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性が溶けていく

わたしは一体何者なんだろう――出口の見えない性の世界をさまよい続けた文筆家、佐々木ののかさん。女の子は強さをもってはいけないの? 男の子は弱さを見せてはいけないの? 彼女が流れ着いた先に見た自由の形とは――。

性が溶けていく

女の子が回っている。

赤いワンピースを着た女の子が回っている。

女の子の赤いワンピースにはフリルがついていて、回るたびに広がるワンピースの裾は、真上から見るとデコレーションケーキのようだった。

女の子が回っている。

回りながら笑っている。

回りながら笑っている赤いワンピースを着た女の子は、わたし。

幼いころ、女の子であることがうれしかった。
自分で選び取ったものでもないのに、生まれる前からの願いが叶って、女の子として生まれたこと自体が世界から祝福されているような気持ちだった。

フリルのついたワンピースが好きで、髪を長く伸ばしてパーマをかけて、出かけた先で新しい髪留めやヘアバンドを買ってもらっては、お母さんに髪をといてもらったり、結ってもらったりするのが好きだった。

女の子に生まれてよかった。
女の子に生まれてよかった。

自分で言うのもおかしな話だけれど、わたしは小さいころから何でもできる子だった。児童会長だったし、足も速いし、勉強もできた。だけど、大きくなるうちに、100m走も、お勉強も、小さいころから続けていた剣道も、男の子たちに抜かされて行って、とりわけ力では、男の子にかなわなくなった。

一生懸命練習をしてもしても男の子に力や体力でかなわないことに落胆していると、大人たちは「女の子だから仕方ないのよ」だとか「女の子は愛嬌だけあればいいんだから」と言って、わたしをなぐさめた。

大人たちはきっと優しいつもりで言ってくれたのだと思うのだけど、わたしには女の子は愛嬌だけあればいいと言った近所の人の言葉が理解できなかった。「女の子だから劣っていて当然」という風にも聞こえて、その事実を受け入れるように笑顔でたしなめているのではとも不気味に思った。

食べる量が変わらないのに、身体が丸く、やわらかくなってくることが怖かった。わたしの中で何か大きな地殻変動が起きて、全然に違う人間になってしまう気がして怖かった。

身体が“改造”されていくのを世の中から祝福されながら、男の子的なものが引きはがされていくような感じがしてやまなかった。それまでかわいいお洋服は女の子のものだと思っていたけれど、それ以外に男の子と女の子の間に違いがあるなんて知らなかった。

ある日、地面がぱっくりと割れて、赤い塊が流れ、海になった。

男の子的なものが乗った陸は遠くに遠くに流されていって、流されていく男の子的なものを、女の子的な陸の上から望遠鏡で眺めていた。

その間に、わたしは何か樹液のようなものを身体に浴びて、それは乾いて固まって、わたしの皮膚の一部となった。皮膚の一部となったそれのおかげで、わたしの表層はすっかり女の子になった。

身体の表層が女の子になっても、わたしの血液の成分には男の子的なものも流れていた。女の子的な陸には、手先が器用だとか、サポート力が高いとか、ハンカチを持っているだとか、そういう女の子的な女の子が良しとされていて、居心地が悪くなったわたしは、船を漕いで海に出ることにした。

カピカピに固まった皮膚を纏ったまま、だけど、男の子の持っていそうなものが、すごくほしくて。


腕力、権力、知性こそ、パワーで、魅力。


社会人になって、ますますそう思うようになった。
会社の同期はわたし以外全員男の子で、扱う商品の8割以上が男の人向けのもので、女の子であることがハンデになっているような気がした。

せめてと思って、肩にかかる髪を切ってショートにし、シャツにチノパンを履いて、男の子のような服装をするようになった。

会う人会う人にこう言われた。

「もう少し女の子らしい格好をしたら? せっかく顔は可愛いんだし」

久しぶりに会った男友達は「女はいいよなぁ、俺たちは色仕掛けで上司に取り入れないから」と言った。

いつかどこかのカフェで隣に座った女性がこんな風に言うのも聞いたことがある。

うちの会社、一人っ子政策みたいなものがあってね、もちろん暗黙の了解よ? だけど、女性社員は子どもひとりまでしか産休・育休がとれないの。最近はさすがになくなったみたいだけれど、わたしはその時代だったから迷わず子どもはひとりにしたわ。もしかしたらうちの子にも兄弟がいたのかしらって時々考えるの。まぁ、会社の規則なんだからどうしようもなかったわよね。

ギョッとして彼女の顔を見たら、何の疑いもないような、そんな顔をしながら話を続けていた。口調もなんというか、とても、淡々とした調子で。

通り過ぎてきた絶望の数々は目の上を泳ぎ、涙には溶けず、脳まわりを公転する。わたしは地平線も見えない男の子的な陸を目指して、躍起になって航海を続けた。女の子的な陸に戻るには、もうだいぶ遠くまで来てしまった。

わたしはボクシングジムに通い始めた。わたしが不遇な思いをするのは、わたしが女の子で、わたしが弱いからだ。

スキンヘッドの男の人たちがシャドーするジムで、わたしは鏡に映る自分にジャブを打ちまくる。腹筋は割れて肩の筋肉はパッドのようになり、樹液のように固まった“女の子”のうえに、“男の子”の鎧が装着された。

ムキムキになった身体に、肩の出るワンピースは似合わない。
わたしは気に入っていた、赤いワンピースを、それが似合いそうな女の子にあげた。

その女の子は赤いワンピースを着こなしてくれて、世界中を味方につけたみたいに可愛らしくて、わたしはあげずに捨てればよかったと後悔をした。

それなのに、わたしはまだ、女の子的なものを求められることが多かった。

笑顔/献身的な/話を聞いて/黙って賞賛/しとやかさ/弱くて何もできないフリ

その瞬間はほとんど何にも思わない。
だけど、そうしたくはなかった、と気が付くのはいつも後からだった。

たぶん、わたしは男の人といる間、幽霊になっていたのだと思う。

男の人が感情的になってわたしの首を絞めている間、わたしは意識を持ちながらにして、天井からその様子を見ているように感じたことがあった。

こんなに理不尽な男なのに、女は抵抗もせず、人形のように転がっている。それはこの男に力があって、権力もあって、知性があって魅力的だからだ、と、わたしは幽霊の視点からおかれている状況を理解した。そして、うっとりとした。

わたし自身も男の人といる間は、理不尽に一切抵抗せずに転がっていることは、我慢強くていいことのような気がしていた。むしろ、理不尽を受け入れる器の広さのようなものを賞賛されている気さえした。

パワーを振りかざす男の人は強さの象徴。
それを受け入れる器のある女は、女の強さの象徴。

わたしは彼らを足と足との間で飲み込んだ。
自分も彼らの“強さ”を得られるような気がして。

だけど、彼らを見送ってしばらくすると、わたしが飲み込んだのは彼らの欲望だけだったと気づくのだった。

理不尽なパワーを振りかざすのが男の強さの象徴でも、それをただただ受け入れるのが女の強さでもないことはちょっと頭を冷やせばわかるはずだった。だけど、どういうわけか、どうしても、そのサイクルから抜け出すことができないのだった。

何か衝撃的なこと、つまり暴力をふるわれて圧倒的な力を見せつけられただとかそういうこと以外にも、わたしの中で少しずつ澱が溜まっていったのだと思う。溜まった澱は肩や足に降り積もって、身動きをとれなくしていった。

わたしが聴いた、どこからともなく聴こえてくる女性を賛美する歌や視線のすべては、女性が決まった女性らしさを発揮することだけを褒めたたえるもの。

女である以上、わたしが強さを持つことは許されないように思われた。

わたしは祝福されていたはずの、自分の生まれ持った性を呪った。
祝祭は葬祭に変わる。
赤いワンピースの女の子は死んだ。
視界が白く霧散していく。

わたしの中の女の子が死んでいる間、海ではないどこかをさまよった。


その間、女の子を好きになったようなことも何度かある。


わたしが好きになる女の人は肌が白くて、柔らかくて、か弱そうで、だけど目の奥に強さのある人が多かった。


彼女たちと手をつないで外を歩いていると、耳の奥から心臓の音が聞こえてくるようなドキドキがあった。


わたしは彼女たちを女の子扱いして、彼女たちはわたしをどちらかといえば男の子扱いした。「あなたって本当に、男の子っぽいところがあって頼りになる」


男の子扱いをされて、わたしは喜ぶべきはずだった。だって、男の子的なものを求めて陸を離れて海を渡っているのだから。


それなのに、わたしはどういうわけか戸惑った。彼女たちと身体を重ねてみたらと考えてみるとき、自分の足と足との間から一本の幹が生えているような想像をしたら、あるいはわたしの中に入ってきた男たちがわたしの中にも生きているのだと想像したらゾッとして、怖くなって、彼女たちを撥ねつけてしまった。


彼女たちのことは好きだったのだと思う。
だけど、男の子扱いされるのが耐えられないのだった。


あんなにも男の子的なものが欲しかったはずなのに、いざ男の子的なものを求められたとき、わたしにはその器はないのだった。


容量が小さいというのとは違う、器の形が明らかに女の子のそれだった。


女の身体を持ちながら、女であるという意識を強く持ち、一方で男の子的なものを求めて、だけどそれを受け入れる器はない。


わたしは一体何者なのだろう。


そう思いながら、気が付くとわたしはまた、赤い海のうえに浮いていた。

航海を続けるうち、わたしは男の子的な陸を目指すことはなくなり、かといって女の子的な陸に戻ることもせず、ただただ、漂流した。

男然とした人も女然とした人も遠ざけた。その分、境目が曖昧な人たち――女性性の強い男性や、男の人っぽさが顔を出す女性など――といることが多くなった。

彼らといると、居心地が良かった。

彼らの中には男性も女性も同居していて、それが何かの拍子にスイッチしたり、スイッチしないまでも、その濃度は濃くなったり薄くなったりした。

ある日、女性濃度が高めな男友達は、「男なのに根性がない」と言われることなどに疲れているのだと、大きく息を吐くように話した。そして、あまり言えないことだから話させてもらえて助かった、と言った。

お友達や彼女には言えないの、と聞くと、男友達や彼女に弱いところは見せられないでしょ、と言う。わたしは言った。

男の子は、弱いところを見せてはいけないの?

思いのほか、声は大きくなって、部屋の壁に当たって、跳ね返って、わたしの鼓膜を揺らした。何かひとつ、不確実だけど確実のようにも思える見当が頭にぽつりと浮かんだ。

まさかと思って、わたしは海の上から望遠鏡を陸のほうに向けてみた。陸の上に住む男の人や女の人をよくよく観察してみると、彼らもまた、シーンによって、話題によって、あるいは体調によって、海のほうに寄ったり、あるいは海に出ていったりしていた。

それはもうほとんど無意識的に、自然のバイオリズムに身を任せるように。

どこの陸出身だとかいうことは関係なしに、男の子的なものと女の子的なものが邂逅する海を自由にたゆたっていた。

それに気が付いた途端、重たい鎧は剥がれ落ち、膠着した樹液はみるみるうちに赤い海に溶けていった。

男だとか女だとかいうものは、ほんのたまたま、身体のカタチや仕組みの名前だけなのだった。持って生まれた身体が自分の望んだカタチと一致しないこともあるかもしれないし、もっと言えば、身体に付けられた名前から枝葉のように伸びている男の子的なものや女の子的なものといった分類は便宜上のもので、自分の生まれ持った性に関わらず、そのときどきの気分で自由に選び取って組み合わせていいものなのだと悟った。

そう気づくまでに、20と7年もかかってしまった。

わたしは女の子的な陸出身の、ただのわたしになった。

性の境目が溶けていく。

性が溶けていく。

この間、パートナーがネイルをしてきた。
特に意味もなく、ただ、やってみたいという理由で。

彼はできたてほやほやのネイルを手に宿して、荷物がパンパンに詰まったわたしのカバンをひょいと持ち上げる。

わたしはカバンを彼に預けて、「この間わたしの作品に文句言ってきたやつ、今に見ていろと」と言って、空を殴った。

彼は、勇ましくてカッコよくていいね、と言って笑った。

わたしは今日、赤いワンピースを着ている。

Text/佐々木ののか
文筆家。メインテーマは「家族と性愛」 。
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4月大特集「愛すべき、私のややこしさ」

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『DRESS』4月特集は「愛すべき、私のややこしさ」。多くの人はなんらかのコンプレックスを抱えて生きています。コンプレックスを意識しすぎるとつらく、しんどいものです。でも、それをうまく受け入れ、付き合っていけば、少しだけ生きやすくなるはず。本特集ではコンプレックスと向き合うヒントをお届けしていきます。

DRESS編集部

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