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占いと自分探しと私【甘糟りり子の生涯嫁入り前】

女性向けのコンテンツには欠かせない「占い」と、自分探しの共通点とは。

占いと自分探しと私【甘糟りり子の生涯嫁入り前】

正直いうと、普段、あまり占いを見たり読んだりすることはない。

朝の情報番組のラッキー・アイテムを気にしたりしないし、自分の星座が思い出せないこともある。←女子失格……。いつでも現実に振り回されている私は、占いで一喜一憂している余力がない、というのが現状か。

一度だけ、いわゆる「見える」人に占ってもらったことがある。タイの寺院にて。取材の延長だった。真夏のバンコクはものすごい暑さと湿度で、サウナのような街をカメラと一緒に何時間も歩き回った私は、ぐったりと疲れて、その「見える」人の説明をされても半ばうわの空。ぼんやりしたまま、席についた。生年月日を告げ、何やら表のようなもので占うタイプだったと記憶している。

どうとでもとれることもいわれたし、それはちょっと違う、私のことじゃない、と思ったものもあるけれど、帰国してから数日後に予定していた引っ越しを当てられた時は驚いた。方角や部屋の規模やら、細かいことまで告げられ、ほとんどが事実だった。この取材旅行のスタッフは初対面の人ばかりで、引っ越しのことは誰も知らなかった。

自分のことをいい当てられる快感は、他の何ともちょっと違う昂揚がある。
理解されているという安心と、見透かされているという怖さと。そのバランスが自分の波長とぴったり合うと、きっとハマってしまうんだろうなあ。

占ってくれたのは、初老の痩せた男性。灰色の瞳の静かな輝きがただ者ではない印象だった。寺院の敷地内の雑踏、まとわりつくような湿度、男性の少し高めの声とタイ語のリズミカルな響き、ざらっとした心の感触。時間をピンで止めたかのように、すべてを鮮やかに覚えている。

占いって、もう一人の自分に出会うような感覚かもしれない。もしかしたら、何かのきっかけやタイミングで実現するはずの自分との遭遇、というか。

そのきっかけやタイミングのヒントが欲しい時、占い師にたどりつくのだろう。もう一人の自分は、もっと素敵かもしれないし、もっと悲惨かもしれない。どちらかわからないのにそれを知ろうとする人は、勇敢で前向きだなあ、と小心者の私なんかはおじけづいてしまう。

だから、なんだろうか。ひと頃、もてはやされた「自分探し」という言葉、私はこれに占いとよく似た感触を受ける。本当の私ってもっとイケてる、などという前提のもと、もう一人の自分をあまりにも買いかぶり過ぎると、目の前にあるせっかくの幸せを見逃してしまわないのかな?  とも思う。

自分の「ほど」を知るのも大人としては大切なことだ。若さの魅力が可能性なら、歳を重ねた人には謙遜という切り札がある。別に、若い女じゃなくなったら何でもあきらめろ、といっているわけじゃない。自分のしてきた「選択」に自信を持とうよ、といいたいだけ。そうしたら、今の自分がどれほどのものかわかるし、それがわかれば今の自分が愛おしくなる。 

自分探しが高じるあまりに、あらゆる教室やら講座に通い、資格や肩書きだらけになっている人って、申し訳ないのだけれど、さびしい感じがする(まあ、私にさびしいとかいわれたくない、かもしれませんが……)。占いも同じ。

それをきっかけやヒントにするのはいいけれど、目的や指針になってしまうのは、不健全だと思う。良くない意味での、不健全。自分の指針は、やっぱり自分で示さないとね。

などと、エラソーに書いてきましたが、ついつい占いが気になってしまう気持ちも、経験がないわけではない。そう、恋愛の初期。つきあっているんだか、まだなのか、はっきりしない頃って、他の誰かや何かにはっきりしてもらいたくて、いつもならスルーな占いのページを何度も読み返したり、お互いの生年月日を復唱してみたり。あげくの果ては、ひなげしの花をむしってみたくなったり。(アグネス・チャンがわかるのは昭和な人だ!)。

ああ、あの不安定な気持ちがなつかしい。占いは、やっぱり「女子」のものなんでしょうね……。

Illustration / Yoshiko Murata

DRESS FEBRUARY 2014 P27に掲載

甘糟 りり子

作家。都市に生きる男女と彼らを取り巻くファッションやレストラン、クルマなどの先端文化をリアルに写した小説やコラムで活躍中。『産む、産まない、産めない』など著書多数。読書会「ヨモウカフェ」主宰。公式ブログ http://ame...

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