都会の偶然

仕事のあと、自炊しようと買い物した後に、テイクアウトのナムル丼を発見。その後起きた都会の偶然は・・・。

都会の偶然

仕事を終えた夕方、セレクトショップをいくつか回って、収穫もなく落胆しているとお腹が空いていることに気がついた。
このまま家に帰って何か作ると、片付け終わった時点で、原稿を書く前に力尽きてしまいそう。よし、今日はミッドタウンで何か美味しいものを食べて帰ろう!

だけど金曜日の夜とあって、クリスマスイルミネーションを見に来たカップルですごい人出だった。レストランはどこもいっぱい。平日の夜ならこそっと一人で食べて帰れるのに、今日はどのお店も無理そう……。

じゃあスーパーでお刺身を買って帰ろうかな、と売り場に行ったけど好物の白身がなく、今ひとつ盛り上がらない。
うろうろしているうちに、息子たちがパースに持って来てくれと言ったふりかけやら、私が原稿書きの合間に食べる鮭トバやらを見つけては買い込んで、会計が終わったら結構な荷物。

やっぱり帰って、冷凍しておいたイワシの丸干しを焼いて、あおさのおつゆでも作るかととぼとぼ歩いていたら、韓国料理店の店先で美味しそうなテイクアウトのナムル丼を発見。両手が荷物で塞がり、空腹と淋しさで目がかすんでいた私は、気付くと「すみませーん」と叫んでいた。

ああ、見ればわかるじゃないか、私の前にたくさん買い込んでいる女性がいて、いま店員さんはその会計で大わらわなのである。やだなあ、順番無視して大声出すなんてダサ……と自分の粗相に落ち込む。
会計をすませ、ナムル丼を下げてふらふらとタクシー乗り場へ。後から来た早足の男性が私を追い抜いて1台だけいた車に乗り込む。そぼ降る冬の雨の中、次の車を待つ私。東京の真ん中で、キムチの香りとともにひとりタクシーを待つ侘しさにじっとり浸る。

ようやく来た車に乗り込んで行き先を告げ、シートベルトを締めると、走り出した車は輝くイルミネーションの中へ。

「あの、もし違ったら申し訳ないのですが」
同世代の運転手さんは丁寧に前置きしてから言った。
「今朝、お乗せしましたよね?」
私は疲れきった頭で「あ、そうでしたか」と答えてから数秒考えて、
「それってすごい偶然じゃないですか?!」と叫んでしまった。

今朝拾った車と、偶然来た車が同じって。

もし私がミッドタウンに寄らず、お刺身を見ず、ふりかけを買わず、ナムル丼に足を止めなかったら、で、6個買いの彼女がいなかったら、そして歩くのが早い男性に追い抜かれなかったら、私は絶対にこの車に乗らなかったわけだ。

「こんなこと初めてです」と運転手の彼。
「私もです」と私。
青いLEDライトのトンネルの中を駆け抜ける車。
私は思わず身体を窓に寄せて、助手席の前に掲げられた運転手さんのネームプレートを見る。しばし沈黙して、ゆっくりと身体を戻し、シートにもたれた。

こんな都会の真ん中のこんなに素敵な場所で、こんな偶然に出会うなんて、すごくドラマチックだ。だけど車にはただ、静かにキムチの香りが満ちていったのだった。

流れる夜景を見ながら考える。神様、これはなんでしょう。こんなすごい偶然が何も生まないっていう、この肩すかし、運の無駄遣い感、これは私へのどんなメッセージなんでしょうか?
いったいあのすごい偶然に費やされたエネルギーはなんだったのか。溜めたポイントが一瞬で消失したみたいな、何とも言えない悔しさが残る。

車が着いて、規定通り運転手さんがドアを開ける。規定通りの挨拶をのべ、折目正しいお辞儀をして走り去る。

「不思議なご縁でしたね、ではまたどこかで」と言ってきびすを返し、エントランスの鍵を取り出しながら思う。これでもし次があっても、間違いなく何も起こらないし!
なにかとてつもない取りはぐれをしたような、贅沢をしたような、でもそれほど悪くない心持ちで、黙々とナムル丼を食べたのだった。

 

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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