな結婚ができたと喜んでいるとすぐに、子どもを産むか産まないかの選択を迫られる。ほしかった子どもにも恵まれ、仕事を一時的に休み、子育てに専念。
子どもが2歳を迎えた頃ようやく余裕が生まれ、仕事ができるようになったある日、ふと鏡で見た、自分の裸体……衝撃しかなかった。
体重は20代後半のときと変わっていなかった。しかし、授乳で痩せて、肉が削げ落ちた胸、おなかには妊娠線が数本。出産の影響だけでなく、年齢のせいもあるのだろう。
私が自分の体として記憶していた、いつかの、はつらつとした健康的な体はそこにはなかった。なんだか、痩せていて、悲しげな印象すらある体。
そのとき、ふつふつと湧き上がった思いは、「きれいになりたい」というものだった。同時に、昔テレビで目にして心を奪われたランジェリーの美しさを思い出した。
■美しいランジェリーをまとったとき、自分に見惚れた
ただ、地方在住の私が素敵なランジェリーに出会うのは至難の技。まだ子どもが小さく、ひとりで買い物に行く時間は作ることができなかった。
しかし、ネット通販が私を助けてくれた。「ランジェリー通販」と検索するとたくさんの商品が出てきた。
あまりにも幅広い商品が出てくるので「ランジェリー通販高級」や「ランジェリー通販大人」などでも検索してみると、ワクワクが止まらなくなった。
まずは、よく知っているワコールに手を伸ばしてみた。届いた商品は、コンプレックスである妊娠線を瞬く間に見えなくする、美しいレースのスリップ。
肩から鎖骨にかけてするりと肌の上をなぞるストラップ。肌がランジェリーの内側から輝く。自分自身にはっとした。
裸の体とは別物とも思える美しさ。痩せ細ってちょっと足りない体だからこそ、細いストラップが鎖骨と胸を流れて美しく落ちる。
若い頃には出せなかった儚さや危うさ、美しさが、鏡の中の自分にあるような気がした。ドキドキした。
このときの衝撃は、ドラマで白いランジェリーを目にしたとき以来。自分が主人公になれるんだとびっくりした。
私はランジェリーが似合う年齢になった気がした。それからもう7年ほど、ランジェリーに魅せられている。
■ランジェリーは自分だけの秘密。完全なる自由が心地いい
ランジェリー以上に私の自尊心を保ち、自分は自分なんだと認められるようなアイテムがほかにあっただろうか。
洋服を着ていると見えないランジェリー。基本的に自分しか知らないランジェリー。だから母としても、仕事をしていても、なんの支障もきたさない。
それは、洋服の下の自由。唯一の「完全な自由」かもしれない。取り繕わなくて良い、自由な私自身。
日常のスキマ時間に眺めるInstagramでは、世界中からたくさんのランジェリー写真が発信され、私の活力になる。女性であることをここまで肯定し、自由に楽しめる世界は他にないとも感じる。
社会のさまざまなしがらみにまみれ、ときに疲れてしまうこともある大人にこそ、ランジェリーを選ぶときは、自由におおらかに自分の好きなものを手にとってほしい。
まずは気になる一着を試しに着てほしい。そして、誰もいないところで鏡の中の自分をじっくり観察してほしい。
誰にも気兼ねしない、自分だけの密かな楽しみと自由がそこにはあるはずだから。
Text/ゆりこ
2017年9月12日公開
2019年5月6日更新