好きだった人が失踪してから11年。私がいま思うこと
どれだけ近くにいても、その人が見せていない表情や感情はきっとある。目に見えるその人よりも、目に見えないその人のほうが多いことだってあるだろう。私たちは、“そこ“にどれだけ想いを馳せることができているだろうか。
どうしようもなくダメな男の人に恋をしてしまったことがある。
13歳年上の、離婚歴のある人だ。
心に傷を負ったその人は、私の存在を「癒し」だと言った。だけどある日、逃げるようにいなくなってしまい、私はひどく傷ついた。
当時のその人と年齢が近くなった今、思うことがある。
彼が抱えていた苦しみは、私が想像していたよりもずっと大きくて重いものだったのではないだろうか。もし彼がいなくならなかったとしても、私は、彼を支える杖にはなれなかったと思う。
■弱さを打ち明けたら好きになってしまった
22歳の夏、春に入社したばかりの会社を辞めてしまった。早々に心の調子を崩してしまったのだ。勝手に退職したことで両親は激怒し、実家に連れ戻されることになった。
引っ越す前、私はひとりで沖縄に行った。友人の結婚式があったからだ。
結婚式が終わり「すぐに帰るのはもったいないな。どうせならのんびりしよう……」と思った私は、1泊1000円のゲストハウスに1週間滞在した。
私はそこで、当時35歳の男性と出会った。仮に岸田さんとしよう(くるりの岸田さんに似ていたから)。
岸田さんは童顔で、20代に見えた。すでに半年くらいそのゲストハウスに滞在していて、夜中にコールセンターでバイトしている。色白でメガネをかけた岸田さんは、夏も、海も、沖縄も、まるで似合わない。穏やかで物静かで、特に共通の話題があるわけでもないのに、なぜかとても話しやすかった。一緒にお酒を飲んだり、海に行ったりした。
岸田さんと連絡先を交換し、ゲストハウスを後にしてからは、頻繁に電話やメールが届いた。
北海道の実家に帰った私は、レストランでバイトを始めた。しばらくすると、岸田さんも九州の実家に戻って就職した。
私はもともと感情が不安定で、精神科に通院している。それに加えて、親との関係や将来のことで悩み、ときに深く落ち込んだ。
私が落ち込んでいると、岸田さんは電話越しの声だけで「どうしたの? 元気ないね」と気づいてくれる。そして、「俺で良かったら聞くよ」と言ってくれる。
私は、岸田さんに弱さを打ち明けるようになった。
すると、岸田さんは「俺も、離婚したとき落ち込んで精神科行ってたからわかるよ」と言った。
岸田さんにはまだ小さい息子さんがいて、離婚したパートナーが引き取ったそうだ。けれど、息子に会わせてもらえない。弟の子どもを見るたびに、自分の息子を思い出して泣いてしまうと言う。
夏が終わる頃には岸田さんとの電話は毎晩になっていて、私は彼を好きになっていた。
岸田さんは携帯電話を他社からauに変えた。理由を聞いたら、「サキちゃんがauだから通話料が安くなる」と言う。今はわからないけど、当時はau同士ならあらかじめ登録した電話番号への通話が半額になるプランがあり、岸田さんは私の番号を登録したのだ。
もしかして岸田さんも私のことを好きかもしれない。
だけど、私の勘違いかもしれないと思うと怖くて、気持ちは聞けなかった。
■ある日、好きな人が失踪した
春になっても私と岸田さんは相変わらず、毎晩のように電話をしていた。だけどたぶん、恋人同士ではない。好きだとは言われていないし、私も言っていない。告白することでこの関係が壊れたらと思うと、怖かった。
そんな折り、私は7月から、北アルプスの山小屋で住み込みのバイトをすることが決まった。
バイトは9月までで、その後のことはまったく決まっていない。当時は親との折り合いが悪く、実家を出たかった。山小屋で働けば少しは貯金ができるから、下山後に一人暮らしできるかもしれない。
そう言うと、岸田さんは「沖縄で一緒に暮らそう」と言った。
一度しか会ったことのない、恋人でもない人からの誘い。普通なら断るのかもしれない。だけど、当時の私は岸田さんのことを全面的に信頼していたので、すぐに承諾した。好きな人と暮らせるなんて夢みたいだ。
岸田さんは「サキちゃんが山から帰ってくるまで待っちょるからね。その間に俺もお金貯めておくから」と言った。
だけどその頃、彼は職場の人間関係で悩んでいるようだった。電話の声は日に日に元気がなくなっていく。「仕事辞めないんですか?」と言うと、「簡単には辞められんよ」と笑っていた。
「私で良ければいつでも話聞きます」
「ありがとう。でも、大丈夫だから」
心配だったけど、岸田さんはそれ以上何も言わなかった。
6月も後半になり、いよいよ山に行く日が迫ってきた。
バイトの休憩時間に携帯を確認すると、めずらしく岸田さんからメールが来ていない。その夜は電話もなかった。
翌朝、知らない番号から電話がかかってきた。訛りのある年配の女性。聞いてみると岸田さんの母親だった。
彼女によると、岸田さんは、いつものように家を出たのだが、職場には来ておらず、そのまま行方不明になったという。携帯は繋がらない。部屋に以前の携帯電話が残っていて、そこに記載されていた着信履歴から私に電話をしたと言う。
失踪――。
岸田さんのお母さんが言うには、彼が失踪するのは二度目らしい。離婚した後、職場を無断欠勤し、当時住んでいたアパートもそのままにいなくなったそうだ。
心配で心配で、何度も岸田さんの携帯に電話をかけた。沖縄や九州のあちこちのゲストハウスにも電話してみた。だけど、岸田さんの行方はわからなかった。
秋には私と暮らすって言ってたのに。失踪するほど追い詰められてるなら、話してほしかったのに。なんで、何も言わずにいなくなっちゃうの?
岸田さんと連絡が取れないまま、私は山小屋へ行った。
山小屋に行ってからも何度かメールをしてみたけど、返事はない。岸田さんのお母さんも、やっぱり見つからないと言う。
私は、山小屋で今の夫と出会った。
「彼氏いる?」と聞かれて、「いない」と答える。
「好きな人はいたけど、失踪したんです。今はもう好きじゃない」
一緒に暮らす約束を反故にしていなくなった岸田さんのことが許せなかった。一度目の失踪を隠していたことも、裏切りだと思った。きっと、私のことなんて本気じゃなかったのだ。
結局、岸田さんが見つかったという報告は私のもとへ届かなかった。
■もしかして私のせいだったかも
しばらく、この話は誰にもしていなかった。思い出したくもなかったからだ。
だけど3年前、ある後輩スタッフの女の子から「恋愛でひどい目に遭ったことあります?」と聞かれ、久しぶりに岸田さんのことを思い出した。
「あるよー。好きだった人に一緒に暮らそうって言われて浮かれてたら相手が失踪した」
私は岸田さんのことを話して聞かせた。そのときすでに、彼が失踪して8年が経っていた。思い出しても辛くはなかった。
「ばかだったから、一緒に暮らそうって言われて真に受けちゃったんだよね。今思えば、向こうは本気じゃなかったんだろうな」
笑いながら言ったけど、後輩は真顔だった。
「その人きっと、真剣だったと思います。一緒に暮らすのも、本気だったんじゃないですかね」
「そうかなぁ?」
「たぶん。仕事辞めなかったのも、お金貯めて待ってるって約束したからじゃないですか?」
そう言われて、ハッとした。もしかして、私と一緒に暮らす資金のために仕事を辞められなかったのだろうか?
私は彼にとって、失踪の抑止力にならなかったばかりか、知らず知らずのうちに重荷になっていたのかもしれない。私が弱いから、辛くても弱音を言えずにいたのかもしれない。
「でも、その人は毎晩の電話に救われてたと思います」
「うーん……でも私、弱音ばっかり言ってたよ」
「誰かに頼られると、必要とされてるって思えるじゃないですか。サキさんに必要とされることで、その人は救われてたんじゃないですかね」
後輩の言葉を聞いている間、瞼に力を込めて必死に涙をこらえていた。
■好きだった人が失踪してから11年。私がいま思うこと
当時の私は、好きな人に失踪された自分のことばかりを憐れみ、岸田さんの気持ちを考えなかった。けれど、今になってようやく、あの頃の岸田さんの気持ちを想像することができる。
離婚して子どもに会えなくなり、心の調子を崩したこと。
再就職したものの職場の人間関係に悩み、一緒に暮らす約束をした女の子は自分以上に心が弱いから弱音を言えないこと。
どれだけ辛かったのだろう。
もちろん、本当のことなんてわからないし、辛さの感じ方には個人差がある。彼と同じ体験をしても失踪しない人はいるだろう。だけど、あのときの岸田さんは、仕事も人間関係もすべてを捨てて逃げたくなるほどに辛かったのだ。その辛さを、乱暴に「弱い」と責めることはできない。
もしかしたら、今私の近くにいる人の中にも、心の中に辛さを隠している人がいるかもしれない。私はそれに、ちゃんと気づけるだろうか。笑顔や、「大丈夫」「元気だよ」といった言葉の裏にあるものに思いを馳せることができるだろうか。
正直なところ自信がない。だからこそ、そばにいる人の辛さには注意深くあろうと思う。
その人がふいに失踪する前に、手を差し伸べられるように。
1983年生まれ。noteにエッセイを書いていたらDRESSで連載させていただくことになった主婦です。小心者。