夢診断
夢に未練のないはずの元カレが登場。妻は大柄で東大卒で仕事のできるたくましそうな女性。なんなんだ、この夢は・・・。思い当たる節がありました。
久々にはっきりとした夢を見た。
どこかのデパートの催事場のような人混みで、私は偶然、昔の恋人を見かけた。彼はスーツ姿で、横には大柄な女性が立っている。十数年前に別れてから連絡も取っていないので、そっと行き過ぎようと思ったら、彼に呼び止められた。妻を紹介するつもりのようだ。
私よりも大柄な彼女は、がっちりとしており、顔のパーツも一つ一つが肉厚で、ジャイアンのようだ。
「彼女、東大卒なんだ」
と得意げな元彼に、思わず
「あ、だからなのね」
と答えてしまう私。
「だからなのねってどういう意味だよ」
と顔色を変える彼。しまった、なんでこんな迂闊なことを、と悔やむ私。彼女は近づいてきて、
「私、ビジネスをしているの。これ、いいでしょ?」
展示してある白い寝椅子を見せられる。
「テレビ番組でも紹介されたの。すごく売れてるのよ」
どうやら家具の通販会社を経営しているようだ。
どうだ、参ったろ、と言いたげな元彼。ドン引きする私。うっとりと妻を見つめる彼の眼差しは、頼れるご主人様に使える忠実な犬のよう。妻の学歴自慢をするような人だったっけ……と思いながらエスカレータを降りているところで目が覚めた。
なんだったんだ今のは! どうしてなんの未練もない元彼がいきなり夢に出て、しかも岩みたいな妻を自慢げに紹介するんだ……と混乱してしばしベッドから出られなかった。
だけど元になっている出来事はある。働き始めてすぐに付き合い始めたその彼とは数年で別れたのだけど、30代半ばに仲間と集まったときに再会した。もともとは冗談が好きで楽しい人だったのに、そのときは違った。いや、彼だけじゃなくて、同じ年に働き始めた男子みんなが変わってしまっていたのだ。
「お前、家買った? いくら? マジで、世田谷!?」
「何年ローン? 繰上返済してる?」
「うちさ、子供二人ともS学園なんだよ。お前んとこは?」
持ち家、子供の学校、人事……細かい比べっこで盛り上がっている。その矛先は私にまで向いて、
「共稼ぎはいいよな」
と彼に言われたのだ。なにそれ、どういう意味?
「俺はかみさん食わせてるから」
って別に私がズルしてるわけでもなんでもないし! そんなこと言ってくるコスいやつだとは思わなかったよ! 大いに幻滅して、つくづくこんな人と結婚しなくてよかったと思ったのであった。
だけど、それからさらに10年近く経って、いまは彼らのしんどさもわかる気がするのだ。自由に夢を語れた20代と違って、結婚し、家のローンを組み、子供も生まれて身動きが取れなくなる30代。お腹が出てきたり、髪も薄くなってきたりと思うようにならないことが増えるお年頃だ。昔みたいに集まってバカ話をする余裕もなかったのかもしれない。あのとき私も30代半ばで、まだ彼らのしんどさを俯瞰できていなかった。
40を過ぎて、自分一人が稼ぎ手になってみて初めて、人生の早い段階から幾つもの足枷をはめられる男性のしんどさがわかる気がしたのだ。私の夫は仕事を辞めてそれを外したわけだけど、違う人生にチャレンジしたくても、背負うものが多すぎて逃げ場のない男性も多いだろう。あのとき彼は、いいよな女は、どう生きようと文句言われないし、大黒柱のプレッシャーもないし、って言いたかったのかもしれない。
いや……だけど、なんでいま、その彼の夢を見にゃならんのだ?
もしかしたら私の深層心理が表れているのではないだろうか。時々、ああもう働くの疲れたな、どこかにお金落ちてないかな、とか、夫が富豪だったらな、とか妄想することがある。そうか。元彼という設定で一見分かりにくくなっているけど、要するに「頼れるパートナーのいるあいつが妬ましい」というめちゃくちゃ単純な夢だったんだ!
それが「女友達が夫の自慢を」という設定じゃなく、「元彼が妻の自慢を」という設定になっているのは、私がいま一家を支える立場だからなのかもしれない。けど、とにかく結局はそういうことか。あのとき私に「共稼ぎはいいよな」って言った彼と、同じ妬みをわたしも抱えているっていうことじゃないか!
しかもそれが美人じゃないのだ。岩のような女なのだ。まるで「多少は美人のつもりかもしれないけど、お前の見た目なんかよりこいつの才能の方がよっぽど魅力的だぜ」と言われたような、すごい敗北感だった。自分の容姿が中途半端なのも知っているし、それを小賢しく利用して世渡りしてきたのも確かだ。そこを突かれたようですごく傷ついた。うわ、こいつ元彼だけに、急所を知っているな、って。
というわけで、おそらくこの夢が暗示するものは「私は見た目だけで食っていけるほど美人じゃないし、知性だけで食っていけるほど出来が良くない。夫も無職だし、この先どうやって生きていこう」という強い不安なのだと思う。それでも身の丈で生きていかにゃならない。中途半端なりに、これからも地に足つけて頑張ろう、と思ったのであった。