美しいものを見たときに、伝えたい人は誰ですか?
すっかり気温が下がって、冬。凍てつくように寒い日もあるけれど、繋いだ手の温かさや、イルミネーションの美しさに気付く。ロマンティックなこの季節に、短い物語をひとつ書きました。このふたりの関係は? 場所は? ささやいた言葉はいったい……?
「あ、綺麗」
何気なく見上げると、夜空にまあるく浮かぶ金色。空気が澄んでいるからか、冬はこういうものがより美しく感じる。星も、夜景も、流れていく車のライトすら。
賑やかで、混沌とした街をすり抜けていく。
ギターを奏でるミュージシャンっぽい男。とろんとした目で聴き入る女。必死にチラシを配るお兄さん。キンキンと甲高い声でしゃべる女子高生。
行儀よく座る「イヌ」の周りは、人待ちで溢れる。
この街にはいつだって、色々な種類の人間がいる。
ごちゃごちゃとした交差点。
物珍しそうにシャッターを押す外国人をよそ目にしていると、ぶつかる肩。こんなにもたくさんの人とすれ違っているのに、話をすることもなく、この先もうきっと会わない。
そう考えると、今ある人間関係って奇跡だ。
「家族」「友人」「恋人」「同僚」そういう関係って、いったいどれだけ天文学的な確率でできあがったのろう。
ふう、と、ひとつ息を吐いて、見上げる。
やっぱり今夜は、綺麗な月。
あの人も見ているのかな。
美しいものを目にしたときに、思い出せる人がいること。それは、しあわせの証だって、そういえば誰かが言ってた。
「わっ……」
ポケットに入れている器械が震える。
緑色のアイコンに「通知」を知らせる赤い丸。表示されている名前に、つい心が弾んでしまった。
「おめでとう!」
画面に映っている一行のふきだし。
そのたった一行に、胸が高鳴る。きっと今、私、口元が緩んでる。
「ありがと」
ふきだしをひとつ、画面に落とす。
あまりに素気ないだろうかと、もうひとつ。
「今夜、月がすごく綺麗なの。月にもお祝いされてる気分(笑)」
「うん、綺麗だよね。思ってた」
「夏目漱石もこういうのを見てたのかなぁ」
「いや、三日月かもよ(笑)」
「えーでもさ、愛の告白なら満月のほうがロマンティッ|」
打っている途中で、また震える手元のそれ。
着信だ。少し慌てながら出る。
「月、綺麗だね」
「びっくりした。わざわざ電話(笑)?」
気持ちよさげに酔っぱらっているサラリーマンが、「いい夜だ」と叫んで笑ってる。可愛らしい女の子が「飲みすぎですよぉ」とぴったり寄り添いながら、ならんで路地裏に消えていく。
明日の仕事を心配しなくてもいいことは、いつもより人を大胆にさせるのかもしれない。そんなことを、ぼんやりと思う。
「おーい、聞こえてる?」
「あっ、ごめん」
「月、綺麗だよね。すごく」
「うん、もうわかったから(笑)」
見透かされないよう、冷静に。
「今、ひとりなの? 今夜、お祝いしてもらうって言ってなかった?」
「その予定だったんだけど、急に仕事が入ったんだって」
「そっか」
「明日休みだし、明日パーッとお祝いしようねってことになったの」
見透かされないよう、冷静に。
「じゃあさ……」
「ん?」
「会おうよ」
予想外の言葉をかけられたとき、
人はどうしたら冷静にいられるのだろう。
「ほら、お月さまも綺麗だし?」
「また言ってる……。そんなに好きだった?」
しん、と沈黙が流れる。
通り過ぎていくタクシーの後部座席に見える、ふたつの影。あの人たちはどこへ向かうんだろう。そう考えていると、影が重なった。
「いや、そうじゃなくて、」
さっきまでとは違う、真剣なトーン。
低く静かに、小さく小さく、ささやいた――。
煩いサラリーマンと煌めくイルミネーションをすり抜けて、駅へ向かう。環状になっている電車に飛び乗って、たった一駅。ここより少し落ち着いた街へ。
今夜は、明日の仕事を心配しなくていい。でも、アルコールは残しちゃいけない。何があっても、どんなことがあっても、今夜の余韻を明日へ引きずらないように。
夜空にまあるく浮かぶ金色。
あの人も見ているのだろうか。
美しいものを目にしたときに、思い出せる人がいること。それは、しあわせの証だって、そういえば誰かが言っていた。
ライター/物書き